樋口尚文の千夜千本 第222夜 『あゝ野麦峠』4Kデジタルリマスター版(山本薩夫監督)〈前篇〉
映画の妙味は「手工業」の賜物である
”赤いセシル・B・デミル”と呼ばれた山本薩夫監督は、そもそも戦前の松竹蒲田撮影所で成瀬巳喜男監督に師事していたが、新興のPCL(後の東宝)に成瀬とともに移籍して監督デビューした。戦時中は心ならずも国策映画にも関わり、召集後の軍隊では非道な扱いを受けたが復員後に監督復帰する。だが、折からの東宝争議の急先鋒となって退社、以後は独立プロで『暴力の街』『真空地帯』『太陽のない街』『荷車の歌』『人間の壁』『松川事件』などの社会派作品を続々と発表した。
しかし山本薩夫監督の独特な持ち味は、そういった社会を告発する尖鋭な独立プロ作品を軸としながら、一方では明晰快調にしてスケール感のある演出手腕を買われて大映の娯楽活劇『忍びの者』をヒットに導き、同じく大映の『傷だらけの山河』『氷点』『座頭市牢破り』『牡丹燈籠』、東映『にっぽん泥棒物語』などホームドラマ、メロドラマ、活劇、怪談、コメディまで幅広い娯楽作の手練れとしても活躍したところだ。
その厳格な社会批判の視点とおおらかな娯楽作のクラフツマンシップが同居した山本監督の資質は、60年代の『白い巨塔』、70年代の『華麗なる一族』『不毛地帯』といった山崎豊子原作の大河作品や石川達三原作の『金環蝕』で存分に味わえる、円熟味あるストーリーテリングをもって大衆を魅了した。『あゝ野麦峠』はそんな70年代の、山本監督晩年のピークと言うべき大作であった。ちなみにこの1979年度のキネマ旬報ベスト・テンをふり返ってみると、1位が今村昌平『復讐するは我にあり』、2位が長谷川和彦『太陽を盗んだ男』と超弩級の傑作が並ぶなか、『あゝ野麦峠』は9位に選出されている。この年は木下恵介が新作『衝動殺人 息子よ』を放っている一方でクロード・ガニオン『Keiko』、柳町光男『十九歳の地図』といった新人監督の台頭もあって、まさに新旧邦画の分岐点の感ありだが、『あゝ野麦峠』もその「名匠」側の底力を見せつける作品だった(ちなみに1910年生まれの山本監督は木下恵介より二歳年長である)。
山本茂実のルポルタージュである『あゝ野麦峠』は1968年に刊行されて反響を呼び、翌69年には内田吐夢監督、吉永小百合主演で製作発表までされながら頓挫したという困難な企画であったが、その10年後に山本監督、大竹しのぶ主演でようやく映画化がかなった。大竹しのぶといえば、『青春の門』で初めて映画出演をした際、大反対しそうだった父が「サユリスト」であったので、『青春の門』の監督は吉永小百合の代表作『キューポラのある街』の浦山桐郎だと言って説得したという。そんな若き天才・大竹しのぶが、吉永が格別の思いを寄せながら実現できなかった『あゝ野麦峠』の主役を張ることになったのだった。
はたしてそんな難題に満ちた企画『あゝ野麦峠』とはいかなる内容であったかといえば、明治後期にわが国の殖産興業の担い手だった製糸工場の工女たちの悲惨きわまりない過酷な労働の日々を描いたものだ。飛騨の農村から吹雪の雪山を越えて、ようやくの思いで信州岡谷の製糸工場に着いた幼さの残る工女たちは、今でいえばパワハラ、セクハラの極みのごとき壮絶な職場環境で、日々けなげに糸を紡ぐ。
山本監督は例のごとく明快にしてきびきびとしたコンティニュイティで辛く苦しい工女たちの動静を描いてゆき、彼女たちに暴力をふるったりおだてたりしながら搾取しまくる資本家とその手先のありようを辛辣に凝視する。そしてそんな苛酷なムードの物語のなかで、当の虐げられた女子たちが、それでもけなげに青春を生きているさまが点描され、そこがこの作品を単なるスローガン的な社会告発映画に終わらせない美徳となっている。
『あゝ野麦峠』は1979年6月9日に日比谷の有楽座という由緒ある洋画ロードショー館で先行公開された後、6月30日より全国東宝系で封切られてヒットした。さまざまな事情から近年は広く上映される機会がなかった本作だが、このたび4Kデジタルリマスターがかなって東京国際映画祭での再上映となった(CSの「日本映画専門チャンネル」で2025年1月から放映予定)。筆者は封切以来、45年前の有楽座以来はじめて本作とスクリーンで再会することとなったが、その本来の映像の美しさや厚みがデジタル技術によって蘇生させられている驚きの一方で、えんえんたる出稼ぎ工女の山越えのシーンから製糸工場で彼女たちが必死で糸を紡ぐプロセスまで、デジタル技術不在の時代の徹底したアナログな現物主義こそが圧倒的な映画の量感を生み出していることを再確認させられるのだった。
物語で描かれる製糸工場は明治35年なので、本作の撮影が敢行された1970年代末はもうそこから70余年を経た時代であったわけだが、映画というすべてが見えるもの、具体物で出来上がっている表現の作られ方は、この明治の糸とり工女の仕事とさしたる違いはないアナログな工程で成り立っている(その涙ぐましい制作条件も含めて!)。ここ十年で一世紀ぶんくらいの進歩を果たしたデジタル技術は、さまざまな点において映画づくりをその愚直で苛酷な営みから解放したわけだが、しかし今や失われた面倒な工程を踏んで仕上がった本作を観ていると、本来的な映画の妙味は「手工業」の賜物なのだということを思い知らされる。
〈後篇〉では、主演の大竹しのぶ氏に本作の撮影当時の記憶をふりかえっていただく。