娘を裁判官に育てた伝説の世界ヘビー級チャンピオン
「紹介してやるから、話せよ。今や、フィリーの裁判官だぜ。物凄くアクティブな人だ。全身からパワーが溢れ出ている」
フィラデルフィア取材の最終日、元世界ヘビー級チャンピオンのティム・ウィザスプーンがそう言った。次の瞬間、件の相手に電話を掛け、しばらく話すとスマートフォンを手渡して来た。
電話口の先にいたのは、2011年11月7日に67歳で永眠した元世界ヘビー級チャンピオン、ジョー・フレージャーの実娘、ジャッキー・フレージャー・ライドだった。
「あなたの試合、レイラ・アリ戦をリングサイドから見て、記事を書きました」と告げると、彼女は笑った。
「へえ、嬉しいわね。あの日、日本からわざわざ取材に来たの?」
「いえ。あの頃は、ネバダ州に住んでいました」
「私の父は東京五輪に出たでしょう。いくつか日本語を覚えて来て、しょっちゅう私たちに話していたわ。具体的にどんな単語だったかは、覚えていないけれど」
父のジョーは、1964年に東京で金メダルを獲得した。プロ転向後は連戦連勝で、モハメド・アリをも下している。去る3月8日は、そのメガ・ファイトから50周年にあたり、米国では様々な媒体が特集を組んだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/soichihayashisr/20210308-00225564/
フレージャーは3度アリと闘い、1勝2敗。ここで私が述べるまでもなく、伝説のチャンピオンである。
2001年6月8日、「アリvs.フレージャー4」として娘同士が拳を交えた。弁護士として働く一方、38歳にしてプロデビューを飾ったジャッキーにとって、レイラ・アリ戦は8戦目。ジャッキーの戦績が7戦7勝7KO、レイラは9戦全勝8KO。確かに話題となったが、23歳のレイラの体はジャッキーよりはるかに大きく、同じクラスの選手には見えなかった。
両者は激しく打ち合い、ジャッキーは判定で敗れる。その後、3年強現役を続け、2004年9月10日にUBAヘビー級タイトルを獲得したファイトを最後に引退した。最終的なレコードは13勝(9KO)1敗。
当時私は、ボクサーであるジャッキーよりも、弁護士ライセンスを持つその頭脳に注目していた。
「是非、今度インタビューさせて下さい」と申し込むと、ジャッキーは甲高い声で笑いながら言った。
「ねえ、日本語で『I Love You』ってどう言うの?」
私が応じると、ジャッキーは更に笑いながら「愛しています」と日本語で繰り返した。
ティム・ウィザスプーンはスマホのスイッチを切ると、しみじみと話した。
「何度もジョーが持っていたジムで練習させてもらったことがあるよ。素晴らしいファイターであり、温かい人だった。亡くなる数年前は、ジムで生活していたんだよな。彼も引退後は苦労していたね……」
2010年の初春、フィラデルフィアのNorth Broad Streetに建てられたフレージャーのジムは240万ドルで売りに出されていた。この頃のフレージャーは、リングで稼いだ財のほとんどを失っていた。軽佻浮薄な日本のテレビマンによって作られた番組に出演し、ボクシングを齧ったこともない若者とスパーリングをしたこともあった。
「ジョーへのリスペクトを欠いた人間たちが沢山いるのも事実。日本のテレビ屋もそうだろう。
でもさ、子供たちには常々、教育の重要性を説いていたと思うぜ。娘がこうして裁判官になったんだから、間違いなく立派な父親だよ。結局、俺たちブラックを守ってくれるのは教育しかないんだ。ジョーの功績に傷が付くことは絶対に無いさ」
ティムの言葉が心に響いた。
ジャッキー・フレージャー・ライドをインタビューする日が待ち遠しい。