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騒音トラブルといえば受忍限度、しかしこの言葉はもうやめましょう! 新たに使うべき言葉はこれです

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(写真:イメージマート)

 騒音トラブルの裁判においては、最後は、その音が受忍限度を超えているかどうかが判断されます。しかし、いつも何か釈然としないものがありました。のどに刺さった小さな魚の骨のようなもので、決して大したことではないと感じていても、何だか気になって仕方ないというような思いでした。それが、ある時一つの言葉を思い付いて一気に解決したのです。

 これまで、いろいろな造語を作ってきました。代表的なものは煩音(ハンオン)という言葉で、これは社会的にも結構認知されていて、騒音問題の理解に大いに役立っていると自負しています。その他、半心半技、感情公害、耐煩力、苦情社会などという言葉も考えましたが、これらは煩音と比べると未だ社会の認知は低いように感じています。今回、思い付いた新しい言葉とは受忍限度という言葉に関するものです。受忍限度というのは、文字通り我慢のできる限界、いや、我慢すべき限界ということで、例えば、子どもの声に関する受忍限度とは概ね次のような状況です。

たとえば、子どもの声の受忍限度とは

 今まで公園だった場所に、新たに保育園がつくられ、静かな環境は一変しました。日中は子供たちのはしゃぎまわる声や園庭遊びの時の奇声が響いてくるようになりました。その大きさは窓を閉めてもテレビの音が聞き取りにくいぐらいです。時には、リズム遊びの太鼓の音が室内にも響き渡り、頭の中をズンズンと刺激されるように感じます。静かな環境で余生を送ろうと定年前に購入した1戸建ての住宅は、もはやいらだちの時間を過ごすだけの入れ物に変わってしまいました。なぜ、こんな理不尽な状況を一方的に押し付けられなければならないのか、もう我慢が出来ないと住民は怒ります。そこで、これが本当に我慢が出来ない状況かどうか、それを判定するのが受忍限度の評価ということです。

 しかし考えてみると、これでは住民側が我慢するということが前提となっています。なぜ住民側が一方的に我慢しなくてはならず、その限界が評価されなければならないのでしょうか。これは不合理ではないでしょうか。では、逆の場合も考えてみましょう。

 待機児童問題の解決のため、自治体の斡旋で公園だった場所に保育園が建設されることになりました。保育園の理事長は、住民の理解を得ることが重要と考えて、近隣の説明会を開くことにしました。しかし、集まった近隣の人々の反応は厳しいもので、静かな公園を取り壊して子どもの声がうるさい保育園をつくることなど絶対に反対という人が殆どでした。とはいっても、今更保育園の建設を取りやめることは出来ないため、騒音対策を十分に行うことで迷惑を掛けないようにすることを条件に、ようやく住民の了解が得られました。

 その後、近隣住民から出された要求内容は、次のようなものでした。住民の家がある方向の壁には一切窓は設けないこと、その他の窓についても全て2重窓にすること、園庭は1mほど掘り下げた上で敷地境界には3mの塀を設けること、送迎に関しては50m以上離れた場所に駐車場を用意して、そこから徒歩で保育園まで通うようにすること、園庭での外遊びは1日1回とし、時間は45分以内とすること、外では笛は鳴らさないこと、またマイクを使った拡声も行わないことなどでした。これを聞いた理事長は激しく怒りました。保育園の建設は法律的にも認められているし、地域の役にも立つことなのに、どうしてここまで譲歩しなければならないのか、こんなことは住民のエゴであり、これはもう受忍の限界を超えている!

受忍限度という考え方はもうやめましょう!

 これらの話の問題は、いずれの場合も、負担を押し付けられる側が一方的に我慢を強いられる形になっていることです。それが受忍限度という言葉の意味ですが、大事なことは、負担を受ける側が、それを認めて受け入れるかどうかを主体的に判断できるということです。また、負担をかける側は、受け入れてもらえるよう様々な面で歩み寄る努力をすることです。このような形でないと、このような問題は拗れるばかりになります。

 そこで思いついたのが受忍限度という言葉の変更です。これの替わりになる何か適当な言葉はないかと思案していましたが、思い付きました! それは受認限度という言葉です。漢字1字を変えるだけで、言葉の持っている意味は大きく変わります。忍から認への変更です。

 インターネットの日本辞典には、受認とは「恩恵を受ける一方で、それから派生する不利益をがまんすること」と書いてありました。保育園等の立地における恩恵とはもちろん、日本社会で多くの子どもがすくすくと育つこと、あるいは地域社会の中で子どもを安心して預けられることです。社会的恩恵がある一方で、子どもの声の問題という地域住民にとっての不利益も発生します。この不利益を受け入れて(我慢させられてとは違います)、園の存在を認めるかどうかを住民が判断することが「受認」であり、ここまでだったら認めて受け入れてもいいよと評価することが受認限度の評価です。これだと相互に歩み寄りの気持ちが生まれてくるように思います。

 このように考えると、今までの受忍限度の評価とは全く異なるスタンスの言葉になります。いかがでしょうか。このような変更が必要ではないでしょうか。ちなみに、受認という言葉が良く使われるのは金融分野であり、金融サービスを提供する側とそれを受ける投資家の関係を信認関係(fiduciary relationship)と呼び、サービス提供者は受認者と呼ばれるそうです。子どもの声に関しても、施設側と近隣住民の信認関係が成立しなければ、園の円滑な立地や運営は難しいと思います。

 これからは、1字だけを変えて、「騒音問題の受認限度」という考え方でコメントをしていこうかと考えています。いきなりこの文字を見た人は、受認というこの漢字を誤字だと思い、こいつはこんな基本的な言葉も知らないで偉そうにコメントをしているのかとあざ笑うことでしょう。いやー、何となく愉快です。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。我が国での近隣トラブル解決センター設立を目指して活動中。

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