映画『バービー』の原爆ミームについて、ノーベル平和賞を受賞したICAN元事務局長の考えを聞く
映画『バービー』と、「原爆の父」の伝記映画『オッペンハイマー』を両方見に行こうという「バーベンハイマー」現象は筆者が住むノルウェーでも起きていた。一方で、ファンが作った爆発の背景と合わせたミームにバービー公式アカウントが好意的な反応をした一件は、北欧では大きなニュースとはなっていなかった。
8月末、首都オスロではノーベル平和センターが主催する「ノーベル平和カンファレンス」が開催されていた(ノーベル平和賞だけは、スウェーデンではなくノルウェーで授与される)。これまでの平和賞の受賞者が何人も集まった顔触れには、2017年にオスロ市庁舎でノーベル平和賞を受賞した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の元事務局長ベアトリス・フィン氏もいた。そこで、私たちはカンファレンスの休憩時間に、日本で起きた原爆ミームの一件について話をした。
「キノコ雲を冗談にするカルチャーは西洋、特に米国にはもともとある」とフィン氏はずっと感じていたという(彼女自身はスウェーデン出身だ)。
日本と米国では核兵器に対するイメージが大きく異なる
「米国の人々にとって、核兵器はとても抽象的で、ほとんど存在しないようなものなのです。核兵器は『大昔に起こったこと』『理論』『権力の道具』『極端な権力の象徴』として考えられています。核兵器の分野で働いている人たちでさえ、ホロコーストについては冗談を言わないのに、核兵器については冗談を言う人が多いのが事実です。数年前、米国のビールメーカーが、『リトルボーイ』『ファットマン』など、さまざまな核兵器にちなんだ名前のビールを作ったことがあります。本当に不愉快なことです。このようなことが起こるのは、核兵器が非現実的なものだからでしょう。もし、原爆死没者慰霊碑や広島平和記念資料館を見たら、人は『ああ、これは現実の人間なんだ』と感じるでしょう。核兵器の支持者は、『核兵器が理論的なもの』で、『ほとんど存在しないようなものだ』という『感覚』を作り出す手助けをしてきたのだとも考えています」
バービー映画を責めても根本的な問題は解決しない
「バービーは『ピンクのプラスチック人形』で、核兵器は『光の兵器』。両者はあまりにも極端に違うからこそ、おかしさを生んでしまうのでしょう。だから両作品を同日公開するというアイデアと大規模なPR活動は、映画の人気を高めるのに役立っていましたね。同日公開にすることで、『どれを選ぶ?どちらから見る?』という現象が生まれたのは『バービー』映画のせいだとは思いません。そもそも、この2作品がお互いに関係しあっているとも私は思わないんです。『米国文化を表現している』という共通点以外では。だから、映画のボイコットに効果があるとは思えません」
米国のミーム文化とジョークの複雑性
「米国ではミームは文化的な表現であり、難しいことを冗談にします。核兵器のような恐ろしい問題であっても、ユーモアの余地が生まれてしまうのでしょう。でも、もしミームにするなら、背景を理解している人たちと一緒にやる必要があります。コメディアンはどんなことでもジョークにすることができるけど、誰かを犠牲にしてまではジョークを言いたくはないでしょう。権力と特権のダイナミズムがあるようにね。以前、素晴らしいユダヤ人コメディアンがホロコーストについてジョークを言うのを見たことがあります。ホロコーストはひどいことですが、彼らは冗談にするのです。でもユダヤ人でない人が同じジョークを言うことはできません。笑えないでしょう?」
「人種問題などにも同じことが言えます。女性は男性について冗談を言うことができますが、男性が女性を犠牲にして話すのは笑えません。なぜなら、私たちの社会では男性の方が力が強いからです。力の弱い人を押し倒しているようなものだからです」
「アメリカ人が原爆について冗談を言うことがおもしろくなくなるのは、アメリカ人が民間人に落としたから。もちろん人種差別の要素もあったでしょう。アジア人はアメリカ白人よりも劣っているというような。日本人も別の手法で原爆についてジョークを言うことはできると思います。とにかく、それほどミームとユーモアはとても厄介なものなんです。『バービー』と『オッペンハイマー』をジョークにする空間があるように、核兵器をジョークにする空間は存在するのです。でも、核兵器がまだ存在していることさえ知らず、核兵器は今日でも人々に危害を及ぼしているとも知らず、その背景を理解せずにミームを作ったら、日本の人々が傷ついたように誰かに危害を及ぼします。マーシャル諸島の人たちや、カザフスタンの人たちは、いまだに核兵器の影響でガンを患い、命を落としています。これは面白いことではありません。この問題には理解しなければいけないことが非常に多く、だからこそ冗談にするなら、その結果を想像することが必要なんです」
被爆者の体験談を語り継ぐ
原爆ミームの一件を悲しいと思っても、映画をボイコットしたり、X(旧Twitter)で日本語で抗議したところで、問題を理解する米国人はわずかだろうと筆者は感じていた。では、どうすることが効果的かをフィン氏に聞くと、「被爆者の体験談を伝え続けること」と答えた。
「米国では多くの人が、『戦争が終わったのは世界のためだ』、『民間人を殺したのは世界のためだ』と考えています。恐ろしい考え方です。もし日本が、『世界を守るためにアメリカ人は死ぬべきだ』と言ったらどうでしょう。アメリカ人はそれが面白いとも、素晴らしいとも、良いとも思わないでしょう。だから、被爆者の体験談を共有することで、何が起こったのかを共有し、これらの行為が今日の戦争犯罪であるという情報を共有することが大切なんです。民間人を殺したり、都市全体を標的にしたりすることは決して許されないことなんだと。広島や長崎は軍事目標ではありませんでした。民間人がターゲットだったんで。そのことを理解し、人々に聞いてもらうことが重要だと思います」
被爆者の体験談を聞いたことがない人はたくさんいる。SNSなど様々なチャンネルを使って届ける
地理的・言語的・文化的な様々な壁が間にある中、ではどうすれば「聞いて痛みを想像してもらう」ことは可能だろう?そうつぶやくと、フィン氏はちょっと考えて、SNSの「TikTok」を事例として挙げた。
「TikTokをよく使う同僚と一緒に働いているのですが、彼女は広島で開催されたG7に参加しました。そして、被爆者の体験談を録画して公開しました。すると、多くのアメリカ人から『こんなことは聞いたことがなかった』とコメントが届いたそうです。『広島の被爆者が話しているのを聞いたことがなかった』と。そう、多くのアメリカ人にとって、このような話は存在しないものなんです。彼らにとって、『ヒロシマ』は存在しないんです。だからこそ、ホロコーストの生存者がそうであったように、日本人もまたヒロシマについて語り、その痛みや苦しみを分かち合うことが本当に重要だと思います」
遠くの国にいる人々に「痛み」を想像してもらうためにも、被爆体験はまだまだ伝え続けられる必要がある。原爆ミームの一件は、被爆者の声が日本の外でもっと語り継がれる必要があることをリマインドさせるものなのかもしれない。
Text: Asaki Abumi