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ドジャース入団を決断した大谷翔平が大事にする「フィーリング」

佐々木亨スポーツライター
ドジャース入団を決断した大谷翔平選手。(写真:USA TODAY Sports/ロイター/アフロ)

 大谷翔平は、決断した。

 エンゼルスからフリーエージェント(FA)となり、その去就が注目されていた中で、来シーズンからの所属先が決まったのは日本時間12月10日の早朝のことだ。ナ・リーグ西地区のロサンゼルス・ドジャースと、10年総額7億ドル(約1014億円)の歴史的な大型契約が合意に達したことを、大谷は自身のインスタグラムで公表した。代理人を務めるネズ・バレロ氏は「翔平はドジャースの組織の一員になれることに興奮している」と言い、決断までの歩みについて感謝の意も表した。

 代理人が介入するメジャーの契約においては、最終的な決定権は当事者である選手本人にあるのだろうが、あくまでも選手の意向に寄り添いながらも大型契約を結ぶことをビジネスとする代理人の交渉術がウエイトを占める場合があるものだ。もちろん金銭面を主とした大型契約を結ぶことが選手のモチベーションになるケースは多いだろうし、交渉は選手の野球人生、そしてライフスタイルを守るための代理人としての最大の役目になることもある。複数年で大金が動く大型契約を勝ち取ることが、選手にとって、そして代理人にとってもステイタスとなるケースが一般的だろう。

 ただ、大谷の「決断」には、金銭面以外の要素が深く影響していると思う。かつて2017年当時、メジャーに挑戦しようとしていた23歳の大谷にとって、金銭面は関係のないことだった。代理人のネズ・バレロ氏は、多くの有名選手を担当して大型契約も勝ち取ったことがある敏腕として名高い人物だ。そんな彼も、大谷の意思を誠実に受け止め、交渉を進めてくれた。その姿勢に触れて、大谷は代理人への信頼を厚くしたという。

 2017年12月4日から2日間にわたって行われた7球団との面談の結果、大谷は最終的にエンゼルスへの入団を決断したわけだが、その決め手は何だったのか。

 エンゼルス入団への思いを、かつて大谷はこう語ったことがある。

「そこはフィーリングなんですよね、本当に。自分がお世話になる球団として、しっくりくるというか、自分がユニフォームを着て、グラウンドに立って、野球をやって、ダグアウトに帰って、生活をしている。それらをイメージした時に、なんか『いいな』と思うのがあったんじゃないですかね。決してエンゼルスだけがよかったわけではなくて、本当に二十数球団ともにすばらしいお話を持ってきてくれて、各球団ともにすばらしいGMがいて、すばらしい組織で、すばらしい資料を用意していただき、すばらしいプレゼンをしてもらいました。ただ、最終的には一つに絞らなければいけないというのは決まっていて」

「フィーリング」は、今回も決断の要因の一つだっただろうか……。

 6年前の「決断」では、自身の感性と肌感覚も大事にしながら、未来をイメージして球団を選んだ。エンゼルスへの入団を決めようと思っていた大谷は、最終決断の前に改めて本拠地であるアナハイムを訪れている。

「これからお世話になるかもしれない方々なので、もう一回、話を聞いてみたいと思いました。僕がいたところからアナハイムは近かったですし、わざわざチームに足を運んでいただくのは申し訳なかったので、僕たちのほうから向こうへ行きました。実際に球場も見たいと思ったし、挨拶もしたいと思ったので。話をして、施設を見て。そこで改めて『いいなあ』って。最後はアナハイムに決めました」

 メジャー6年目のシーズンを終えた大谷を取り巻く環境は、6年前とは明らかに違う。二刀流の価値を高め、投打で確かな実績、歴史的な記録も残してきた彼の立ち位置は大きく変わった。ただ、大谷の本質を考えれば、変わらない部分もあると思う。野球に対する姿勢、あるいは自らのプレーを貪欲に進化させていくという思いもそうだろう。投手として、そして打者として、つまりは二刀流での歩みを追い求めていく思いも色褪せることはない。

 去就が注目され続けた大谷は、右肘のリハビリと並行して、所属先候補と言われた球団に足を運んだという報道もあったが、今回もまた未来をイメージしながら、「フィーリング」を大事にして最終決断に至っただろうか。

 いずれにせよ、彼の決断、これからも二刀流を追い求めていく道には、新たな大きな光が待っているはずだ。

スポーツライター

1974年岩手県生まれ。雑誌編集者を経て独立。著書に『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(扶桑社)、『あきらめない街、石巻 その力に俺たちはなる』(ベースボール・マガジン社)など、共著に『横浜vs.PL学園 松坂大輔と戦った男たちは今』(朝日文庫)などがある。主に野球をフィールドに活動するなかで、大谷翔平選手の取材を花巻東高校時代の15歳から続ける。

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