ピカソ美術館の隣に“旅館”が出現? Japanese massage suisen
マレ地区といえば昨今の流行発信地。そんなパリの最先端エリア、しかもピカソ美術館の並びという立地に楚々とした日本空間が出現した。その名はsuisen(すいせん)。指圧をベースにしたマッサージサロンで、文字通り水仙の花がひっそりと、しかも凜として開くように、この春新しくお目見えした。
ピカソ美術館の門を通り過ぎてすぐの、いかにもパリらしい家並みに長暖簾。窓辺には生け花と盆栽がすっきりと飾られている。暖簾をくぐって中へ入ると、作務衣姿の女性が迎えてくれる。たたきから奥へ進むには、ここで靴を脱ぐ。靴を脱ぐという行為は日本ならごく当たり前のことだが、フランスではとても珍しい。女性が絶妙のタイミングですすめてくれる、これもまた和風のスリッパに履き替えて一段上がると、ふすま、天井、廊下といい、まるで京都の老舗旅館にでも来たような心地がする。
この新しいアドレスをサイトで初めて見た時、私はサイトの写真が出来すぎなんだろうとタカをくくっていた。けれども、実際に訪れてみると、真似っこ、張りぼての印象はまったくない。逆に、しつらえが本格的というだけでなく、空間に満ちている静寂や上品な気のようなものを感じて、すこし身が引き締まるような思いになったほどだ。
こんな日本空間をパリの真ん中に実現させたのはいったいどんな人なのか。ここまで徹底しているからには、おそらく日本人では、と思ったのだが、さにあらず。その方は、若いフランス人女性だった。
Sandra JOLLET(サンドラ・ジョレ)さん、33歳。
「リョカンのようなメゾンを作るのが長年の夢でした」
彼女は最初にそう口にした。
日本が大好きなフランス人は少なくない。しかし、ここまで日本そのもののような空間、雰囲気を実現するのはなかなかのものだ。
サンドラさんは生粋のフランス人だが、父親はリヨンで指圧と鍼の診療所を開いていて、母親はマクロビオティックを実践するという家に生まれ育った。
「子どもの頃から、日本にはとても親しみを持っていました。味噌、ごま、たまり…。食事だけでなく、フィロソフィーもそうです。家には禅に関する本がたくさんありましたし、13歳からヨガを始めました。友達がモダンジャズとかをしているときに私はヨガ。それも、今はやりのスポーツ的なヨガではなく、内面的なものを大切にするヨガです」
長じてからは、エステティシャンの経験を積み、マッサージの技術も習得。ヘルスケアの分野でキャリアを重ねた。そしてずっと憧れていた日本に24歳の時に訪れている。
「本当に素晴らしかった。東京と京都に行きましたが、京都の方が好きでした。自然と一体になっている佇まい、旅館、お風呂…。もちろん、日本といっても色々な面がありますが、私は伝統的なもの、伝統の技、食事、ソフィスティケートされた文化やリスペクトのあるところにとても惹かれました。世界中のどこにもない特別な場所だと思いました」
訪日外国人が増える一方の昨今。日本でサンドラさんのような感銘を受ける人は数え切れないほどいるに違いない。けれども、彼女はそこからさらに進んで、夢の”旅館”、自分の好きな物だけで埋め尽くしたとことん納得のゆくマッサージサロンをパリで実現すべく5年ほど前から周到な準備をした。腹式呼吸、経絡やツボを刺激する指圧、リンパドレナージュなどを盛り込んだ独自のマッサージメソッドを開発する一方、調度品をはじめ、テキスタイル、お茶など、サロンを満たす品々を選ぶために、何度も日本に訪れた。
「タオルは今治、お茶は掛川。オーガニックの緑茶であるのはもちろんですが、フランスの認証”エコセール ”もとりましたし、放射能検査もこちらでしています。まずは自分自身が商品を詳しく知りたかったし、お客さまにお勧めする以上は、最高の品質のものを手の届く値段でご提供したいと思いましたので、生産者と直接取引をしています」
今治のタオルから、布団、指圧の施術でお客様に着てもらう甚平、ティッシュペーパーやトイレットペーパーに至るまで、可能な限りオーガニックの素材を使っているというこだわりようだ。
「私の家がすでにそうです。だからここでも自分らしいもので揃えたかった。その場にあるすべてのもの、ディテールそれぞれにエネルギーがあると思います。これはフランス人にはあまり馴染みのない考え方ですが、日本の方ならお分かりになると思います。だからできるだけオーガニックなものにこだわりました」
施術者もまた日本人。すでにエステティシャンなどの経験がある技術者にサンドラさんのメソッドをひと月以上かけて習得してもらった上で仕事に臨む。
私は2度ほど体験してみたが、なかなか入念なマッサージで、体の芯まで覚醒させるような充実の1時間だった。
さらに施術の前と後、丁寧に淹れたお茶でもてなされるのもまたゆかしい日本の心遣い。
オープンから数ヶ月、「飛行機に乗らなくてもここで同じような体験ができる」と、日本通のフランス人にも好評で、性別や年齢、また国籍を問わず常連になる人が増えているという。