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偏向報道が問題なら、メディアの中立・公正を禁止したらどうか

藤代裕之ジャーナリスト
情報ネットワーク法学会「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」の模様

「報道が歪んでいる」ーインターネット上ではマスメディア批判はもはやお約束のコンテンツだ。参議院選挙では自民党が報道内容が公平さを欠いているとしてTBSを取材拒否した。マスメディアは、中立・公正・客観的な報道を標榜しているが、その姿勢には読者や視聴者から疑いの目が向けられ、権力によるメディア介入のきっかけにもなっている。いっそメディアの中立・公正を禁止してみてはどうだろうか。

中立・公正はあり得るのか

4月から情報ネットワーク法学会で「ソーシャルメディア社会における情報流通と制度設計」というタイトルで研究会を行っている。ソーシャルメディアの普及によって、「誰もが情報発信者」となった社会の将来像とあるべき制度設計を考えるもので、メンバーは研究者やジャーナリストらで構成されている。7月末に行われた第4回 の討議「ネット選挙・メディア・民主主義」で、メディアとプラットフォームの在り方が議論になった。

情報政策に詳しい国立情報学研究所特任研究員の生貝直人さんは、衆議院選挙でNHKがEXILE(エグザイル)のメンバーがネットで候補者を応援したとして出演している番組の放送を急きょ取りやめる一方で、赤旗で共産党を応援した女優の出演した朝ドラはそのまま放送された事案を取り上げ、「政治的公平性を残すべきなのかを問い直すべき。アメリカにはフェアネスドクトリン(公平原則)があったが、もう限界だと1987年に撤廃されたことでネット選挙がやりやすくなっている」と指摘した。

アメリカではケーブルテレビ局の拡大などで放送電波の希少性が薄れ、フェアネスドクトリンは削除された。それによりFOXテレビは大統領選挙でブッシュ候補を応援する大キャンペーンを行うなど、メディアが政治的な立場を表明するようになった。ちなみにFOXテレビのモットーはFair and Balanced(公正で公平)だが…

日本では放送法第3条の2に「政治的に公平である事」「意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から論点をあきらかにすること」と明記されている。新聞については特に法の定めはないが、日本新聞協会が定めた新聞倫理綱領に「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」との記述がある。しかしながら、人が関わる以上何らかの思惑や意思が混入してしまう。中立・公正に向けて不断の努力を行うことはできても、中立・公正なメディアはその瞬間は存在し得ない。

あるテレビ番組が特定政党寄りに見えたり、新聞記事が記者個人の立場を色濃く反映したように読めたりすることは日常的にある。一方で、マスゴミ批判の多くは「自分たちが考える中立性(自分たちの考えに近かったり、都合が良かったりする言説)」でもある。テレビ朝日が反自民の連立政権を成立させるような報道を行ったいわゆる椿問題や、自民党が参院選挙期間中にTBSの取材を拒否でも、政治側はメディアの公平性を問題としており、メディア介入のきっかけにもなる。

ソーシャルメディアの登場で、誰もが情報を発信する事ができる状況になりメディアの希少性が低下している。新聞やテレビ、雑誌もツイッターや動画サイトを運営し、地上波や衛生では出来なかった政党チャンネルも既に存在している。メディアも視聴者・読者もタテマエの中立・公正を捨てて、立場を明確にする状況ではないのだろうか。ただ、ここで問題となるのは法律だ。

忘れられつつある通信と放送の融合

通信と放送の融合という議論があったのを覚えているだろうか。2006年から竹中平蔵総務大臣の私的懇談会として「通信・放送の在り方に関する懇談会(竹中懇)」が開かれた。「なぜインターネットでテレビの生放送が見られないのか」と竹中氏は問題提起した。その後、情報通信審議会の「通信・放送の総合的な法体系に関する検討委員会」に場所を移して議論され2009年8月に答申が行われた。

答申では、通信と放送に関わる各種法律を、コンテンツ、伝送サービス、伝送設備の3つのレイヤーに分けて見直すとした。図をみてもらえば分かるが、関連する法律が入れ子状態になっており整理する必要があるためだ。

通信・放送の新たな法体系の方向性(通信・放送の総合的な法体系の在り方から)
通信・放送の新たな法体系の方向性(通信・放送の総合的な法体系の在り方から)

中間とりまとめ案で批判を受けたこともあり、答申ではコンテンツレイヤーに設けられた「メディアサービス」(仮称)にネットサービスは入らず、プロバイダ責任制限法などで対応することが適当とされた。

いまや新聞やテレビもホームページを使い、動画サイトにチャンネルを持ち、組織に属する記者やディレクターなどもソーシャルメディアを利用している。組織なのか個人なのか、その区分や責任についても明確に定まってはいない。もはや、紙や電波といった媒体区分は現状に合わなくなっている。

さらに、ミドルメディア(掲示板のまとめサイト、NAVERまとめ、ブックマーク、など)が登場して大きなアクセスを集めている。これらミドルメディアが、どのコンテンツを扱うか、どれをトップページに掲載するかという編集やまとめサイトや動画サービスの社員らが編集した独自コンテンツの扱いは、あいまいなまま社会的な影響力が高まっている。

2011年3月の東日本大震災で、テレビの動画サイトへの再配信が緊急で行われ融合は一瞬実現したものの議論は停滞したままだ。

責任から逃げるプラットフォーム

弁護士ドットコムの編集長亀松太郎さんは「(参議院選挙時の番組である)最後の一声についての番組では政党ごとに番組を作って、好きなことを言っていいという風にしていました。これは一見公平に見えますが、生放送のトップページは常に自民党がいちばん上でした」と指摘する。

番組は各党が平等に放送しているが、各党の番組紹介をローテーションにせず、自民党を目立つ位置に固定する事は、偏りだと言って良いだろう。ニコニコ動画では、都知事選挙でも夏野剛取締役が猪瀬直樹事務所から中継を行うなど偏りが見られる。が、動画のプラットフォームとして「各番組を紹介しているだけ」というポジションを取る事で、メディアとしての責任を回避している。

Facebookやグーグルの検索結果も各ユーザーに利用されやすいようにチューニングされているが、詳しい状況はわかっていない。ある特定の政治的や思想的な情報でコントロールされていてもユーザーには分からない。どのような方針で運用されているのか、情報を選択するアルゴリズムは存在するのか、しないのか、するのではればどのような内容なのか、プラットフォームという名のもとにブラックボックスにしている状況は社会的責任を果たしているとは言いがたい。

インターネットユーザーは、既存マスメディアの偏向報道を批判しているが、ネットメディアやプラットフォームも何らかの偏りを有していると考えるのが妥当だ(なぜかネットメディアやプラットフォームの偏りは批判されないのだが…)。

偏っているメディアが競い合う

そこで、メディアとプラットフォームという区分を捨て、組織も個人もすべて情報を発信していれば情報発信者とする案を議論の叩き台として考えてみた。

情報を社会に発信している個人や企業を広く「情報発信者」とする。情報発信者は個人と団体に分けられ、個人はジャーナリストか一般かを選択。団体は中立・公正かそうではないかを選択する。中立・公正を選択した団体発信者はノンプロフィットとし、第三者機関によるレビューを受け、中立・公正に向けて不断の努力を行う。ノンプロフィットは利益を上げないというのではなく、株主ではなく掲げたミッションに対して投資するという形態だ。団体が中立・公正を選ばなければ偏っているということになる。第三者機関は放送倫理・番組向上機構(BPO)のような業界団体をイメージしている。

新たなメディア区分のイメージ
新たなメディア区分のイメージ

例えば、NHKのような公共放送、それからPC向けネットで圧倒的なシェアを持つYahoo!ニュースは中立・公正発信者とする配慮も必要だろう。検索エンジンやソーシャルメディアも発信者として扱い、ある一定シェアを超えれば中立・公正発信者となる。一方で、中立・公正発信者を選ばない場合は、読者に運営や編集の方針を明確に示すこととする。

この中立・公正性は発信主体にかかり、他媒体での展開も中立・公正を求められるとする。ある程度のシェアまでは自由競争で多様な主義主張があり、シェアが一定を超えると中立・公正に努力する義務が課せられるという、状況が生み出されることで競争も生まれてくるのではないだろうか。また、シェアを基準にすることでマスメディア集中排除の原則も維持できる。

個人でジャーナリストを希望する人は、ジャーナリストでつくられる自主機関の審査を受け、プレスパスの発行を受けるというのはどうだろう。ジャーナリストに選ばれた場合は情報源の秘匿、取材対象者、特に大企業や政党、官庁などからの訴訟から守られるとする。自主機関は、誤報の連続、倫理の欠如といった問題の窓口にもなり、ジャーナリストの資質を審議するとする。

このように団体と個人を分けることで、組織と個人の境界線で揺れるソーシャルメディアの利用の責任範囲も明確になってくる。

中立性・公平性という言葉はメディアの権力や政治介入を与えてきた一つの原因でもあり、マスゴミ批判のキーワードでもある。中立・公正発信者を選べば第三者機関のよるレビューを受ける必要があり、ウェブサービスはアルゴリズムなどを明らかにする必要に迫られるため、多くの商業メディアは中立・公正発信者を選ばないだろう。そうすれば「偏っている」メディアやサービス同士が競い合う状況が生まれ、自身に都合が良い中立性を求めるための偏向報道批判も使えなくなるのではないだろうか。ユーザーが日頃接触している情報の偏りを自覚することもできる。

この案は不十分な点が多くあるとは思うが、ソーシャルメディアの登場で媒体の垣根が崩れ、新たなメディアが社会的な影響を拡大し、組織や個人が入り乱れているメディア状況を整理する議論する時期に来ているのではないだろうか。研究会でもメンバーがそれぞれの案を持ち寄り議論していくことにしている。

ジャーナリスト

徳島新聞社で記者として、司法・警察、地方自治などを取材。NTTレゾナントで新サービス立ち上げや研究開発支援担当を経て、法政大学社会学部メディア社会学科。同大学院社会学研究科長。日本ジャーナリスト教育センター(JCEJ)代表運営委員。ソーシャルメディアによって変化する、メディアやジャーナリズムを取材、研究しています。著書に『フェイクニュースの生態系』『ネットメディア覇権戦争 偽ニュースはなぜ生まれたか』など。

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