レジェンド武豊と大親友が、偶然と幸運で手にした奇跡の一日のストーリー
懐かしい勝負服に身を包み
「先生、返し馬はどんな感じでやりましょうか?」
ジョッキーから調教師に対する普通の質問。しかし、この時は、周囲で聞いていた他の騎手達も「さすが!!」と舌を巻いた。
9月14日、園田競馬場で行われたゴールデンジョッキーカップ。通算2000勝以上を挙げた騎手の中から、JRA、地方を代表し、12人の名手が一堂に会した。12人はいずれも3レースに騎乗。着順に応じたポイントで覇を競ったのだが、中でも注目を浴びたのがJRAの武豊騎手と横山典弘騎手。武豊は1998年に初めて日本ダービー(GⅠ)を制した時に騎乗していたスペシャルウィークの勝負服に身を包み、横山はメジロライアン等に代表される“メジロ”の勝負服に袖を通した。
「タイムスリップしたみたい」「何か少し恥ずかしい」等と言いつつも、笑みをみせていた2人だが、第2戦のエキサイティングジョッキー賞に臨む時、武豊は柔和な表情の中にも真剣な眼差しを見せた。
「単勝1・1倍とか1・2倍とかの支持をされていましたからね。少し緊張しました」
十数年前に作られた縁
騎乗したのはディージェーサン。美浦・小桧山悟厩舎からの転厩馬で、西脇の永島太郎調教師が管理していた。永島は言う。
「転厩して少ししてから爪を痛めてしまいました。それでオーナーに承諾していただき、しばらくの間、休ませました」
それが奏功した。すっかり爪の不安はなくなり、帰厩後は破竹の4連勝。そんな馬が、このゴールデンジョッキーカップで、鞍上にレジェンド武豊を引き当てた。
永島が興奮気味に言う。
「幸運な事に、豊さんに乗っていただけるなんて、夢のようです」
永島は、武に、少なからず縁があった。いや、縁を作っていた。
私も偶然、その席にいたが、昔の話なので、ハッキリとした年月が思い出せない。たしか15〜20年前くらいだったはずだ。ゴールデンジョッキーカップに参戦するために園田に来場した武豊に、全レース終了後の打ち上げの席で、当時騎手だった永島が思い切って声をかけたのだ。
そして、それをきっかけにその後、プライベートの食事会にも呼んでもらえるようになった永島は、ますます武豊に心酔していったのだ。
「付き合いが深くなるほど、素晴らしい人格者だと分かりました。騎手としては勿論ですが、人としても見習うところばかりで、色々と勉強させてもらっています」
後に娘のまなみがJRAの競馬学校に受かった時にはこんな事があった。武豊と永島太郎が一緒にいる席で、まなみにお祝いの電話をすると、彼女が次のように言ったのだ。
「武さんに憧れて騎手を目指しました」
太郎はガクッと右肩を落とすマネをして、苦笑したが、続けて言った。
「まぁ、豊さんに憧れるのは当然ですね」
偶然と幸運が生んだ再タッグ
そんな永島が、騎手を引退し、調教師となった。
一報を聞いた際「まだ若いのに勿体ない」と言った武豊だが、すぐに「新たな道も応援しますよ」と声を寄せた。
2022年には永島が管理するトウケイラオフェンがJRAに挑戦。武豊に騎乗依頼をすると「喜んで乗りますよ」と二つ返事で快諾。親友同士が初めてタッグを組んで勝利を目指した。しかし……。
「心房細動になってしまい、豊さんに迷惑をかけてしまいました」
永島がそう言うように勝ち馬から6秒1も離されて、最下位の12着。苦い船出となってしまった。
今回はそれ以来、二度目のタッグ。それも先述した通り、抽せんにより、偶然のコンビ再結成となったのだ。
しかし、競馬の神様が仕込んだ奇跡はそれだけにとどまらなかった。2000勝以上の騎手で争うこの3レース、主催者はそれぞれのレースの誘導馬に、2000勝以上を挙げた元名騎手を配した。そして、このディージェーサンが出走するレースには、なんと騎手時代2043勝をマークした永島太郎現調教師が誘導馬に乗る事になっていたのだ。
「こんな奇跡的な偶然は、考えてもいませんでした」
そう語った永島が、現役騎手時代の勝負服を身にまとい、誘導馬に乗ってパドックに現れた。その後、出走各馬を誘導して、馬場入りした。その際、ディージェーサンの鞍上にいる武豊から、かけられた言葉が、冒頭に紹介したそれだ。
「先生、返し馬はどんな感じでやりましょうか?」
思わぬところでの言葉に、他の騎手も永島も思わず笑ってしまった。永島は言う。
「レース前には『今度は心房細動にならないよね?』と先制のジャブをもらったし、豊さんにはかないません」
ジョークを言うだけではなく、結果を残すのも武豊の武豊たるゆえんだ。天才にいざなわれたディージェーサンは、好位を追走すると、4角で外をまくるようにして先頭に。そして、直線は堂々と抜け出して、快勝したのだ。
「さすが豊、危な気なく勝ったね」
そう語ったのは、表彰式で、馬主代理として壇上に立った小桧山悟調教師(美浦)だ。ディージェーサンの元の管理者で、この後、再び預かる予定だという小桧山は、笑いながら言った。
「パドックで豊の足を僕が上げたら勝ったよ」
これに対し、私が苦笑しながら「先生が上げていなくても武豊騎手は勝つんですよ」と返すと、それを聞いていた武豊が言った。
「先生に足を上げられて“も”勝ちました」
さすがの返しをしたレジェンドジョッキーは、この勝利が決め手となり、ゴールデンジョッキーカップの総合優勝も決めた。「アレを達成出来ました」と言い、再び笑いの輪を広げた武豊だが、表彰が終わると、今度は真面目な表情になって、言った。
「普段から仲良くしている永島調教師と、一緒に初めて勝てました。嬉しいし、これからももっとこういう結果を増やしていきたいです」
武豊の援護もあって、永島はこの日、2連勝。更に続くJRA交流レースでは、まなみが優勝した。永島は、競馬場を後にするクルマの中で、しみじみと言った。
「まさか自分も勝負服を着た状態で、豊さんと口取りを出来る日が来るなんて思いもしませんでした。こんな事あるんですね」
負ける事の方が圧倒的に多い競馬の世界では、なかなか思うようにいかなくて当たり前だ。しかし、そんな中でも腐らずに真面目に取り組んでいるホースマンには、時々こういう奇跡的なご褒美が、競馬の神様から与えられる。そんなふうに感じた1日だった。
(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)