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「シルワン―侵蝕される東エルサレム―」・12〈暴力と麻薬との闘い〉

土井敏邦ジャーナリスト

イスラエル警察や兵士、ユダヤ人入植者との軋轢を避けるために、子どもや若者たちに「安らぎ」と「学び」の場を提供するNGO「マダア」(写真・土井敏邦))
イスラエル警察や兵士、ユダヤ人入植者との軋轢を避けるために、子どもや若者たちに「安らぎ」と「学び」の場を提供するNGO「マダア」(写真・土井敏邦))

【「遊び」と「学び」の場を提供するNGO】

 シルワン地区にユダヤ人入植地が急増し、反発する地元の若者たちと入植者との衝突が続いた。イスラエル警察や軍による弾圧、入植者たちの襲撃によってシルワンの若者たちの間に拘留者や負傷者が続出した。

 この状況を改善するため、2015年、欧州などからの支援を受け、NGO「マダア(視野)」が設立された。子どもや若者たちのために文化活動や遊びの場を作り、できる限り入植者たちと接触させないようにするためである。 現在、センターでは、ダプカ(民族舞踊)など伝統文化の継承、編み物教室、アラビア語やヘブライ語、英語などの語学教室、絵画教室などを開いている。毎日 70~90人の子どもが出入りしている。

「マダア」はパンフレットで若者や子どもに、イスラエル兵や警察との接し方を教えている。(撮影・土井敏邦)
「マダア」はパンフレットで若者や子どもに、イスラエル兵や警察との接し方を教えている。(撮影・土井敏邦)

 2019年8月、この「マダア」を訪ねたとき、子どもたちが10台ほどのコンピューターが並ぶ大部屋でテレビ・ゲームに興じていた。

 「家にパソコンはあるの?」と9歳の少女に訊くと、「いいえ。だからここで遊ぶの」という答えが返ってきた。

家庭にパソコンがない貧困家庭が多い。子どもたちがコンピュータでゲーム遊びができる場も提供している。(撮影・土井敏邦)
家庭にパソコンがない貧困家庭が多い。子どもたちがコンピュータでゲーム遊びができる場も提供している。(撮影・土井敏邦)

 もう一人の13歳の女の子は「家で何もせず過ごす代わりに、ここで楽しいことをして時間を過ごします。家ではテレビとスマートフォンばかり見てしまうので、センターに来ると楽しいです。ここの活動では色々なことを教わります。将来、私自身が子どもたちのリーダーになれるように学んでいます」と答えた。

【軍や警察、入植者との衝突で荒む子どもたち】

 家屋破壊や入植地の問題がある中、シルワンの子どもたちの心理状態を「マダア」センターの副代表、ジャダラ・アルジャバディはこう説明する。

シルワンの子どもたちの精神的なストレス説明する「マダア」センターの副代表、ジャダラ・アルジャバディ。(撮影・土井敏邦)
シルワンの子どもたちの精神的なストレス説明する「マダア」センターの副代表、ジャダラ・アルジャバディ。(撮影・土井敏邦)

 「2004年頃から子どもたちは難しい状況を体験しています。ユダヤ人入植者がシルワンに住み始めてから問題や摩擦が始まったのです。約10年間で子どもたちの精神状態は蝕まれました。第二次インティファーダ(民衆蜂起/2000~2005年)の頃は入植者や軍との衝突が続きました。この辺りの子どもたちは夜、 家で寝られませんでした。衝突が夜6時から深夜2時まで止まなかったからです。

 そうした精神的ストレスのため、約7割ほどの子どもはとても攻撃的になりました。しかしセンターで取り組んだ結果、状況はずいぶん改善されました。いつも外で遊んだり、ケンカしたりしていた子どもたちが、今はここでパソコンや遊具で遊び、色々な文化活動をしています。センターは午前9時から午後6時まで開けています。外ではなくここにいれば、家族も安心です。以前は兵士や警官がいるので 子どもを外に出したがらない保護者もいました」

【若者たちを蝕む麻薬】

 「シルワン地区での家屋破壊、ユダヤ人入植者や警察の存在は、子どもたちに二つ影響を及ぼしています。それは暴力と麻薬です。麻薬はイスラエル政府が『保護』していると私たちは確信しています。イスラエル政府は住民を追い出すためにあらゆる手を使います。罰金、不動産の没収、偽札、固定資産税、水道代、電気代、あの手この手で追い込みます。

 例えば子どもが3~4人いる家庭で月収5000シェケル(約15万円)としましょう。その月給で食費、学校の経費、衣類、罰金、税金、水道、電気、子ども1人か2人が学校を中退し働かないとやっていけません。若者たちの麻薬問題の背景には、そんな家庭の経済状況があります」

 「マダア」代表のズへイル・アルジャバディも、シルワン地区の環境が子ども、青年たちを麻薬に向かわせると言う。

家庭の貧困でに学校を中退する子どもたちが麻薬に走ると語る「マダア」代表ズへイル・アルジャバディ。(撮影・土井敏邦)
家庭の貧困でに学校を中退する子どもたちが麻薬に走ると語る「マダア」代表ズへイル・アルジャバディ。(撮影・土井敏邦)

 「残念ながら、学校を辞めさせられる子どもたちが多くいます。経済状況が厳しく 12~13歳から働いて家計を助けるためです。そんな子どもたちが困難に直面すると、すぐ麻薬に向かってしまいがちです。若者が麻薬に向かう大きな原因の一つは、そのような家庭の経済状況です。

 二つ目は生活状況の困難です。シルワンの子どもたちに関する情報はイスラエルの治安機関や警察が把握さえ登録されています。デモや抵抗運動に関わった経歴のある若者はイスラエルでの就職は難しい。一方、パレスチナ人の商店の経営は厳しく、若者に十分な給料が出せません。そんな状況の中で、麻薬販売が簡単に収入を得る方法なのです。絶望的な現実から逃避する方法にもなります」

 「麻薬に手を染める原因の一つは、精神的なストレスです。まだ大人になりきれていない12~13歳の子どもがこうしたストレスや問題にさらされ、また家族が経済的に苦しんでいる姿を目の当りにすることは辛いことです。そういうストレスから逃避するために麻薬に走ります。最初はタバコと一緒に始めます。同じような状況にある他の若者たちと一緒に麻薬を使用するうちに徐々に回数と量が増えていきます。そのためにお金が必要になり、お金を得るために非行に走ります。盗み、殺し、誘拐、お金になることなら何でもやります。車を盗んだり 家や店から盗んだり、外国人を誘拐したり、麻薬のためなら何でもやります。もはや普通の意識ではありません」

 「麻薬依存には二つのタイプがあります。人との関わりを断ち孤立する場合と、もう一つは 暴力的になり他人を巻き込む場合です。二つは相互に関わっています。麻薬の存在を守っているのは、イスラエル軍と『シャバク』『 シンベト』などの治安機関だと私たちは見ています」

 「密売人が麻薬をユダヤ人に売ったら、イスラエルの治安機関はすぐに動きます。そのパレスチナ人の密売人は100%、逮捕されます。しかしパレスチナ人にいくら売っても、全く気にしません。

 1980年代から二つのインティファーダを経験している私たちの世代は、イスラエルの治安機関が麻薬を使ってパレスチナのために闘う若者を潰そうとしてきたことを知っています。多くの囚人が解放後 麻薬が原因で死んだり、未来を失ったりしました」

 「『マダア』では麻薬の問題には力を入れてきました。まず12歳以上の子どもに麻薬の影響について教えます。母親向けの講習も行いました。子どもとの接し方、どう麻薬から守るか、息子がどこからお金を得ているか。もし麻薬を持っていたら、どこで入手したか調べることなどです。これ以外のコースも始めました。子どもたちがセンターで過ごし、目の届くところにいる時間を増やすためです」

【“パレスチナ人”という帰属意識】

 東エルサレムのパレスチナ人はイスラエルの市民権はないが「居住権」を持ち、イスラエル国内で働けるし、イスラエル人と同じような社会保障の恩恵を受けている。そのためにヨルダン川西岸やガザ地区のパレスチナ人の中には「自分たちとは違うパレスチナ人」という声は多い。

 では彼ら自身、ヨルダン川西岸やガザ地区の住民と同じような“パレスチナ人”という意識はあるのか。それとも「アラブ系イスラエル人」と呼ばれるイスラエル内のパレスチナ人に近いアイデンティティなのか。

 「エルサレムのパレスチナ人はよく謂れのないことで責められますが、エルサレムはヨルダン川西岸とガザ地区をつなぐ中心点で、私たちのアイデンティティは“パレスチナ人”です」と「マダア」代表のズヘールは強調する。

 「私たちは(イスラエル建国後もイスラエル国内に留まった)『48年アラブ人』ではありません。私たちの『イスラエルの身分証』(居住証明書)は形式的なものです。エルサレムのパレスチナ人はイスラエル当局による暴力、憎悪、人種差別を私たちは受け続けています。『身分証』はこれに対処するためのもので、“パレスチナ人”としてアイデンティティを手放さないことは変わりません。エルサレムでもヨルダン川西岸でもガザ地区でも 私たちのアイデンティティと国籍は“パレスチナ人”です。

 先祖代々エルサレムに住んできた私たちは、イスラエルの『身分証』を持つことを強いられました。自分たちの家、土地に居続けるためです。でも私が“パレスチナ人”であることは変わることはありません。ここの99%の人がそうです。自分がここに居続けるためにイスラエルの『身分証』を持っているのです」

丘の斜面に沿って家々が密集するシルワン地区。(写真・土井敏邦)
丘の斜面に沿って家々が密集するシルワン地区。(写真・土井敏邦)

 しかし東エルサレムのパレスチナ人、とりわけ若者の中には、イスラエルの首都に組み込まれたエルサレムで、将来、経済的また社会的に安定した生活環境を得るために、イスラエル国内の大学に進学し、イスラエル内で就職を希望するする者や、イスラエル国籍の取得をめざす者も少なくない。

 イスラエル支配下のエルサレムでイスラエル人同様の社会保障の恩恵を受けながらも、家屋破壊や土地から追放の危機に怯えながら、当局の差別政策の中で暮らす東エルサレムのパレスチナ人たちは、“パレスチナ人”というアイデンティティと、安全な生活の希求という二つの狭間で揺れ動いている。

 「マダア」副代表、ダジャラが言う。

「他に方法はありません。世界中に住める市民権を得たとしても自分の土地からは出て行きません。どんな『身分証』であっても、ここで生きていくために所持するしかありません。私は“パレスチナ人”です。これは不可侵です。パレスチナ人として生まれ、パレスチナ人として死にます」

(終わり)

ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。

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