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運転手で手伝ったら、あの濱口監督から「映画の主役やって」と、まさかのオファー。奇跡の運命の胸中語る

斉藤博昭映画ジャーナリスト
濱口竜介監督の最新作『悪は存在しない』で主役を務めた大美賀均(撮影/筆者)

人間、チャンスというのは、どこから転がり込んでくるかわからない。この人の逸話を聞けば、「もしかして自分にも?」と妙にテンションが上がるかもしれない──。

俳優・大美賀均(おおみかひとし)。

その名前に聞き覚えのある人は、おそらくかなり少数だろう。

しかし、あの『ドライブ・マイ・カー』の濱口竜介監督の最新作で主演に抜擢された人……と聞けば、がぜん気になる存在となるのは間違いない。

バイトは続かなかったが、映画の現場は性に合っていた

『ドライブ・マイ・カー』がアカデミー賞で国際長編映画賞を受賞。この最新作『悪は存在しない』も、2023年ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞(審査員グランプリ)に輝き、今や“世界のハマグチ”である。大美賀均は主人公の巧(たくみ)を任されたが、そのキャスティングの経緯が「まさか」のエピソードなのであった。もともと同作には制作部として参加し、作品のリサーチの際に車のドライバーとして同行した大美賀が、撮影を想定してのスタンドイン(俳優の立ち位置などの代役)を手伝ったところ、濱口監督がそのまま主役を任せることに決めたのだ。その理由は「何を考えているかよくわからない、良い顔」とのこと。

「記事になるようなことを話せるかどうか……。不安なんですけど」

大美賀均は今回のインタビューでまずそんな心境を口にする。俳優として取材を受けることに、もちろんまだ慣れてはいない。

職業を問うと、ちょっと考えて「映画スタッフ」と答える。今も照明助手として撮影現場の応援に行ったりと、そのような日常を送っているのだという。1988年生まれの大美賀均は現在34歳。

「27歳の頃に映画業界に入り、最初は美術部のドライバーなどを任されていました。それまではバイトをしてもあまり続かなかったのですが、今もこうして映画の仕事に関わってるということは、性に合っているのだと思います。あまり深い考えはないのですが……。多くの人たちが真剣に何かを作る現場にいるのが楽しくて好きみたいです」

自分がカメラの前で演技をするなんて想像していなかったようだ。あくまでも濱口監督の現場を手伝うという意思があっただけである。

「濱口さんの『偶然と想像』で制作部に入りました。あの作品は3話構成で、そのうち2話に関わりました。その延長で今回もドライバーとして呼んでもらい、シナリオハンティング(脚本のための取材)に同行したのです。そうしたら濱口さんから電話が来て『驚かないでください。出演することに興味がありますか?』と聞かれて……。できるかどうか、もちろん自信はありませんでした。でも同時に、あれだけの経験を積んだ濱口さんの現場を近くで見られるという期待感が湧いたのも事実で、まぁ監督が大丈夫だと言ってくれるなら、お任せしようかと」

豊かな自然に恵まれた長野県の町に、東京の芸能事務所がグランピング施設を作ろうとする物語。娘とともに町に暮らす巧は大切な水源の危機を感じ始める。
豊かな自然に恵まれた長野県の町に、東京の芸能事務所がグランピング施設を作ろうとする物語。娘とともに町に暮らす巧は大切な水源の危機を感じ始める。

根っからの映画オタクでもない。映画への熱い情熱を語るわけでもない。このどこか飄々とした、つかみどころのなさそうな雰囲気が、『ハッピーアワー』などで演技未経験の人も積極的に使う濱口監督に気に入られたのかもしれない。とはいえ、いきなりの主役である。

「ただ、僕に依頼があった時のことを思い出すと、まだそれが一本の映画になるとは決まっていなかったんです。(音楽家である)石橋英子さんのライブと同時に上映される作品、という認識でした。これは濱口さんにとっても新しいチャレンジになるわけで、だからこそ参加できたら面白そうだと、シンプルにそんな考えでした」

すでに『ドライブ・マイ・カー』でアカデミー賞を受賞していた濱口監督。その新たな挑戦に積極的に関わるというあたり、大美賀の性格の表れかもしれないが、本人はやんわりと否定する。

「どちらかと言えば、僕は表舞台に立つような性格ではないです。でも撮影現場で何が起こるのかには興味があって、その意欲が優(まさ)っただけでしょう」

抑揚をつけないセリフは監督の演出?

濱口竜介監督は独特のリハーサルで知られている。撮影前の本読みの段階で、出演者=俳優に一切の感情を込めないでセリフを話させる。いわゆる“棒読み”である。それを繰り返すことで俳優は相手の動作や反応に鋭敏になり、演技に新たな発見があり、説得力やリアリティも生まれるのだという。このリハーサルの状況は『ドライブ・マイ・カー』の中でも再現されていた。

そして本番では俳優たちが感情を込めてセリフを発するわけだが、『悪は存在しない』における巧役の大美賀のセリフは、おそらくリハーサル時と変わらないであろう抑揚である。もともと日常でそういう話し方なのかと思ったら、このインタビューではそうではない。この抑揚のないセリフ回しは、監督の演出に従った意識的なものなのだろうか。

「濱口さんから『リハーサルどおりにやってほしい』と言われたわけではないのですが、それまで時間をかけて感情を排した本読みを繰り返しているので、いきなり本番で別のことをやるという考えはなかったです。最初は『これでいいのかな』という気持ちがなくはなかったのですが、ストレスもなくそのまま演じた感じです。濱口さんからも、もっと感情を出すようにも言われませんでした。感情が動いてないのではなく、かと言って、わかりやすく表現しなくてもいい。僕なりには心が動いているので(笑)、何かしらはカメラに映っているでしょう」

このセリフ回しは、映画を観た人にいろいろな想像力をはたらかせる。観終えた時、この巧のキャラクターについて、ある秘密を察知する人もいるかもしれない。しかし大美賀は「そういう解釈はとても面白いですが、僕はそこまで考えて演じていない」と笑う。観客のイマジネーションを刺激する意図がじつは濱口監督にあり、それを大美賀に無意識に体現させた可能性もあるだろう。

「基本的に僕は、誰かを演じるための訓練はしていないのですが、脚本が存在しているので、セリフに頼ることはできます。撮影中は緊張しつつも、まったく違う人間になるとか、役に入り込むといった感覚はありませんでした。セリフはもちろん、『ここで帽子を脱ぐ』といった動きも、ほぼすべて脚本に従い、そのうえで本番は監督の指示どおりに動いただけです」

なぜこの映画が評価されるのか

そんな話を聞いていると、俳優というのは誰でもできるものかと感じてしまう。カメラの前で与えられたセリフを言い、監督の指示に従えば、誰でも成り立つものなのかと……。

「いや、おそらく濱口竜介さんという、何本もあのような映画を撮ってきた監督だからできることでしょう。その場をどう創造し、演じる人をどんな気持ちにさせるのか。それは技術的なことだと痛感します」

2023年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞受賞を喜ぶ大美賀と濱口監督
2023年のヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞受賞を喜ぶ大美賀と濱口監督写真:REX/アフロ

そして完成した『悪は存在しない』はヴェネチアという世界最高峰の映画祭で栄冠を獲得。大美賀均は、どのような思いで作品を観たのだろうか。

「とにかく音楽が美しい。そしてスクリーンに映っているものに心が奪われます。たとえば雪景色が単に美しいのではなく、自然としてそこに存在している感じ。また、これは考え事をするのに最適な映画だと思います。その時の精神状態によって受け取るものも変わるので、何度も観られるんですよ」

出演者という立場を離れ、こうして客観的な印象を語れるのも、「映画スタッフ」だと自任するスタンスだからこそ、かもしれない。大美賀均は2023年、60分の中編映画『義父養父』で初監督も務めており、どのような立ち位置で「映画」という世界に関わっていくのか、期待してしまう。『悪は存在しない』という作品も、その未来の行き先を変えるきっかけになったはずだ。

「僕の人生で、何が変わったのでしょう。変わったと言えば変わったし、何も変わってないと言えば変わってない。ふだん見れない景色、会えない人に出会ったりして、たしかに人生で楽しいことが少しは増えた気がします。毎日楽しく過ごせたらいいなと思っていたので、その夢はちょっとだけ叶ったかもしれません

本人にとって、世界的巨匠の作品での主演は、自然な流れで行き着いたものであり、そこまで劇的ではなかったかもしれない。しかし小さな夢をひとつずつ叶え、蓄積していくことが人生なのであると、大美賀均が教えてくれるのも、これまた事実である。

(撮影/筆者)
(撮影/筆者)

『悪は存在しない』

(c) 2023 NEOPA / Fictive 配給:Incline

4月26日(金)Bunkamuraル・シネマ 渋谷宮下、K2ほか全国順次公開

映画ジャーナリスト

1997年にフリーとなり、映画専門のライター、インタビュアーとして活躍。おもな執筆媒体は、シネマトゥデイ、Safari、ヤングマガジン、クーリエ・ジャポン、スクリーン、キネマ旬報、映画秘宝、VOGUE、シネコンウォーカー、MOVIE WALKER PRESS、スカパー!、GQ JAPAN、 CINEMORE、BANGER!!!、劇場用パンフレットなど。日本映画ペンクラブ会員。全米の映画賞、クリティックス・チョイス・アワード(CCA)に投票する同会員。コロンビアのカルタヘナ国際映画祭、釜山国際映画祭では審査員も経験。「リリーのすべて」(早川書房刊)など翻訳も手がける。

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