熊本市でオンライン授業はなぜ進んだのか 【GIGAスクールの成否を分けるもの(2)】
やっと、各地の公立小中学校で、児童生徒一人一台の端末(タブレットやノートPC)が配られています。コロナ禍の状況を受けて、国が計画を前倒しして支援を進めてきたこともあり、約99%の自治体で年度内には整備が進む予定です。(「GIGAスクール構想」。ただし、小中の話であり高校などは別です。)
ところが、「端末は納入されたけれど、学校のインターネット回線が悪くて使いものにならない」とか「教員側には端末の配布はないので、まず先生たちが使えるようになるのか不安」、「教育委員会がいろいろ厳しく制限をかけていて、必要なアプリが入れられない」といった声も現場の先生たちから聞きます。新聞記事では次のような例も紹介されていました。
各地さまざまで、日常的によく活用している学校もあれば、全然というところまで非常に差が開きつつあるようです。前回の記事、「一人一台端末で学校教育は本当に変わるのか」で課題も多いことを解説しましたが、きょうは、対照的にICTの活用が進んでいる熊本市の挑戦を紹介したいと思います。
熊本市の状況を詳細に取材した本、佐藤明彦『教育委員会が本気出したらスゴかった。』(時事通信社)がとても参考になりました。その書評を教育誌(『教職研修』2021年2月号)に寄稿しましたので、その記事を加筆してお届けします。
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本書『教育委員会が本気出したらスゴかった。』は、痛快な1冊だ。
この興味深いタイトルにも表れているが、熊本市では、休校中の4月15日からすべての市立小中高、136校で双方向性のあるオンライン授業を実施した。小規模な自治体ではこれより早くに実現した例はあるが(たとえば、岐阜県白川村)、熊本市ほどの規模で、休校中の子どもたちのケア(健康観察、児童生徒同士の交流など)や学習支援が広く行われた例をわたしは知らない。
なぜ熊本市ではそれができ、ほかではできなかったのか。本書を読めば、その理由と修正しながらチャレンジを続けた過程がわかるはずだ。
わたしが「痛快」と表現したのは、逆転劇であるからだ。2017年の文科省調査の時点では、熊本市における教育用コンピュータ1台あたりの児童生徒数は12.3人で、政令市のなかでは下から2番目、区市町村別では1782位(1816中)で、言わばビリだった。これが2020年にはフロントランナーになった。
わずか2年足らずで熊本市が大きく変貌したのには、理由がある。本書は4点に整理している(pp.110-111)。
第一に、大量の端末を普通教室に一気に整備したこと。熊本地震で休校になったときの苦い経験が糧となっているが、市長と教育長の理解・連携も大きい。Wi-FiがなくてもネットにつながるLTEだったことも、今回、功を奏した。
第二に、教員用の端末を一人一台ずつ導入したこと。
第三に、教員への手厚いサポート。市の教育センターが中心となり、導入研修を実施したり、Zoomの使い方やモデル授業などの動画をいち早くアップしたり、「スモールステップで少しずつ活用できるようになればいい」と繰り返しメッセージを発信し続けたりした。
次の図はスモールステップの例のひとつ。ステップ1、2にあるように、まずは授業を進めるよりは、先生と子どもたち、そして子どもたち同士がつながることを重視している。いきなりに高いハードルを見せられると、尻込みしてしまう人もいるし、「子どもたちが付いてこれない」など言い訳をする人も出てくるかもしれないが、小さなことからもやってみようという気にさせる働きかけだ、とわたしは思う。
第四に、端末の使い方に制限をかけなかったこと。児童生徒用の端末にも有害サイトのフィルタリング以外の制限がかかっていない。子どもたちはゲームをすることも、好きな動画を見ることもできる(ただし、通信量や履歴は残るので使いすぎの事後的なチェックはできるようにしている)。
本書には興味深いエピソードが紹介されている。教員が使う端末について、教育センターが原案を遠藤教育長にもってきたときの話。教育長の次の言葉が紹介されている(p.82-83)。
トラブルや不祥事が心配ということで、制限をかけすぎては、ICTの利便性や効果を体感する前に、「こんな不便なものを無理して使わなくていいや」と子どもも教員もなってしまう。そうならないようにしたい、というのが熊本市の方針なのだろう。
さて、ほかの多くの自治体にとって、上記4点のうち、1つ目は年度内に相当進むであろうが、2~4つ目も参考になると思う。もちろん、熊本市のやりかたがすべていいものとは限らないが。
本書も言及するように、熊本市教育委員会の一連の取り組みの根っこには、児童生徒と教職員への信頼がある。言い換えると、教委と学校との距離が近い。互いに悪口を言い合っているところとはわけが違う。
言い換えれば、ガチガチの制限をかけたり、学校から教育委員会に報告ばかりさせたりする自治体の背後には、教職員や子どもたちへの不信(不信感)が横たわっている。信頼されて任されるほうが、モチベーションは高まるし、教育委員会が想定しなかったような、さまざまな創意工夫を教職員や子どもは始めるだろう。もちろん、子どもたちの健康やさまざまなリスクには注意を払う必要はあるが。
熊本市のような教育委員会と学校、さらにその先の家庭・地域との関係性は、ICT活用にとどまらず、さまざまなところで今後もプラスに働いていくのではないか。このあたりは、本書ではあまり言及がないので、書評という範疇をこえて、わたしなりの感想と提案になるが。
たとえば、受験対策といった視野ではなく、子どもたちの学びに向かう力を高めるカリキュラムを組み立て、教科横断的に取り組むことなどである。ICTは使うこと自体が目的ではなく、ましてや配備することがゴールではなく、どう学びに活かすことができるかが重要だ。一例で申し上げると、社会科と保健体育と国語の先生が連携して、過去の感染症の歴史から学ぶといったカリキュラムをやってみてもいい。ICTや図書館を使って、いろいろ調べてみたり、識者とウェブ会議でやりとりしたりしてもいいだろう。
本書のタイトルは『教育委員会が本気出したらスゴかった。』だが、今後も熊本市(行政と学校)の本気を見たい。
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