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樋口尚文の千夜千本 第42夜「恋人たち」(橋口亮輔監督)

樋口尚文映画評論家、映画監督。

この国の病める感情をしたたかに抽出する

140分に及ぶ長篇、しかも主役の三人の”恋うる人たち”はワークショップで見出された無名の俳優(昔ふうに言えば、それも”性格俳優”)によって占められている・・・という作品だが、圧倒的な魅力で間然するところなかった。惹句めいた言い方をすれば、この橋口亮輔監督の七年ぶりの新作は、本年公開された作品でずば抜けた面白さを漲らせている。とはいえ、本作で描かれるのはどちらかといえば目を背けたくなるような、今の日本のそこかしこに渦巻く断絶、差別、虚無の感情である。

まず断絶というのは、何の落ち度もない妻を通り魔に殺され、そのショックと怒りで普通の暮らしが営めなくなったアツシ(篠原篤)の挿話である。自らも心を痛めつけられたアツシは、妻を喪失した衝撃に縛られ、一方で犯人への復讐に拘泥し続ける。彼自身が被害者であるアツシの、この落胆と放心はごく自然なものであるはずなのだが、薄情な社会の速度と効率は彼の感情をいっさい汲んでくれることはない。それどころか、働けなくなったがゆえの健康保険の滞納で問答無用に悪者扱いされる(この役場でのアツシと山中崇扮する保険課職員の血も涙もない会話がまた巧い)。彼がたどりついた仕事が橋梁の保守点検というのは、橋口監督の素晴らしいアイディアである。黙々とコンクリートをノックする行為は、アツシの孤独と自問自答の象徴のようである。

そして差別というのは、エリート弁護士をもって任ずる四ノ宮(池田良)の挿話だ。物語の中盤まで、四ノ宮のエゴイスティックなナルシズムをぷんぷんさせている、ひとことで言えば世の中なめくさっている感じが実によく出ている。こんな高慢な奴は痛い目にあえばいいと観客の誰もが思ったであろう頃に、階段を降りる彼の背中を謎の手がどついて突き落とす。一瞬だが、この怪我の瞬間の描写はどきっとする。それが誰の手であったのかは探られないが、その手は世間に充満する悪意そのものという感じなのだ。したがって、このエリート君はいい気なものだが、きっとそういった悪意にさらされて、とんでもない目に遭うのでは、という予感がたちこめる。

最初のジャブは、彼の性格に辟易した同性の恋人(中山求一郎)が骨折中の彼に鞭打つように去って行ったこと。そしてとどめは最大限に気をつかって大切にしていた意中の人・聡(山中聡)から最悪のかたちで拒絶されたこと。特に後者の、なんとなく悪いムードが小出しにたちこめてゆき、四ノ宮が狼狽する過程の描写は秀逸だ。そして、打算とロジックで勝ち続けてきた四ノ宮は、そのスキルが何ら解消してはくれない理不尽な同性愛者差別という感情によって逆襲される。通話を切られてもなお、四ノ宮が聡への思いを独白し続ける場面で、打ちひしがれた四ノ宮が初めて純情をもろ出しにする。観客は到底同情の余地なしだった四ノ宮をここではじめて赦すことだろう。こんな四ノ宮という人格の化学変化が、細やかな演出の積み重ねで炙り出される。

さてもうひとつの虚無。マシーンのように無味乾燥で感情のさざなみもない日常に、しかたなく埋没している主婦の瞳子(成嶋瞳子)。まずこの日常の描写が目を奪う。何も話さない頭髪も薄くなった夫にこつんとつつかれるのが房事を開始するという合図で、瞳子は上の着衣すら脱がずに機械的に上下運動して事を済ませ、義務を済ませたかのようにまた灯りを消した居間に戻って煙草を喫う。この一連の無言の描写だけで瞳子のニヒルさが的確に伝わってくるのが見事だ。しかもまたまた非凡な思いつきは、このいつもシケた顔をした瞳子が別人のようにいきいきとした笑顔を見せるのが、パートの友人と皇室の雅子妃の追っかけをしている時だ、ということである。これは案外と思いつかないアイディアだ。

死ぬほど淀んだ地方の町の日常のなかで、瞳子は雅子妃の映像を見たり、少女マンガふうの画を描いて、辛うじて夢を保っている。その精神的に極度乾燥した彼女が、いんちきな精肉業者の藤田(光石研)の嘘に引っかかって一時は家を飛び出しかけるが、ひょんなことから藤田のもはや人間を棄てた実態を垣間見ることとなって慄然とする。かなりの虚無感を夢想の目くらましでやり過ごしていた瞳子の前に、ホンマモンの夢が降ってきたような錯覚に陥って、すっかり女を忘れていた彼女がおめかしして綺麗になろうとするくだりは泣かせるが、しかしそこにはもっと絶望的で危険な虚無がぽっかり口を開けて待っていたわけである。このあたりの最低の雰囲気がまた実に巧みな展開で表現されているのだが、本パートの貢献者はやはり瞳子に扮した成島瞳子で、冴えない人生に苛立つでもなく、淡々と折り合いをつけて生きようとしている「何とも言えない感じ」が終始よく出ている。

しかし本作の好ましいところは、こうして断絶と差別と虚無の淵に追い詰めた”恋うる人たち”に、ささやかな救済の予感を与えていることで、この橋口監督の優しさは大変悪くない。と言うか、実はそれは本作を貫く演出の姿勢にもつながることで、橋口監督はこのさまよえる傷ましい人物たちを、その感情のエッセンスがにじむような象徴的な場面を与えて追い込んでゆくのだが、決して非情ではない。この人間への愛情と演じ手への信頼を基本装備した厳格なるニュートラルさゆえに、かくも人生の不快な瞬間ばかりを描いた作品がまるで嫌な感じを与えないのである。これはとても稀なことだと思う。

さて、設定のディテールで興味深かったのは、アツシに温かく接する会社の先輩・黒田(黒田大輔)が、かつて活動家時代に皇居にロケットを飛ばそうとして誤って爆発、自らの腕を失ったという告白のくだりだ。黒田はそんな過去の熱くなってずっこけた自分をちょっと恥じ入りながら回想するのだが、彼にとっての皇室は当然ながら特権的な遠いイメージのものだったはずだ。ところが次世代の瞳子は、雅子妃を夢と羨望の対象として、自らのシケた人生の対極のものとしてアイドル的に憧れている。しかし、今やそんな皇室とて悩み多く、国民に朗々と夢のイメージをふりまき続けるのがなかなか大変だということを、誰もが知っている。何かこのちょっとしたモチーフの変遷も、なぜ日本はこんなにあらゆるものを矮小化し、卑屈にし、ぎすぎすと互いが首を絞め合うような社会になってしまったのだろうか、と仄めかすようである。

映画評論家、映画監督。

1962年生まれ。早大政経学部卒業。映画評論家、映画監督。著作に「大島渚全映画秘蔵資料集成」(キネマ旬報映画本大賞2021第一位)「秋吉久美子 調書」「実相寺昭雄 才気の伽藍」「ロマンポルノと実録やくざ映画」「『砂の器』と『日本沈没』70年代日本の超大作映画」「黒澤明の映画術」「グッドモーニング、ゴジラ」「有馬稲子 わが愛と残酷の映画史」「女優 水野久美」「昭和の子役」ほか多数。文化庁芸術祭、芸術選奨、キネマ旬報ベスト・テン、毎日映画コンクール、日本民間放送連盟賞、藤本賞などの審査委員をつとめる。監督作品に「インターミッション」(主演:秋吉久美子)、「葬式の名人」(主演:前田敦子)。

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