17歳女子高校生のスマホ動画にピュリツァー賞、誰もが「手のひらにメディア」の問題とは?
17歳女子高生が撮ったスマホ動画に、ピュリツァー賞の受賞が決まった。誰もが手のひらにメディアを持ち、世界にニュースを発信できる社会であることを、改めて示す受賞だ。
受賞したのは、撮影当時17歳、米ミネソタ州ミネアポリスの地元の高校生だったダニエラ・フレイザー氏。買い物に立ち寄ったコンビニエンスストア前でジョージ・フロイド氏死亡事件に遭遇し、持っていたスマートフォンでその一部始終を撮影。フェイスブックで公開した。
その10分ほどの動画は、世界的に広がった黒人の人権運動「ブラック・ライブズ・マター」を後押しし、フロイド氏を押さえつけた白人警官の有罪評決に、有力な証拠ともなった。フレイザー氏はすでに米国ペンクラブからも賞を授与されている。
ただその後の反響は、フレイザー氏自身にも降りかかり、精神的な重圧となっているという。
メディアの進化とともに、「ニュースの瞬間」は市民の手で記録されるようになる。約60年前のケネディ大統領暗殺事件の瞬間の動画を撮影したのは、婦人服メーカーの経営者だった。
暗殺事件の瞬間を捉えたのは、当時はまだ珍しい8ミリカメラだが、ジョージ・フロイド氏の事件では、高校生も普通に手にするスマートフォン、そして配信に使ったのはユーザー数28億5,000万人のフェイスブックだ。
ニュースはあらゆる場所で起き、その決定的瞬間をあらゆる人々が世界に向けて発信する。
そのことが、100年を超すピュリツァー賞の歴史に刻まれた。だがソーシャルメディア時代の「目撃者の重圧」の問題は、なお残る。
●「勇気ある行動に対して」
現在18歳のダニエラ・フレイザー氏の、ピュリツァー賞特別賞の受賞理由について、同賞の理事会は6月11日の発表でそう説明している。
ピュリツァ―賞には、ジャーナリズムで15、書籍・ドラマ・音楽で7つの部門がある。
特別賞はこれとは別に、幅広い分野の業績を表彰。2008年には、のちにノーベル文学賞を受賞するボブ・ディラン氏も選ばれている。2020年の特別賞は、19世紀後半に黒人へのリンチの実態を告発したジャーナリスト、アイダ・B・ウェルズ氏だった。
ジョージ・フロイド氏の事件の報道では、現場の地元紙であるスタートリビューンが速報部門で受賞している。最も権威のある公益部門は、ニューヨーク・タイムズの新型コロナ報道が受賞した。
フレイザー氏は6月12日、自らのフェイスブックに、ピュリツァ―賞受賞を伝えるニュースの画像ともに、拍手とハートの絵文字を添えた投稿をした。だが、公式のコメントは表明していない。
フレイザー氏は事件から5カ月後の2020年10月、この動画撮影について、米国ペンクラブから「ペン/ベネンソン・カリッジ賞」を受賞している。
そして、今回の発表以前から、ピュリツァ―賞を受賞するべきだとの声も上がっていた。
●「トラウマ」と「誇り」
フレイザー氏は今回の受賞発表に先立ち、フロイド氏の事件の1周年となる5月25日、フェイスブックに長文の投稿を掲載している。
フレイザー氏は事件当時、9歳のいとこと2人で、現場の目の前にあるコンビニエンスストアにスナックを買いに立ち寄ったところだった。
フロイド氏が白人警官に押さえつけられる現場に遭遇し、持っていたスマートフォンで約10分にわたって撮影。その日の夜に、フェイスブックに投稿している。
事件を目撃したショックとその渦中の存在となった重圧で、精神的に追い詰められた、と述べている。
だが、事件の動画を撮影したことは「誇りに思う」と述べる。
フロイド氏の首を圧迫したとして、殺人罪などで起訴された元警官、デレク・チョービン被告は4月20日、有罪評決が言い渡されている。
フレイザー氏は3月30日、同被告の裁判に証人として出廷。「(動画の撮影だけでなく)体を張ってジョージ・フロイド氏の命を救えなかったことに、謝罪を繰り返し、眠れぬ夜が続いた。しかし、それは私がすべきことではなく、彼(チョービン被告)がするべきことだった」などと証言した。
●誰もが発信するニュースの現場
誰もがカメラを手にし、歴史的場面を撮影する。そんなメディア環境の変化の兆しは、約60年前にすでにあった。
1963年11月、米テキサス州ダラスで、ジョン・F・ケネディ大統領が狙撃される事件が起きた。
その瞬間をベル&ハウエルの8ミリカメラで撮影したのは、地元で婦人服会社を経営するエイブラハム・ザプルーダー氏だった。
※参照:銃撃事件の現場から”当事者”がフェイスブックでリアルタイム中継する(07/10/2016 新聞紙学的)
1991年3月、ロサンゼルス市警の白人警官らが黒人男性、ロドニー・キング氏を暴行、翌年のロサンゼルス暴動のきっかけとなった事件では、ジョージ・ホリデー氏が、自宅バルコニーからソニーのハンディカムで一部始終を撮影していた。
そして、スマートフォンとソーシャルメディアの時代が到来する。
2009年1月、ニューヨークのラガーディア空港離陸直後のUSエアウェイズ機がハドソン川に不時着した事故では、現場近くのフェリーに乗っていた起業家のジャニス・クラムス氏が、直後の写真をアイフォーンで撮影。ツイッターと連動するツイットピックに投稿している。
そして、警官による暴行事件もまた、スマートフォンで記録されている。
2014年7月、ニューヨークで黒人のエリック・ガーナー氏が白人警官に押さえつけられ、「息ができない」と訴えた後、死亡した事件では、近くに住む知人のラムゼイ・オルタ氏が、その様子をスマートフォンで撮影していた。オルタ氏はその後、拳銃とマリファナの所持の容疑で、ニューヨーク市警に逮捕されている。
●目撃者の重圧
誰もがスマートフォンを手にし、世界に向けて情報発信ができるということは、そこに攻撃を含めた様々な反響が押し寄せるということでもある。
ピュリツァー賞を受賞したフレイザー氏がフェイスブックへの投稿で明らかにしているように、その重圧は日常生活を変えてしまう危険性もはらむ。
誰もが日常生活の様々な場面を、写真や動画で当たり前のように共有する。そこに事件が写り込んでしまうことも、あるかもしれない。
組織としてニュースに携わる新聞社やテレビ局などのマスメディアは、ニュースへの反響にも組織として対処することができる。
だが、たまたまニュースの現場を目撃してしまったユーザーには、そのような仕組みも、心構えもない。
フレイザー氏のような事例は、これからも増えてくるだろう。事実の記録、歴史の資料として、このような動画が残されることは必要だ。
そのためにも、ニュースの現場に立ち会ってしまったユーザーを保護する枠組みが、必要なのではないか。
フレイザー氏へのピュリツァー賞は、そんな課題を突き付けているようにも思える。
(※2021年6月13日付「新聞紙学的」より加筆・修正のうえ転載)