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フランシス・ダナリー流ブルース。魂の源流への遡航【後編】

山崎智之音楽ライター
Francis Dunnery / IAC MUSIC JAPAN

『復活への旅路 Return To Natural』と『ブルースへの憧憬~第一章 The Blues Of Tombstone Dunnery Vol.1』の2枚のアルバムを2024年4月12日、日本同時リリースするフランシス・ダナリーへのインタビュー、全2回の後編をお届けする。

前編記事ではイット・バイツFD名義でプログレッシヴ・ロックへと回帰した『復活への旅路』中心に訊いたが、今回は『ブルースへの憧憬~第一章』で歌われるブルースのルーツについてひもといてもらおう。

Tombstone Dunnery『The Blues Of Tombstone Dunnery』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)
Tombstone Dunnery『The Blues Of Tombstone Dunnery』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)

<ブルースのスタイルであっても、僕はソングライター。自分の曲で勝負したい>

●ブルースとはいつ、どのように出会ったのですか?

10歳ぐらいのとき、兄バズの影響だよ。彼は12歳年上だから、いろんなブルースを聴いていたんだ。マディ・ウォーターズ、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、ライトニン・ホプキンス...彼のレコード棚にあったアルバムを聴いてきた。当時はよく判らなかったけど、自分のギター・スタイルにもブルースの要素はずっとあったんだ。3年前ぐらいにふと聴き返すようになって、ブルースをプレイするようになった。それがトゥームストーン・ダナリーだったんだ。ブルースっぽい名前だろ(笑)?ブルースはディープな音楽だけど、あれこれ考えるものではなく、自分の心の一部をさらけ出すんだ。だから同じ曲でも、毎晩まるっきり新しい曲をプレイする気持ちになる。過去のブルース・ギタリストをコピーするのではなく、自分らしくプレイするんだよ。アルバート・キングは頭で考えてギター・ソロを弾いていなかった。彼はブルースを“感じて”いたんだ。自分もそうあろうとしている。ギター・ソロは3テイク、せいぜい4テイク録って、ベストなものを選んだ。ツギハギはしなかった。

●ブルースのおすすめアルバムを教えて下さい。

自分が聴いて育ったアルバムを中心に挙げると、まずB.B.キングの『ブルース・イズ・キング』(1967)。アルバート・キングは“スタックス”レーベルから出た『アイル・プレイ・ザ・ブルース・フォー・ユー』(1972)と『アイ・ワナ・ゲット・ファンキー』(1974)が好きなんだ。マディ・ウォーターズは警官の格好をした、イラストのジャケットのアルバム(『ザ・ロンドン・マディ・ウォーターズ・セッションズ』(1972)と思われる)を聴き込んだ。マディは『Hard Again』(1977)も印象に残っている。それからライトニン・ホプキンスやサン・ハウス...ブルースは少ない音数で雄弁に物語るのが素晴らしいね。本当にビューティフルだよ。兄はそれと同時にキャプテン・ビーフハートなども聴いていた。ストレートなブルースではないけど、ハウリン・ウルフっぽく歌ったり、ブルースとの接点もあったんだ。

●兄上はジョン・メイオールズ・ブルースブレイカーズやフリートウッド・マックなど、イギリス産のブルースは聴いていましたか?

うん、彼はフリートウッド・マックのピーター・グリーンが好きだった。それからオリー・ハルソール...彼はあまりブルースではないかもね。パトゥーのアルバムは好きだったよ。あとゲイリー・ムーアが16歳ぐらいのときにやっていたスキッド・ロウも好きだった。こちらも厳密にはブルース・バンドと言えないけど、たまにブルースっぽいフレーズがあったね。ただ僕自身はまだ子供だったし、1960年代後半のブルース・ブームは通過していないよ。

●『ブルースへの憧憬~第一章』ではブルース用に普段と異なるギターを弾きましたか?

うん、兄のヘフナー“Verythin”を弾いたんだ。僕が子供の頃、初めて弾いたギターだよ。兄との思い出が詰まっているし、ずっと大事にしているんだ。

●「ブルース・フォーリング・ダウン・ライク・ウェザー」など、タメの効いた歌い回しもブルースを感じさせますが、ブルース・ヴォーカルではどんなシンガーから影響を受けましたか?

もちろんB.B.やアルバート・キングの影響はあるんだろうけど、彼ららしく歌おうとはしていないし、自分のスタイルで歌っているよ。自分の歌詞を他人らしく歌うというのは僕には難しすぎる(苦笑)。

●スティーヴ・ハケットはブルースから影響を受けてきたにも拘わらず、ジェネシス時代は意識的に封印してきたと言っていました(こちらの記事を参照)。あなたもイット・バイツではあえてブルースの要素を抑えてきましたか?

いや、そんなつもりはないな。自分自身に足枷をしたくないし、必要だったら何だってやるよ。ただ、その逆に自分をブルース“だけ”に制限したのがトゥームストーン・ダナリーだったんだ。ソロとイット・バイツで脳の異なった部分を使うのと同様に、脳のトゥームストーン・ダナリーの部分を使ったんだよ。自分が作ったのでないルールに則って音楽をやるのはほとんど初めての経験だったし、とても興味深かった。

●トゥームストーン・ダナリーのライヴではブルースのカヴァー曲はプレイしますか?

いや、オリジナル曲だけをプレイしている。ブルースのスタイルであっても、僕はソングライターだからね。自分の曲で勝負したいんだ。「シー・レフト・ミー・ウィズ・ザ・ブルース」「ポイズン・ウーマン」「カムバック・ボーイ」など、アルバムの曲はどれも充実しているし、ブルース・クラシックスをやらなくてもお客さんが飽きることはないと確信していたんだよ。ブルースには100年以上の歴史があって、その様式の枠内でプレイすることは大きなチャレンジだった。新しいことは何もやっていない、それでも素晴らしい何かを生み出す試みなんだ。

●ブルースには100年以上の歴史があり、様式がある程度固まっていますが、“ブルースの新曲”を書くことはどのような作業でしょうか?

ブルースという音楽は枠組みが決まっていて、そこからはみ出すとブルースではなくなってしまう。“新しいブルース”というのは矛盾を孕む言葉なんだ。まあ、このアルバムではそれほど厳密に考えていない。おそらく原理主義者が聴いたら「こんなのブルースじゃない」と言われるんだろうけど、まあ別にブルースでなくても良いと思っている。僕なりのブルースへのトリビュートだね。やる以上、ルールは守っているよ。友達に言われたんだ。ブルースをやるなら帽子を被って、日曜日に教会に行くみたいにスーツとネクタイをしなければダメだ!ってね。確かにサッカーをやるときはサッカーのユニフォームを着てやる。バスケットボールのユニフォームは着ないだろ?だから一理ある気もするね。僕の“トゥームストーン・ハット”だよ。

●最近のブルース事情はご存じですか?

いや、まったく判らない。B.B.やマディを聴いていると、なかなか最近のものに手を出す余裕がないんだ。デレク・トラックスのスライド・ギターは最高だし、エリック・ゲイルズも素晴らしい。あとは太めの体型の若い子、なんて名前だっけ...?

●...クリストーン“キングフィッシュ”イングラム?

うん、彼もスペシャルな才能を持ったミュージシャンだ。彼はまだ若いんだし、健康に気を付けて長いキャリアを築いて欲しいね。それからジョー・ボナマッサもスター性があって良いプレイヤーだと思う。ただ、日々新しい才能を探し求めているわけではないんだ。

Francis Dunnery / IAC MUSIC JAPAN
Francis Dunnery / IAC MUSIC JAPAN

<ブルース、クラシック...毎日音楽のことを考えている>

●イット・バイツが最初の成功を収めていた1980年代後半〜1990年代前半、バンドが契約していた“ヴァージン・レコーズ”はゲイリー・ムーアの『スティル・ゴット・ザ・ブルース』(1990)で成功を収め、ブルース系サブ・レーベル“ポイント・ブランク・レコーズ”を設立してジョン・リー・フッカー、アルバート・コリンズ、ジョニー・ウィンター、ラリー・マクレイなどの作品をリリースしました。そんな“ヴァージン”のブルース・ミニ・ブームとはどのように関わっていましたか?

“ポイント・ブランク”を設立したのはイット・バイツのA&R担当だったジョン・ウーラーだったんだ。彼と話していて「今度アルバート・コリンズのアルバムを出すんだ」とか聞いたことはあったけど、当時は自分たちの音楽で頭がいっぱいで、ブルースまで聴く余裕がなかった。せいぜい聴いていた他人の音楽といえばブルー・ナイルやデヴィッド・シルヴィアン、坂本龍一ぐらいだったよ。

●1991年の『ウェルカム・トゥ・ザ・ワイルド・カントリー』は当初もっとブルース・テイストになる予定だったというのは本当でしょうか?

どうだろう、覚えてないな。あの頃はいつも酔っ払っていて、記憶に残っていないんだ。ただの大バカだったよ。『ウェルカム・トゥ・ザ・ワイルド・カントリー』の楽曲は良いと思うけど、そんなせいもあって、演奏やサウンドには満足出来なかった。それで『リターン・トゥ・ザ・ワイルド・カントリー』(2016)として再レコーディングしたんだ。どの曲もこっちのヴァージョンの方が良い出来だよ。最初のヴァージョンも決して悪くはないけど、自分がやろうとしていたことには及ばなかった。それも酒とパーティーのせいでね。もう34年ずっとクリーンだけど、ずっと後悔が残っていたんだ。

●『ブルースへの憧憬』第2弾の曲は書いていますか?

うん、もう15曲ぐらい書いたんだ。「Woman Don’t You Leave Me Now」という曲は美しくて、すごく気に入っている。早くレコーディングして、みんなに聴いてもらいたいね。1枚目はファンも気に入ってくれて、ブルース系メディアからも高い評価を得たんだ。「カムバック・ボーイ」のミュージック・ビデオも作ったし、これから第2弾、第3弾アルバムと続けられたら嬉しいね。

●今後の予定を教えて下さい。

今年(2024年)の秋、FMとイギリスのツアーをする話があるんだ。もう30年来の友達だし、ぜひ実現させたいね。彼らはよりストレートなロックで、イット・バイツとは若干音楽性が異なるけど、新しいファン層を掴むことが出来たら最高だ。来年(2025年)の春頃までには日本でツアーをやりたい。ロック・ショーとアコースティックの両方を出来たら最高だな。アメリカ東海岸やヨーロッパでもツアーをやるつもりだし、“クルーズ・トゥ・ジ・エッジ”船上クルーズ・ライヴにも参加したい。せっかくリハーサルをするんだから、出来るだけ多い回数のライヴをやるつもりだよ。

●リリース予定の作品などはありますか?

『ライヴ・イン・UK』の映像をダウンロード/配信で視聴出来るようにするんだ。ブルーレイは3,000枚しかプレスされなくて、手に入らないファンがたくさんいた。さらにBandcampで音声トラックを発表するから、スマホでも聴けるようになるんだ。今年(2024年)のライヴも撮影して、ブルーレイで出す予定だよ。チャドのプレイも素晴らしいし、楽しみにして欲しいね。...ただすべてが順調ではなくて、『復活への旅路』の発売直前に公式ウェブサイトhttps://francisdunnery.com/がハッキングされたんだ。まったく信じられないよ。4週間のあいだ、毎日4時間かけて復旧させなければならなかった。ファンのみんなを心配させたし、本当に迷惑だ。これからは自分の作品はBandcamp経由で販売するつもりだ。セキュリティがしっかりしているからね、

●今年1月のロンドン公演はロバート・プラントとスティーヴン・ウィルソンが見に来たそうですね。あなたはロバートの『フェイト・オブ・ネイションズ』(1993)に伴うツアーにギタリストとして同行しましたが、それから連絡を取り合ってきたのですか?

うん、ずっと仲良しだよ。彼は僕のことをクレイジーだと思っているみたいだけどね(笑)。いつもジョークを言い合う仲なんだ。僕はペンシルヴァニアに引っ込んでいるからなかなか会えないけど、ロンドン近辺でショーをやるときは見に来てくれるし、彼のニューヨーク公演に行ったりもする。ロバートが今やっている音楽のファンだし、彼のおかげで約3年のあいだ、スターになった気分を味わうことが出来た。数万人の大観衆が集まるアリーナ、5ッ星のホテル、プライベートのジェット機とかね。もちろんスターはロバートであって、僕がのぼせ上がることはなかったけど、音楽業界のピラミッドの頂点からの景色を見ることが出来たのは貴重な経験だった。一度経験したことだから、もう未練はないんだ。それで自分の本当にやりたい音楽に集中することが出来る。ロバートには本当に感謝しているよ。でもそんなことを抜きにしても、何よりも彼の人柄が好きなんだ。地球上で一番好きな人の1人だよ。

●スティーヴン・ウィルソンとは親しい関係ですか?

友達というわけではなく1、2回会っただけだけど、とても好印象を持ったね。いわゆるプログレッシヴ・ロックと関連づけられるアーティストで、彼のような成功を収めたのは素晴らしいことだ。ビッグ・ビッグ・トレインのグレッグ・スポートンとも知り合いだ。若い世代のアーティストの成功を祈っているよ。

●Facebookへの投稿で「イット・バイツは“当時生きた人生そのもの”であり、それをイット・バイツFDで再現することは不可能だ」と主張していましたが、当時のメンバーと再合体することで、それに近いものを再現することは可能でしょうか?

さあ、どうだろうね。...実は『復活への旅路』を作るにあたって、ジョン(ベック/キーボード)と連絡を取ろうとしたんだ。でも彼は誰とも連絡を取ろうとしないんだよ。別に僕のことが嫌いだからではなく、彼の一番の親友からでもお母さんからでも電話をかけ直さないんだ。ジョンと最後に話したのはもう大昔のことだ。彼は才能に溢れたクリエイティヴなミュージシャンで一緒にいくつも素晴らしい曲を書いてきたし、また共同作業をしたらどうなるか興味があったんだ。決して懐古趣味ではなく、今の我々がどんな音楽を作れるか、未知のゾーンに踏み込んでいきたかった。

●1990年にあなたがイット・バイツを脱退してから、他のメンバーと接点はありましたか?

プロレッシヴ・ロック界隈のライヴのバックステージで顔を合わせて「元気?」とか話して、問題はないよ。僕がイット・バイツを辞めたのには、いろんな理由があったんだ。音楽のこと、ビジネスのこと...人間関係はそのひとつに過ぎなかった。まあ、1980年代からジョンと仕事のペースにズレがあったことは事実だけどね。僕はいつも彼に「もっと急げ!」と言って、彼は僕に「焦るなよ、ゆっくり行こう」と言っていた(笑)。でも、そんなぶつかり合いが良い結果を生むこともあるんだよ。トニー・バンクスとピーター・ゲイブリエル、ロバート・プラントとジミー・ペイジ、ミック・ジャガーとキース・リチャーズ、スティーヴィ・ニックスとリンジー・バッキンガム、ロジャー・ウォーターズとデヴィッド・ギルモアなど、例を挙げたらキリがないよ。相反する意見を戦わすことは、プラスになることもしばしばあるんだ。まあ彼の人生がハッピーであれば、それが一番良いことだ。いつかまた一緒に曲を書けたら良いね。焦らずに待っているよ。ただボブ(ダルトン)はもうドラムスをプレイしていないし、当時のラインアップでの再結成はないだろうね。

●これまで『フランケンシュタイン・モンスター』(2013)『ヴァンパイアーズ』(2016)というカヴァー・アルバムを出してきましたが、今後『狼男』『ミイラ再生』などを出すつもりはありませんか?

ハハハ、“フランケンシュタインの怪物”と“吸血鬼”が並んだのは偶然なんだ。ホラー映画シリーズをやろうとしたわけではない(笑)。今考えているのはトゥームストーン・ダナリーの2作目ぐらいで、しばらくは作る機会がないと思う。...今興味があるのは、クラシック・ギターなんだ。フェルナンド・ソルの『20のエチュード』に歌詞を付けて、自分ならではのヴァージョンに生まれ変わらせられないか、チャレンジしているところなんだ。もしうまく行ったらチェロとピアノ奏者を加えてレコーディングしようと考えている。アルバム化などを出来なくても、楽しそうな試みだし、そんな経験を経ることで自分の音楽が豊かになると思う。

●楽しみにしています。さっき「しばらくアルバムは出さない」とおっしゃっていましたが遠くない将来、新作を聴けそうで嬉しいです!

うん、毎日音楽のことを考えているんだ(笑)。でもクラシック・ギターのプロジェクトは今すぐモノになるわけではなく、5年から8年先だろうね。けっこうシリアスに考えているし、中途半端なものにはしたくないんだ。必ず良い作品で帰ってくるから、それまで『復活への旅路』と『ブルースへの憧憬~第一章』を楽しんで欲しい。

It Bites FD『Return To Natural』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)
It Bites FD『Return To Natural』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)

【最新アルバム】
『復活への旅路 Return To Natural』
『ブルースへの憧憬~第一章 The Blues Of Tombstone Dunnery Vol.1』

IAC MUSIC JAPAN HP
https://www.interart.co.jp/business/entertainment.html

【公式ウェブサイト】
https://francisdunnery.com/

【2022年のインタビュー】

フランシス・ダナリー、3枚組の新作アルバム『紫の城壁の詩』を語る【前編】
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d6615cfaad56bc133e329953419a4e81b54e5371

フランシス・ダナリーが振り返るイット・バイツとプログレッシヴ・ロック【後編】
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c544f3e4f3891d8037d4b62e8ac210f15fb3d7d7

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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