樋口尚文の千夜千本 第221夜『ナミビアの砂漠』(山中瑶子監督)
鼻ピアスの野性が浮き彫りにする砂漠
河合優実扮する主人公のカナは、さながら人工的な無菌室におしこめられていらだつ野性の民族のようだ。その鼻ピアスも、もはや彼女が獰猛に暴れまわるほどにどこかの部族のしるしのように見えてくる。冒頭、ただ歩いているだけなのに、もうカナのやっかいな性格が張り出しているのだが、観終えたあとに不思議とこのカナが許せる存在に思われてくるのはなぜだろう。
カナはけっこうわがままに優しくしてくれる男どもに食ってかかり、気に入らないとやにわにバイオレンスに走ったりする。だが、この当たりさわりあるカナのコミットのしかたゆえに、この一見優しい男たちの薄気味悪いところが浮き彫りにされてくる。ホンダ(寛一郎)は女々しく、カナに追いすがるように愛を表明するのだが、彼が愛しているのは自分にほかならない、という感じがカナの極端さによって炙り出される。次なる男のハヤシ(金子大地)はもうちょっと頼りになりそうでいて、逆にカナが自らの領域を侵犯してくると神経質に線引きしたがる。その範囲においてハヤシはカナに優しく文句のつけようもない感じなのだが、感情と本能の女・カナのこちらに食い込んでくるような愛情表現が、実は苦手だったりする。そんなところもがまんして付き合ってやっているのに、これ以上何を望むのかという傲慢さがハヤシに見えかくれする。山中瑶子監督は、このへんの人物心理をじわじわと感じさせるのが巧い。
この誰もがよそよそしい社会にあって、ごりごりと相手の感情に押し入らないと気がすまないカナの「野性味」によって、こうした自分好き男子たちの秘めたる狭量さや他人を寄せつけないバリアが暴かれていく。カナにとっての恋愛関係は、もっと生々しく自己をまるだしにしてぶつかりあうものだから(それもはなはだ「やっかい」だが!)、この男どものデフォルトの距離感ががまんならない。
このカナという暴れん坊のリトマス試験紙によって試されるのは、恋愛周りの男どもに限らず、たとえば心理カウンセラーの葉山(渋谷采郁)の表情、言葉も何ひとつ誤ったことは言っていないのに、カナを通して眺めると薄気味悪さの極みである。他者を人一倍慮っているようでいて、ほぼロボティに他者を遮断している感じがむんむん漂っている。そんな人間関係にうんざりしているカナが、砂漠をさまよううちにふと出会ったオアシスのような、謎の隣人(唐田えりか)との唐突なキャンプファイヤーの場面は、山中監督のひらめきを感じた。ここでマイク真木と唐田えりかの掛け算というのは、なかなか思いつくものではない。
事ほどさように人間関係の欺瞞に着火しまくる鼻ピアス部族のカナによって、この社会にすっかりしみついた慇懃無礼でエゴイスティックでよそよそしい人の距離感がワイルドに輪郭づけられていき、われわれはそんなカナをはなはだ「やっかい」に思いつつも、その暴くものを深い共感とともに眺めてしまうのである。