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英国プログレッシヴ・ロックの伝説が蘇る。イット・バイツFDが新作アルバム発表【前編】

山崎智之音楽ライター
Francis Dunnery / IAC MUSIC JAPAN

フランシス・ダナリーのアルバム2タイトル『復活への旅路 – Return To Natural 』と『ブルースへの憧憬~第一章 – The Blues Of Tombstone Dunnery Vol.1』が2024年4月12日、日本で同時リリースされる。

“イット・バイツFD”名義の『復活への旅路』はフランシスが1980年代にデビューした伝説のバンド、イット・バイツの魂を受け継ぐニュー・アルバム。『イート・ミー・イン・セント・ルイス』(1989)から35年、紡がれる物語の“続き”はプログレッシヴ・ロックのファンはもちろん、幅広い音楽リスナーの心を捉えるものだ。

『ブルースへの憧憬~第一章』は海外では2023年10月に発表されたフランシス初のブルース・アルバムだ。前回のインタビューでも語ってくれたが、長年温めてきた“トゥームストーン・ダナリー”プロジェクトが遂に実現。ブルースに根差しながら独自のメロディが際立った、彼ならではのブルースとなっている。

豊潤なキャリアの過去と未来が交錯する2作について、フランシスが全2回のインタビューで語った。まず前編では『復活への旅路』を中心に聞いてみよう。

It Bites FD『Return To Natural』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)
It Bites FD『Return To Natural』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)

<イッツ・バイツは過去を繰り返させないバンドだ>

●お嬢さんと息子さんはお元気ですか?

うん、すごく元気だよ。別の場所に住んでいるけど、明日迎えに行って、ペンシルヴァニア州レイク・アリエルにある僕の自宅“ビッグ・パープル・キャッスル”で4日間一緒に過ごすんだ。彼らといるときが一番幸せだね。

●CD3枚組『紫の城壁の詩~希望、深淵、そして新世界 - The Big Purple Castle』(2022)を発表してから『The Gulley Flats Boys』(2005)と『Tall Blonde Helicopter Live』(1996)のリミックス、ライヴ・アルバム/映像作『 ライヴ・イン・UK Live From The Black Country』(2023年1月20日ウルヴァーハンプトン公演)、そして2枚のスタジオ・アルバムを発表するなど、凄まじいハード・ワーキングぶりですね。

あまり“働いている”感覚はないんだ。いつもだいたい10曲ぐらいのアイディアが頭の中をぐるぐる回っているんだよ。テレビCMを見たり、誰かと会話をすると、新曲が浮かんでくる。だからたまに解き放たないと、頭がおかしくなりそうになるんだ。でも現時点で作る予定なのはトゥームストーン・ダナリーとしての2作目ぐらいだし、マイペースでやっていくよ。

●2024年1月にイギリスのツアーを行いましたが、ファンの新曲への反応はどんなものでしたか?

ここ数年、年の初めにイギリスをツアーするようにしているんだ。今年は4公演やって、すごい盛り上がりだった。イット・バイツの音楽のセレブレーションなんだ。『復活への旅路』からは「愛しのマグダレーナ Magdalena」「アウト・オブ・オーダー」をプレイした。2曲だけだったのは、まだアルバムが発売になっていない状態でいくつも新曲をプレイしたくなかったのと、昔のイット・バイツの曲が求められているからだった。リハーサルに3日間しかかけられなかったのも理由だったな。でも新曲への反応は素晴らしいものだった。バンドはドラムスにチャド・ワッカーマンを加えた新しいラインアップだった。去年よりも、あまりキッチリせず自由で緩いノリを重視したんだ。すべてが完璧である必要はないからね。『ライヴ・イン・UK』に収録した2023年のテイクよりも緩くてデンジャラスだよ。

●『ライヴ・イン・UK』『復活への旅路』はイット・バイツFD名義でリリースされましたが、ソロ・アルバムとはどのように区別しているのですか?

ソロとイット・バイツでは脳の異なった部分を使うんだ。イット・バイツには独特の曲展開、独特のメロディがあるからね。とはいっても過去のイット・バイツの音楽性を自己模倣するわけではない。イッツ・バイツは過去を繰り返させないバンドなんだ。1枚目のアルバムと2枚目はまったく異なっていたし、3枚目もユニークな個性を持っていた。『復活への旅路』はそれとも異なった音楽性だよ。パラドックスのようだけど、だからこそイット・バイツの名前で出すのに相応しいんだ。

●『復活への旅路』は最初からイット・バイツのアルバムとして作り始めたのですか?それとも当初はソロとして作り始めて、バンド名義にシフトしていったのですか?

5、6年前、イット・バイツの曲をやるショーを始めた頃は、ただ楽しみながら昔の曲をプレイしていたんだ。でも毎年やるごとに、よりシリアスになっていった。それが徐々にクリエイティヴな方向に向かっていったんだ。それで作り始めたのが『復活への旅路』だった。最初からイット・バイツを前提として作った作品だったんだ。自分のソロとして書き始めて、途中で「やっぱりイット・バイツ向きの曲だな」と方向転換を出来るものではない。脳の使う部分が異なるんだよ。もしかしたら『復活への旅路』を聴いて「これは自分の知っているイット・バイツの音楽と違う」という人もいるかも知れない。でも、それこそがイット・バイツの音楽の本質なんだ。音楽のチャレンジを楽しんで、自分自身をプッシュする新しい音楽をやっている。海辺を歩いていて足が着かないことに気付く瞬間にマジックが起こるんだ。転倒して、顔面から地面に突っ込むことだってあり得る。でもそんなリスクがあるから面白いんだよ。

●海外レコード会社の資料には“プログレッシヴの原点に立ち返る”とありますが、あなたは1980年代のイット・バイツをどの程度“プログレッシヴ・ロック”と見做していましたか?

イット・バイツには4つの異なった要素があったと思う。まずひとつ、僕たちはパンク・バンドだった。セックス・ピストルズとも通じる攻撃性と誰にも耳を貸さない自由度があったんだ。さらに僕たちはR&Bバンドであり、ポップ・バンドだった。そしてミュージシャンズ・バンドでもあったんだ。フュージョンやプログレッシヴ・ロックのバンドのようにね。さらに鉄壁のリズム・セクション、個性のあるメロディと歌詞世界、微妙な音の隙間などが一体となって、イット・バイツの音楽性を形作るんだ。だからプログレッシヴな側面は備わっているけど、それはイット・バイツの個性の一部分だということだ。バンドがデビューした頃、僕たちはまだ19、20歳の若者だった。でも同世代より上の年齢層が聴くような音楽が好きだったんだ。セックス・ピストルズの「アナーキー・イン・ザ・UK」は衝撃的だった。音楽そのものよりも、そのアティテュードに感銘を受けたよ。周囲がどう思おうが知ったことじゃない、“ファック・ユー!”という姿勢を持っていたんだ。

●イット・バイツが『ザ・ビッグ・ラド・イン・ザ・ウィンドミル』(1986)でデビューしたとき、プログレッシヴ・ロックのファンから支持を得たのは、ちょうど真空状態だったことがあったと思います。イエスやジェネシスはポップになったし、ピンク・フロイドは活動していなかったので、その代わりとなるバンドを求めていたのではないでしょうか?2作目のアルバム『ワンス・アラウンド・ザ・ワールド』(1988)はスティーヴ・ヒレッジをプロデューサーに起用していたし...。

うん、僕たちは1970年代のプログレッシヴなバンドが好きだった。イエス、ジェネシス、フォーカス、ピンク・フロイド、リターン・トゥ・フォーエヴァー、マハヴィシュヌ・オーケストラ...彼らから多大な影響を受けたことは、僕たちの音楽を聴けば明らかだろう。

Francis Dunnery / IAC MUSIC JAPAN
Francis Dunnery / IAC MUSIC JAPAN

<人間は自然界との接点を取り戻して、自分たちが猿であることを思い出すべき>

●1990年に解散して30年以上が経つにも拘わらず、イット・バイツ名義のニュー・アルバムが発表されるというニュースは世界中のファンを驚喜させました。いつまでも愛される、このバンドはどんなところが特別なのでしょうか?

イット・バイツの音楽は、聴く人の毛細血管まで潜り込んで、出ていこうとしないんだよ。特にメロディにはスペシャルなものがあると思う。僕自身、このバンドのマジックに魅せられている。だからこそイット・バイツFDとしてライヴをやって、アルバムを出すことにしたんだ。

●『復活への旅路』のレコーディングは2023年12月16日から21日に行われたそうですが、わずか5日間で完成したことに驚きます。

うん、すごく集中して作ったアルバムだった。完成したときは消耗しきっていたよ(苦笑)。イット・バイツの過去の3枚のアルバムはどれも8週間ぐらいかけたものだった。しかも当時はバンド全員が常に行動を共にしていたんだ。1日24時間一緒にいて、そのうち18時間曲作りをして、ずっとリハーサルをして、音楽について話していた。イット・バイツは人生のすべてだったんだ。でも今ではみんな自分の人生があるし、そういうわけにはいかない。だからとにかく5日間、集中してレコーディングすることにしたんだ。

●事前に曲の構成やアレンジなどは決めていましたか?

いや、ベーシックなメロディを書いていた程度だった。デモも作っていなかったし、みんなで集まって完成させていったんだ。アルバムはアナログ・テープで録ったから、デジタルのように切り貼りするのも難しかった。オールドスクールな、ほとんどライヴ・レコーディングだったよ。もちろんもっと時間があれば入念に曲構成を練ることが出来たんだろうけど、それよりもその瞬間のエネルギーを捉えたかった。昔の“モータウン”ソウルなんて1日でレコーディングを済ませていたんだ。ザ・ビートルズやザ・ローリング・ストーンズだってそうだよ。そういう時代だったとはいえ、プレッシャーはそうとうなものだっただろうね。でも、そんなエネルギーを放出することで、音楽に生々しい刺激を与えるんだ。

●『ライヴ・イン・UK』を録った2023年1月、イギリス・ツアーの時点で、新曲のアイディアはどの程度あったのですか?

何もなかったよ(笑)。その時点で頭の中にあったアイディアは、結局使わなかったんだ。

●アルバムのレコーディングに使ったウェールズのモンマスにある“ロックフィールド・スタジオ”はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」やオアシス、バッジーなどで知られるスタジオですが、どのような経験でしたか?

“ロックフィールド”でレコーディングすることにしたのは、特定のアーティストやレコードとは関係ないんだ。自然の中、農場にある滞在型のスタジオで集中してアナログ・レコーディングしたかった。「ボヘミアン・ラプソディ」で使ったテープ・レコーダーがあって、みんなで「オオッ!」と色めき立ったけどね(笑)。

●アナログ・サウンドにこだわったのは何故ですか?

デジタルのサウンドが嫌いなんだよ。まあ大概の人は気にしやしないけど、とにかく耐えられないんだ。アナログの波形が滑らかなものだとしたら、デジタルは小さな四角形がカクカク連なっているように感じる。“音”を聴いているのではなく、そのコピーのコピーを聞かされている気分だ。

●これからもアナログ・レコーディングを行っていくつもりですか?

そうしたいけど、現実的には難しいね。15分のアナログ・テープは550ポンド(約10万円)するんだ。それが何本も必要になるから...想像を絶するよ。

●精力的なペースで作品を発表してきたあなたのようなアーティストが毎回アナログ・レコーディングをしていたら確かに経費的に大変ですよね...。

うん、でもこれからしばらくアルバムは出さないと思うんだ。アイディアのストックは使い果たしたし、農場のこととか、人生やらなければならないことが多いからね。だから今回はフンパツしたんだよ!

●「ウィアー・ゴーイング・トゥ・クリーン・ザ・シー」は10分近くの大曲で、イット・バイツ時代の「ワンス・アラウンド・ザ・ワールド」を思い出したりもしました。

うん、まあ“長い曲”という点では共通しているね。それぐらいなものだと思うけど(笑)。『復活への旅路』全体を貫くテーマは、子供たちをスマホやコンピュータから引き離さないと、彼らの人生を台無しにしてしまうということなんだ。子供たちの自殺や鬱、肥満には、明らかに家に閉じこもっていることが関係しているだろう。現代の青少年が屋外で過ごす時間は、刑務所で服役中の囚人と同程度だと読んだこともある。悲しいことだよ。「ウィアー・ゴーイング・トゥ・クリーン・ザ・シー」は海洋の汚染に対するメッセージ・ソングだ。環境問題は我々すべてに関わることだし、3分や4分で語りきれることではない。人類は日々自分自身、そして自分の子供たちに毒を呑ませているんだ。海をきれいにすることは、自分の心をきれいにすることだ。自分の主張したいことはハッキリしていたし、曲は長くても、すぐに書き上がったよ。ギターを手にしてソファに座って、テレビを付けてサッカーを見ながら曲を書くんだ。セルティックFCのKyogo(古橋亨梧)は素晴らしいね。大ファンだよ。ペンシルヴァニアでも世界中のサッカーを見られるんだ。ブンデスリーガやJリーグなどをずっと見ているよ。

●「愛しのマグダレーナ」「今晩突然に… It Happened While We Were Sleeping」では美しいリード・ギターがフィーチュアされていますが、イット・バイツならではのギター・プレイのスタイルは意識していますか?

『復活への旅路』でのギター・ソロはよりブルースに接近している。トゥームストーン・ダナリーをやったことの影響は特にないと思うけど、1980年代のイット・バイツよりもよりブルースに近いよ。それにギターのトーンがよりクリーンなんだ。

●「アウト・オブ・オーダー」は2008年に亡くなったお兄さんのバズに捧げた曲だそうですね。

うん、兄はネクロマンダスというバンドでやっていて、僕の『フランケンシュタイン・モンスター』(2013)は彼に捧げるトリビュートだった。自分がやってきたあらゆる音楽において、兄からの影響があるよ。イット・バイツも彼からの影響が大きいし、バズ・バイツと呼んでも良いくらいだ(笑)。兄は僕の先生だった。ギターを教わったとか、そういうのはなかったけど、ただ彼が弾いているのを見て、さまざまなことを学んだんだ。「アウト・オブ・オーダー」、それから「復活への旅路」は1980年代後半に兄と一緒に書いたアイディアが元になっている。当時のままではなく、当時録ったラフなデモも見つからなくて、ぼんやりとした記憶から書き直したんだ。だからほぼ新曲といえるかも知れない。チャド・ワッカーマンは兄が一番好きなドラマーで、彼がプレイしたアラン・ホールズワースのレコードをいつも聴いていたんだ。だから自分が書いた曲でチャドがプレイしたと知ったら、きっと大喜びするだろうね!

●『復活への旅路』のアルバム全体がお姉さんのフェイさんに捧げたものだとブックレットにクレジットされています。

姉のフェイは僕が生まれたときから僕を支えてきてくれたんだ。今でも僕がやるチャリティ・イベントの広報もやってくれたり、1月のツアーでは、僕のガールフレンドのリジーと一緒に物販テーブルを手伝ってくれた“マーチ・ガールズ”と呼んでいるんだ(笑)。本当に世話になりっぱなしだよ。だからこのアルバムを捧げて、感謝することにしたんだ。

●チャド・ワッカーマンとはどのようにして知り合ったのですか?

ガスリー・ゴヴァンがやっているジ・アリストクラッツ主宰のミュージック・キャンプ“アリストキャンプ”(2019年6月)でアリストクラッツのメンバー達がそれぞれ好きなミュージシャンを呼んできてジャムをやらせるという企画があったんだ。ガスリーが僕に声をかけてきて、ベーシストのブライアン・ベラーがマイケル・マンリング、ドラマーのマルコ・ミネマンがチャドを呼んだんだ。そのときチャドとは初対面だったけど、すぐに打ち解けることが出来た。素晴らしい人だったよ。『復活への旅路』を作るにあたって、チャドみたいなドラマーが欲しいと思った。だったらチャド本人に頼んでみようと思って連絡したら、快諾してくれたんだ。

●今後もチャドと活動していきますか?

チャドは1月のイギリス・ツアーにも同行してくれたんだ。彼は世界中で引っ張りだこのセッション・ドラマーだし、今後スケジュールを押さえられるか判らないけど、音楽的にも人間的にも相性が良かったし、ぜひまた一緒にやりたいね。ただ、才能のあるミュージシャンはあちこちから声がかかるから、なかなか捕まらないんだよ。ジェネシスのトニー・バンクスが言っていたけど、あるレコードでヴィニー・カリウタを起用して、あまりに素晴らしかったんで次も頼んだら、スティングやエルトン・ジョンなどとのツアーでスケジュールが埋まってしまって、どうしても出来ないと言われたってね。まあ、チャドとはまたやりたいし、ぜひ声をかけてみるよ。

●チャドがプレイしたアルバムで最も気に入っているものは?

アラン・ホールズワースの『メタル・ファティーグ』(1985)での彼のプレイは素晴らしいね。チャドから聞いたんだけど、あの音源はデモとして録ったもので、アランはもう一度レコーディングしようと考えていたらしい。でも周囲のみんなが「その必要はない、素晴らしい出来だよ」と止めたそうだ。アランはそれだけ完璧主義者だったんだ。

●アラン・ホールズワースと面識はありましたか?

残念ながら一度も会う機会がなかったんだ。でも兄は会ったことがあると言っていた。特に友人だったとかではなかったみたいだけど、僕にとってもヒーローだったし、すごく羨ましかったよ。

●『復活への旅路』のジャケットは猿たちが温泉に入っているというものですが、どんな意味があるのですか?

人類はみんな猿なんだよ。“王様”や“平民”などという価値観は、人間が後付けで作ったものだ。我々は自然界との接点を取り戻して、自分たちが動物、猿であることを思い出すべきなんだ。この写真は日本で撮られた筈だ。僕も日本の温泉に入りたい。羨ましいね。

●『復活への旅路』はBandcampサイトで“スーパー・リミックス”ヴァージョンがダウンロード販売されていますが、オリジナル・ヴァージョンとはどう異なるのですか?日本仕様盤CDはどちらのヴァージョンですか?

(注:2024年3月にさらに“ファイナル・リミックス”ヴァージョンも発表)

日本盤CDはオリジナル・ヴァージョンだよ。

僕はどのアルバムでも2、3回リミックスするんだ。必ずしも新しいヴァージョンの方が音質やアレンジが優れているわけではなく、ミックスやバランスが異なるだけでテイクは同じだし、どのミックスも異なった理由で気に入っている。僕はいつも過去の作品を作り直しているんだ。『ウェルカム・トゥ・ザ・ワイルド・カントリー』(1991)はずっとミックスが気に入らず、ずっと経ってから再レコーディングして『Return To The Wild Country』(2016)としてリリースした。

●アルバムのインストゥルメンタル・ヴァージョンをBandcampで発表したのにはどんな意図があったのですか?

ファンのリクエストに応じたんだよ。アルバムを出すたびに必ず「インストゥルメンタル・ヴァージョンは出さないんですか?」と訊かれてきたんだ。ヴォーカルや歌詞もアルバムの一部だし、必要不可欠だと考えていた。でもインスト・ミックスを作ってみたら、けっこう良いじゃないかと感じた。Bandcampでリリースしてみたら、好評だったんだ。同じアルバムであっても異なった視点からアプローチすることが出来る、面白い試みだと思うね。これからも続けていきたい。

後編記事ではブルース・アルバム『ブルースへの憧憬~第一章』、そしてフランシスの将来に向けた音楽のヴィジョンを話してもらおう。

Tombstone Dunnery『The Blues Of Tombstone Dunnery』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)
Tombstone Dunnery『The Blues Of Tombstone Dunnery』ジャケット(Inter Arts Committees / 2024年4月12日発売)

【最新アルバム】
『復活への旅路 Return To Natural』
『ブルースへの憧憬~第一章 The Blues Of Tombstone Dunnery Vol.1』

IAC MUSIC JAPAN HP
https://www.interart.co.jp/business/entertainment.html

【公式ウェブサイト】
https://francisdunnery.com/

【2022年のインタビュー】

フランシス・ダナリー、3枚組の新作アルバム『紫の城壁の詩』を語る【前編】
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/d6615cfaad56bc133e329953419a4e81b54e5371

フランシス・ダナリーが振り返るイット・バイツとプログレッシヴ・ロック【後編】
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c544f3e4f3891d8037d4b62e8ac210f15fb3d7d7

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,200以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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