北朝鮮が2009年の衛星発射時に日米のイージス艦を攻撃する特攻隊を編成!
北朝鮮が軍事偵察衛星を予告していた11月22日午前0時よりも意表を突き、前倒しし、21日午後10時42分にフライング(奇襲)発射させたことについて米韓のサイバー攻撃による電波妨害やイージス艦からの迎撃を極度に警戒しているからではないかとみていたが、北朝鮮が2009年4月5日に衛星「光明星ー2号」を発射した際に米国に迎撃された場合に備え、密かに特攻隊を編成していたことが今朝の「労働新聞」の記事によって再度確認された。
今日11月29日は北朝鮮にとっては「空軍創設の日」(空軍節)にあたるが、労働党の機関紙「労働新聞」は「今から14年前の人工地球衛星「光明星―2号」の成功的発射のための闘争で英雄的偉勲を立てた14人の飛行士の不滅の偉勲を忘れることはできない」と記述していた。
「忠実性の亀鑑を創造した我が党の赤い鷹ら」と題した記事によると、▲14人は敵の迎撃行為が行われた場合、即時に強力な対応打撃で敵の艦船集団と迎撃手段を叩き潰してしまえとの党中央の戦闘命令を受けて海上超低空飛行訓練に入っていた▲一歩間違えれば、飛行機はそのまま海に突入してしまうほどの危険な訓練だった▲肉弾勇士らは「我々には『肉弾』、『自爆』という威力のある武器があるが、それよりも大きいのは首領様への忠誠心である」との心情を吐露していた▲金正恩(キム・ジョンウン)総書記は14人の飛行士が発揮した肉弾精神は「千金を出しても数万トンの宝石を出しても買えない貴重な精神的財富である」と14人を追憶していた。
北朝鮮が当時、日米のイージス艦に対する攻撃手段として特攻隊を編成し、スタンバイさせていたことは2015年3月に金総書記が航空部隊を視察した際、朝鮮中央通信が「光明星―2号の発射成功を保障するため作戦に参加し、偉勲を発揮した14人の戦闘飛行士らの偉勲を称えた記念碑の前で記念写真を撮った」と報道したことで初めて明るみに出た。
朝鮮中央通信の記事では14人は「党の命令貫徹のため死を覚悟し、決死戦に出た戦闘飛行で肉弾自爆した」と報道されていたが、この時は何のことか、何の作戦があったのか、さっぱりわからなかった。
当時の状況は▲「光明星―2号」発射が米韓合同軍事演習期間の真っただ中にあったこと▲ゲーツ米国防長官が「発射すれば、迎撃も辞さない」と警告していたこと▲迎撃の考えをロシアに事前通告していたこと▲これに対して朝鮮人民軍参謀部が「(米国が)人工衛星に迎撃行動をとれば、迎撃手段だけでなく、本拠地にも報復打撃を開始する」との声明を出していたことぐらいだった。随分経ってわかったことだが、北朝鮮は発射直後に訪朝した米元高官に対して国防委員会の朴林洙(パク・イムス)政策局長(当時)が「迎撃されれば、日米のイージス艦を撃沈する態勢だった」と伝えていた。
偉勲を称えられた14人は人民軍第447部隊に所属するパイロットで「党の命令貫徹のため死を覚悟し、決死戦に出た戦闘飛行で肉弾自爆した」と紹介されていたが、実際には自爆はなく、飛行訓練で1人が亡くなっただけで、残り13人は健在だった。彼らは、日本的に言うならば、「特攻隊」であった。この事実は米CIAも韓国の情報機関も、それに北朝鮮消息筋の話として北朝鮮の情報を盛んに流している韓国のメディアも北朝鮮が明らかにするまでキャッチできなかった。
さらに驚いたことに「イージス艦撃沈」の指示は最高指導者の故金正日(キム・ジョンイル)総書記ではなく、父親と共に発射に立ち会っていた当時まだ26歳だった後継者の金正恩氏から出されていた。実際に金正恩氏の29歳の誕生日にあたる2012年1月8日に放映された金正恩活動記録映画をみると、金正恩氏はミサイル発射を父親と共に平壌の管制総合指揮所で参観していた。映画のナレーションでは「仮に迎撃された場合、戦争する決意であった」との金正恩総書記(当時党中央軍事委員会副委員長)の言葉が流れていた。
なお、肝心の衛星は4月5日午前11時20分に咸鏡北道花台郡舞水端里の東海衛星発射場から発射され、北朝鮮は9分2秒後に「軌道傾斜角40.6度、近地点高度490km、遠地点高度1426km、周期104分12秒の楕円軌道に正確に投入された」と発表したが、日米韓3か国は▲物体が軌道を周回していることが確認されていない▲地球周回軌道に乗せる速度(秒速7.9km)に達していることが確認されていない▲人工衛星の打ち上げと考えられる軌跡も確認されていない等の三つの理由から北朝鮮が発表したような「運搬ロケットで人工衛星を軌道に正確に進入させることに成功した」とは考えられないと結論付けていた。