ウインブルドンを終えた錦織圭。夏の超過密スケジュールには、プロとして最良の選択と最善の決断を!
テニスの4大メジャーであるグランドスラムの第3戦・ウインブルドンの4回戦で、第5シードの錦織圭(ATPランキング6位、6月27日付、以下同)は、第9シードのマリン・チリッチ(13位、クロアチア)と対戦したが、1-6、1-5になった時に、左わき腹の痛みのため途中棄権をして敗れた。
「同じ場所で2年連続リタイアするのは情けない思いもあります」と語る錦織が、ウインブルドンでの棄権するのは3回目。昨年は、左ふくらはぎの筋膜炎のため2回戦を棄権し、さらに遡って、グランドスラムデビューとなった2008年大会1回戦では、左側の腹筋痛のため途中棄権した。
「筋肉が切れるぐらいまではやろうかと思っていた」と錦織は、強い覚悟で臨んだウインブルドンだった。だが、「前の試合(3回戦)と比べものにならないほど痛かった」という彼は、4回戦で1球もフルパワーで打つことができなかった。
「たぶん人生の中で一番けがの痛みと闘った」と振り返った大会で、錦織は、「来年への自信になる。サーブがもっとしっかりすれば、もっと芝で活躍できる」と収穫もあったと彼らしく前を向いた。
しかし、8月にはリオデジャネイロオリンピックを含め、北米でのハードコートシーズンが、超過密スケジュールとなるため、けがの不安からか、男子プロゴルフの松山英樹がオリンピック出場辞退したことを受けて、錦織の本音がもれた。
「松山君が出ないのを見て、ちょっと僕も(オリンピックに)あんまり出たくなくなった。ちょっと会えるのを楽しみにしていたので」
リオからオリンピック正式競技に復帰したゴルフだが、スケジュールやジカ熱を理由に、トップ選手の出場辞退が多発している。
実はこのような現象は、1988年のソウルオリンピックから正式競技に復帰したテニスでも当初見られ、1990年代に、世界ナンバーワンのピート・サンプラス(アメリカ)はオリンピックに一度も参加しなかった。
テニスでは出場を促すために、2000年のシドニーオリンピックからATPランキングポイントを獲得できるようになり、欠場するトップ選手はほとんどいなくなった。2012年のロンドンオリンピックまでは、ランキングポイントを得ることができたが、今回のリオから再びポイントは獲得できなくなった。名誉を重んじるためという話もあるが、理由は定かではない。
この結果、リオでの出場資格があっても、プロテニスとしての活動を優先させるために、オリンピックを辞退する選手が再び出るようになった。
テニスは、100年以上の長い歴史を誇る4大メジャーであるグランドスラムを中心に動いており、そのうえでワールドプロツアーが確立している。この点は、やはり4大メジャーがあり、プロツアーがあるゴルフとテニスは類似しており、さらに選手が、過密スケジュールを強いられることも同じであり、難しい状況をはらんでいる。
最近日本では、やたら何でもオリンピックが一番という風潮が強いが、それはやはり競技によって異なる。特に、プロスポーツとして確立している競技は違う。サッカーではワールドカップ、ゴルフでは4大メジャー、そして、テニスではグランドスラム、歴史から鑑みても、それぞれが最高峰である。
話を錦織に戻そう。もし錦織が、オリンピックに出場するのなら、コンディションが万全に戻っているならば、だ。もし、今回の左わき腹のけがのように何らかの不安を抱えているのなら、過密スケジュールを乗り越えるのは難しいだろう。
リオデジャネイロオリンピック(8/4~14)の後には、すぐにグランドスラムの今季最終戦のUSオープンテニス(8/29~9/11)が控えており、錦織がそこにピークをもっていけるかどうかかなり重要だ。
錦織の左わき腹のけがは、筋肉の痛みのようで、安静にすれば治るだろう。ただし、どのぐらいの時間を要するかはわからない。また、錦織が若い頃から、くり返し痛めてきた箇所なだけに完治させて、戦列に復帰してほしい。
今年27歳になる錦織は、プロテニス界ではもう若くない部類に入り、2007年にプロ転向した彼は、歴戦の強者といえる。そんな彼は、プロになる時に、グランドスラムで優勝することを目標に掲げた。今、彼の悲願であるグランドスラム初制覇を狙う非常に大事な時期であることは間違いない。そのことをあらためて肝に銘じ、今後くれぐれも体のコンディションと相談しながら、プロテニスプレーヤーとして最良の選択と最善の決断が、本人によってなされることを願いたい。