レトロゲームを今でもプレイできるのはなぜか 背景にいる凄腕メンテナンス職人の「匠の技」
今から20年も30年も前に発売されたアーケードゲームが、現在でもゲームセンターで遊べるのはいったいなぜか、疑問に思ったことはないだろうか?
その答えは、長年の経験で得たあらゆるゲームの修理、メンテナンスができる知識と技術を持った店舗スタッフの存在に加え、中小零細企業や個人の専門業者が陰で支えているからだ。
メーカーはゲームの基板、または筐体(きょうたい)がやがて古くなると、部品の調達ができないなどの理由でサービスを終了し、家電と同様に修理やメンテナンスを依頼しても受け付けなくなってしまう。すでに倒産したメーカー製のゲームも、当然ながら故障した際は修理の依頼が不可能となる。
だからこそ、メーカーや機種を問わず、今なお基板や筐体の修理ができる専門業者の存在はビジネス面でも、そして後世にゲームを残すアーカイブの観点からも極めて重要だ。
そこで本稿では、日々アーケードゲームの修理や関連機器の売買を行う業者の実態をお伝えすべく、アーケードゲーム業界歴30年を超えるベテラン職人を取材した。
アーケードゲームの必需品を、たった15分で作る「匠の技」
今回、筆者が尋ねたのは神奈川県川崎市にあるアーケードゲームの修理、メンテナンスの専門業者、有限会社センテック代表取締役の袴田直樹氏だ。
袴田氏は大学在学中に、ゲームセンターと基板専門店でのアルバイトを同時にこなし、やがて基板専門店から仕事の一部を譲り受ける形で独立し、基板や筐体の販売・リースから廃棄まであらゆる仕事を経験。1999年にセンテックを設立して以降は、現在までほぼ1人で仕事を続けている。
現在、同社の主力商品となっているのは「ハーネス」だ。ハーネスとは、ゲームの基板と筐体の間をつなぐ機材のことで、今も昔もゲームセンターの必需品である。
センテックで取り扱うハーネスは、個人で基板を楽しむユーザーも含め、顧客からの要望をいろいろ聞いているうちに種類がどんどん増え、現在では何と140種類以上もあり、年間の販売数は実に600個を超える。中古基板の売買からはすでに撤退したそうだが、今でも基板の修理の相談を受けることがたびたびあるという。
袴田氏に、今なおレトロゲーム用のハーネスが売れる理由を聞いたところ「ハーネスは、基板を生かしも殺しもする『肝』になるパーツですので、自分で作るのは難しいと思っている人が多いようですね」とのこと。
筆者も現場時代、少しだけいじった経験があるが、ハーネスを自作するためには基本的なハンダ付けの技術に加え、基板と筐体の種類によってどんな規格の部品や導線が必要なのかといった高度な知識も必須となるので、素人がおいそれと作れるような代物ではない。
それを袴田氏は、今までに数千本ものハーネスを制作した経験を持ち、多くのハーネスの規格や配線図を覚えたこともあり、作り慣れた物であれば図面も見ずに、わずか15分程で作り上げてしまう。まさに「匠の技」だ。
袴田氏は、商業高校からスポーツ推薦で大学の経済学部に進んだ経歴の持ち主だ。コンピューターや電子機器は専門外にもかかわらず、どうやって袴田氏はハーネス制作などの技術をマスターしたのだろうか?
「高校時代、ゲーセンでバイトをして基板を買い漁っていた後輩にテーブル筐体の構造などを教えてもらい、やがて自分もそこでバイトを始めるようになりました。最初に修理したのは『モナコGP』のアクセルセンサーで、さっきまで止まっていた機械が息を吹き返したことに快感を覚えました。
その後、店で廃棄することになったテーブル筐体を譲ってもらい、自分で配線を作り直したら、ゲームがちゃんと遊べるになったのがとにかく嬉しくて、以来ハーネス作りの虜になりました。その後も、友達が持っている基板を片っ端から借りては、ハーネスをどんどん作るようになりましたね」(袴田氏)
長らく業界で働き続ける職人、あるいは個人や有志のグループでレトロゲームのアーカイブ活動を続ける人たちは、袴田氏のように趣味が高じてゲームセンターや基板専門店で働いた経験を持つか、あるいは独学で技術をマスターした人が非常に多い。もはや元のメーカーも修理を受け付けない、古いアーケードゲームを我々が日々遊べるのは、数は少ないながらも全国各地に点在する、職人たちの優れた技術と情熱のおかげなのだ。
技術顧問として後進を指導
袴田氏の活躍はハーネス制作、販売だけにとどまらない。実は同氏は、愛知県小牧市で近々リニューアルオープンを予定している、日本ゲーム博物館の技術顧問も務めている。
「定期的に日本ゲーム博物館の倉庫に出向し、メンテナンスや技術指導をしています。2021年に名古屋市博物館で開催した『ゲーセンミュージアム』で展示した、ビデオゲーム機の全機種のメンテナンスも担当しました」(袴田氏)
同氏によると、かつて犬山市にあった日本ゲーム博物館の旧館を訪れた際に、館長の辻哲朗氏と出会ったことがきっかけで業務契約を結んだとのこと。2018年に東京の六本木で開催された、同館が協力したイベント「PLAY! スペースインベーダー展」に展示された「スペースインベーダー」筐体のメンテナンスも袴田氏が担当したそうだ。
(参考リンク)
・貴重な300種類以上のゲームを残したい! 地方で奮闘する「日本ゲーム博物館」(※拙稿)
・超レアなゲームも遊べる驚き 懐かしいアーケードゲームの展示会はなぜ開催されたか(※拙稿)
・「PLAY! スペースインベーダー展」(※東京シティビューのホームページ)
また袴田氏は「自宅でアーケードゲームを遊ぶ楽しさを広めたい」との思いから、かつて雑誌に基板をテーマにした記事を長年寄稿し、自身が持つノウハウを惜しみなく披露していた経験も持つ。
「連載記事を『バックアップ活用テクニック』(※後の『ゲームラボ』)で10年間書いていました。記事には配線図の読み方や、基板を大画面モニターやウーハーに接続する方法などを書いたのですが、私の記事を読んで基板に興味を持ってくれた人がかなりいたようです。
今でも『あの記事を書いていたのは袴田さんだったんですか!』って言われることがありますので、すごく嬉しいですね。これからも、基板や筐体が動く楽しみを多くの皆さんに体験してもらえるよう、例えばハーネスのつなぎ方などで困っている人がいたら、どんどん助けていきたいです」(袴田氏)
次世代の技術者育成には課題が山積
優れた技術を持つ専門業者たちにとって、現在最も大きな問題は一にも二にも後継者の不足だ。
センテックの袴田氏も、日本ゲーム博物館でスタッフの指導をする一方で、自身の会社には後継者がまだいない。同社に限らず、このままでは長年の経験で得た技術や情報が消滅し、貴重な基板や筐体が散逸または廃棄されてしまう恐れがある。
袴田氏によれば、前述したハーネスの売上だけでは会社を回せないという。またコロナ禍を機に、ハーネスなどを作るための必要な部材が値上がりし、各種コネクターが入手しにくくなったことで収益性がさらに低下した。
ほかにも、生産が終了した部品が増えたことで、基板などを修理したくても入手できない問題も出てきている。そんな状況下にあっても、オリジナル品と同等に機能するカスタムICを新たに作り出す、いわゆるリプロダクションをする方法を編み出して修理する猛者もいるそうだ。だが、元からパイの小さい業種ゆえ、ある程度の大きな規模の会社に就職する以外に、安定した収入を得るのは難しいのが現状だ。
「私が『日本ゲーム博物館』で仕事をするのも、自分の経験を伝承したいからなんです。ゲームは電源を入れたら、いずれは必ず壊れるものですし、ゲームの修理を専門に教える学校は存在しないですからね。
基板や筐体を扱う仕事は『ただゲームが好きなだけ』ではダメで、機械を直すのが楽しいと思えるような人でなければ向かないでしょう。それから、今後はプレイヤー、つまり古いゲームでも遊んでくれるお客さんも育てていかなければ、と思っているところです」(袴田氏)
拙稿「消滅しそうな懐かしゲーム、『保存』から『利活用』へ ゲームアーカイブ最新レポート」などでも紹介したように、現在では文化庁、すなわち行政がゲームアーカイブ活動の支援を実施するようになった。今後は袴田氏のような修理、メンテナンス技術に長けた職人たちも、事業支援などの形で早急に取り込むことが必要不可欠のように思えてならない。
【この記事は、Yahoo!ニュース個人のテーマ支援記事です。オーサーが発案した記事テーマについて、一部執筆費用を負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】