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超レアなゲームも遊べる驚き 懐かしいアーケードゲームの展示会はなぜ開催されたか

鴫原盛之ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表
昭和時代の駄菓子屋をイメージしたコーナー(名古屋市博物館で筆者撮影。以下同じ)

どこのゲームセンターに行っても今や滅多に見ることのできない、歴代の貴重なアーケードゲームが約70台も遊べる特別展「ゲーセンミュージアム」(主催:名古屋市博物館、中日新聞社、CBCテレビ、テレビ愛知)が、6月1日から8月29日まで名古屋市博物館で開催されている。

本展は、2019年に同館で開催された「ゲームセンターの思い出展」に続く展示イベントで、当初は昨年夏に開催予定だったものが、新型コロナウイルス流行の影響により延期されていた。会場内には年代順にゲームが並べられており、デパートの屋上ゲームコーナーやゲームセンターなど「遊び場の再現」をテーマにした展示になっている。アーケードゲームの歴史を遊びながら学べるのが本展の特長だ。

そして展示されているアーケードゲームは、すべて日本ゲーム博物館(小牧ハイウェイ企画)が提供している。

同館は、2019年9月に掲載した拙稿「貴重な300種類以上のゲームを残したい! 地方で奮闘する『日本ゲーム博物館』」でも紹介したように、かつて愛知県犬山市にあったが2016年から休館中。現在は、愛知県小牧市で中央自動車道と直結する「ハイウェイオアシス構想」内でのリニューアルオープンに向けて着々と準備を進めている。ゲームのコレクション、保存活動も精力的に続けており、2017~2018年度には文化庁の支援事業にも選ばれている。

休館となって久しいなか、なぜ同館は本展の開催に協力をしたのだろうか? そしてリニューアルオープン後は、いったいどのような運営を目指しているのだろうか? 同館館長の辻哲朗氏と店長の半澤雄一氏、名古屋市博物館学芸係長の武藤真氏にお話を伺った。

日本ゲーム博物館の辻哲朗氏(左)と半澤雄一氏(右手前)、名古屋市博物館の武藤真氏。写真は昭和時代の喫茶店をイメージした、テーブル筐体の展示コーナーで撮影したもの
日本ゲーム博物館の辻哲朗氏(左)と半澤雄一氏(右手前)、名古屋市博物館の武藤真氏。写真は昭和時代の喫茶店をイメージした、テーブル筐体の展示コーナーで撮影したもの

「遊び場を再現する」コンセプトが大好評

本展の展示内容は、いずれも2年前に開催された「ゲームセンターの思い出展」の来場者アンケートなどを参考にしており、当時の好評ぶりから名古屋市博物館、日本ゲーム博物館ともに「これなら大丈夫」と開催前から好感触があったという。コロナ禍でスケジュールの再調整を余儀なくされたものの、当初の構想どおりの展示が実現し、来場者の評判も上々だ。

「お陰様で、たいへんご好評をいただいております。今回のテーマは『遊び場の再現』なのですが、ご年配の方は朝一番にテーブル筐体(きょうたい)に張り付き、30~40代の方は自身が懐かしいと思うビデオゲームの展示コーナーに確実に集まります。ピンボールは、ご年配の方だけでなく、小さなお子様もよく遊ばれますね。お子様はメダル、クレーンゲームにもよく集まりますし、『ワニワニパニック』や『太鼓の達人』は年齢層に関係なく人気です」(武藤氏)

「SNSに『楽しかった。また来ます』とか『また来ました!』と投稿してくださる方がすごく多いですね。ゲームの展示イベントは、何度も繰り返し来られる方がとても多いところが特徴です。犬山の旧館時代は、海外からもお客様がいらっしゃいましたね」(辻氏)

半澤氏からは、今回の展示タイトルのセレクトや展示方法が、日本ゲーム博物館のリニューアルオープンに向けたメッセージの発信も兼ねていることも教えていただいた。きたる「新」日本ゲーム博物館でも、展示コーナーを年代やジャンルごとに区切り、遊びながら歴史が学べるコンセプトが継続されると思われる。

懐かしのマンガ「ゲームセンターあらし」の主人公になった気分で楽しめる、巨大スクリーンに映し出された「スペースインベーダー」
懐かしのマンガ「ゲームセンターあらし」の主人公になった気分で楽しめる、巨大スクリーンに映し出された「スペースインベーダー」

リニューアルオープンにあたり「ゲーセンミュージアム」の運営ノウハウを活用

本展の開催を通じて得られた知見は、展示タイトルのセレクトや展示方法だけではない。コロナ対策をはじめ、展示規模や入場者数によって何人のスタッフが必要になるのかなど、運営面においても絶好のシミュレーションとなったようだ。

武藤氏によれば、入口に手指の消毒液と非接触式の検温システムを用意するとともに、遊べる時間を2時間30分で案内し、一度に入場できる人数の上限も設定しているそうだ。

「博物館と、ゲームセンター両方のガイドラインを遵守しながら運営しています。人数が上限に達した場合は、整理券を配布して待機時間をお知らせするようにしておりまして、今のところ毎週土日には入場まで最大90分でご案内しております」(武藤氏)

会場内にも、消毒液が驚くほどたくさん用意されている。「消毒液は、ゲーム2台に1つの割り合いで設置しています」という徹底ぶりで、開館中はスタッフによる展示品の清掃作業も欠かさず実施されている。

「お客様がゲームを遊ぶ際はボタンやレバーを必ず触りますので、博物館の皆様には除菌をこまめにしていただいております。ただ、アルコールが入った消毒液を使うとアクリル板などが傷んでしまいますので、筐体を清掃するときは中性洗剤を使うようにお願いしています。皆様にはご苦労をお掛けして本当に申し訳ないのですが……」(半澤氏)

エレメカコーナーより。2台の筐体の間に消毒液を置いている
エレメカコーナーより。2台の筐体の間に消毒液を置いている

こちらはピンボールの展示コーナー。昔のボウリング場にあったゲームコーナーをイメージしている
こちらはピンボールの展示コーナー。昔のボウリング場にあったゲームコーナーをイメージしている

辻、半澤両氏ともに、来場者の動向やSNSの投稿もチェックしている。

「ファミリー層にどう訴求するのか、とても重要なポイントになると考えています。ゲームは男性のマニアックな遊びというイメージがどうしても強いので、特に奥様、あるいは彼女にも楽しいと思っていただける展示にしなければ、お客様の再来場はないだろうと思っております。

 博物館は、従来のゲームセンターとは運営方法が当然違いますから、会場で皆さんの反応を見ているとものすごく参考になりますね。長く続けていくためにも、何も実験や検証をせずにいきなり始めるというのは避けたいですから」(半澤氏)

「犬山の旧館時代も、奥様方が出入口の辺りでぐったりしていたり、旦那様とゲームで遊ぶ遊ばないで争っていることがあったんです。ですから、次回は女性が絶対に退屈しない展示にしようと、私も強く思っております」(辻氏)

懐かしのキッズ用メダルゲームのコーナー
懐かしのキッズ用メダルゲームのコーナー

運営にあたり特に難しいのがゲーム機類のメンテナンスだ。今から30~40年、物によっては50年も前に製造された古い機械もあり、突然の故障や不具合の発生はどうしても避けられない。

だからスタッフは、開館中もメンテナンス業務を毎日欠かさず実施している。筆者もゲームセンターに勤めていた経験があるので、メンテナンス業務の大変さはよくわかるつもりだが、同社のスタッフたちは大変どころか、むしろ仕事を楽しめている様子だった。

「開館中でも、みんな人目を気にせず仕事をしていますよ。機械をバラして作業をしていると『写真を撮らせて下さい』と、お客様からよくお願いされます(笑)」(半澤氏)

「昔のエレメカとかは、お客様に機械の中を開いて見せたほうが『こんな仕組みになっているのか!』と、かえって面白がっていただけることもありますよ」(辻氏)

エレメカの修理をする半澤氏。メンテナンスは開館中も毎日欠かさず実施している
エレメカの修理をする半澤氏。メンテナンスは開館中も毎日欠かさず実施している

ゲームの収集と人材育成に注力しつつ鋭意充電中

前回の取材では、「日本ゲーム博物館」は2022年春のリニューアルオープンを予定しているとのことだったが、現状はどうなっているのだろうか?

「たいへん申し訳ないのですが、現時点でいつオープンするのか、まだ皆さんにお知らせすることはできません。コロナ禍で予定が遅れているだけでなく、『ハイウェイオアシス構想』全体で20ヘクタールもの敷地を使う巨大開発プロジェクトでもあることから、各所と日々いろいろな調整をしている最中です。

 会社の取締役会には私も毎回参加していますが、調整が実って開発の許認可がもうすぐ下りる目処が立ってきたところで、リニューアルオープンに向けた準備は着々と進んでいる、ということだけはお伝えしておきます」(半澤氏)

ゲームファンにとっては待ち遠しい日々がまだ続くが、幸いにも地元市民から「ハイウェイオアシス構想」への目立った反対意見はないという。また、休館してすでに5年が経つ状況でありながら、同館のスタッフたちは幾多のゲームを保存しようという強い意欲、使命感がまったく薄れていないのは朗報だった。

「『ゲーセンミュージアム』にご提供した70台以外にも、倉庫にはたくさんのアーケードゲームがあり、ピンボールだけでも約160台、すべてのコレクションを合わせると300台以上のコレクションがあります。個人的には、大型の体感筐体を使ったゲームやピンボールはもっと欲しいですね。ゲームの基板だけですと、個人のコレクターの方でもいろいろ持っている方がいらっしゃいますが、大型の筐体は場所を取るので個人で集めるのはとても難しいですから、そこは我々の大切な使命ではないかと思っております」(辻氏)

80~90年代に発売された、大型体感筐体が並んだコーナー
80~90年代に発売された、大型体感筐体が並んだコーナー

古いゲームのアーカイビングを続けるうえでは、メンテナンスのノウハウの継承も欠かせない。リニューアルオープンまでの準備が長引いている期間を生かし、スタッフのスキルアップにも注力しているという。

「半澤を中心に、スタッフのメンテナンススキルの向上に努めています。私に聞けばすぐに修理の方法を教えられるような場合でも、次の世代に育ってもらうため、あえて心を鬼にして教えないようにしました。自力で修羅場をくぐった経験がないと、一人前にはなれないと思ったからです。

 私は元々運送屋で、旧館はメンテナンスの経験ゼロから始めました。そこから自分でマニュアルを読んだり、部品を取り寄せたりしているうちに、少しずつできるようになっていきました。いつまでも私に頼ってばかりではなく、みんなが自力で解決できるようにしないとアカンやろということで、今回の『ゲーセンミュージアム』も試練、勉強の場にさせていただいています」(辻氏)

「館長の方針のおかげで、リニューアルオープンに向けた土台が作れたのではないかと思います。最初はゲーム機の構造どころか、電子機器のことも全然わからなかった女性スタッフも、今ではゲームによっては私より詳しいものもあります。配線図も読めるようになり、エレメカを修理するときは『私がやります!』って自分から手を挙げてくれるほど成長しました」(半澤氏)

1970年代に製造されたと思われる、発売元が不明の超レアなクレーンゲームが遊べるのも驚きだ
1970年代に製造されたと思われる、発売元が不明の超レアなクレーンゲームが遊べるのも驚きだ

日本ゲーム博物館のリニューアルオープンは当初の構想よりも先になってしまったが、同じ愛知県にある名古屋市博物館との連携、協力体制は今後も続くことになるかもしれない。

「今後も、いろいろとご協力をいただけたらありがたいですね。これからはゲームも歴史的な資料にどんどんなっていきますし、我々としても本当に心強いと思っております。

 『ゲーセンミュージアム』の状況は、Twitterなどで日々お知らせしていますので、ぜひチェックして下さい。また、ご来館の際はマスクの着用や、手指の消毒と飲食禁止のご協力と、お客様同士で譲り合ってのご利用をお願いします」(武藤氏)

「『ゲーセンミュージアム』の会場に展示されたゲームで遊べるのを楽しみに、多くの皆様がお越し下さっているのを日々実感しています。まだしばらくの間はコロナ対策や各方面との調整が続きますが、リニューアルオープンへのご期待もひしひしと感じつつ、スタッフ一同、日々の業務に励んでおります。良い続報がお伝えできるまでもう少々お待ち下さい」(辻、半澤氏)

すべてのゲームファンが待ち望む「日本ゲーム博物館」のリニューアルオープンが実現、という吉報が届く日を心待ちにしたい

■参考リンク

・名古屋市博物館:令和3年度の特別展

・「ゲーセンミュージアム」公式サイト

「スペースインベーダー」のリアル体験コーナーにて。お三方が手にしているパネルを持って自由に撮影したり、フェイスシールドを着用したうえで体験することができる
「スペースインベーダー」のリアル体験コーナーにて。お三方が手にしているパネルを持って自由に撮影したり、フェイスシールドを着用したうえで体験することができる

【この記事は、Yahoo!ニュース 個人の企画支援記事です。オーサーが発案した企画について、編集部が一定の基準に基づく審査の上、取材費などを負担しているものです。この活動は個人の発信者をサポート・応援する目的で行っています。】

ライター/日本デジタルゲーム学会ゲームメディアSIG代表

1993年に「月刊ゲーメスト」の攻略ライターとしてデビュー。その後、ゲームセンター店長やメーカー営業などの職を経て、2004年からゲームメディアを中心に活動するフリーライターとなり、文化庁のメディア芸術連携促進事業 連携共同事業などにも参加し、ゲーム産業史のオーラル・ヒストリーの収集・記録も手掛ける。主な著書は「ファミダス ファミコン裏技編」「ゲーム職人第1集」(共にマイクロマガジン社)、「ナムコはいかにして世界を変えたのか──ゲーム音楽の誕生」(Pヴァイン)、共著では「デジタルゲームの教科書」(SBクリエイティブ)「ビジネスを変える『ゲームニクス』」(日経BP)などがある。

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