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【オートバイのあれこれ】わずか3年で消えてしまったカワサキのGP500マシン

Rotti.モトエンスー(moto enthusiast)

全国1,000万人のバイクファンへ送るこのコーナー。

今日は「わずか3年で消えてしまったカワサキのGP500マシン」をテーマにお話ししようと思います。

ホンダ・ヤマハ・スズキと比べ、WGP(世界グランプリ)への参戦にはあまり積極的でなかったカワサキ。

1970年代からGP250/350クラスへは参戦し始めたカワサキでしたが、最高峰クラスであるGP500クラスへはエントリーしていませんでした。

しかし、参戦していたGP250/350クラスを2年連続(’78年と’79年)で制したことを弾みにして、ついにカワサキはGP500への進出を決意。

そこで新たに作られたマシンが、『KR500』でした。

▲GP250/350クラスで2年連続の世界王者に輝いたことを機に、最高峰のGP500へも進出!
▲GP250/350クラスで2年連続の世界王者に輝いたことを機に、最高峰のGP500へも進出!


KR500の車体設計はなかなか個性的。

パワーユニットは、チャンピオンマシン『KR250/350』に使われていたタンデムツインエンジン(気筒が車体の前後方向に並ぶ形式)を2機合体させた格好の4気筒(スクエア4)とされ、またフレームに関しても、オートバイでは珍しいモノコックタイプが採用されました。

▲KR500の2スト水冷スクエア4気筒エンジン。4つの気筒が正方形を形作る格好で並ぶ
▲KR500の2スト水冷スクエア4気筒エンジン。4つの気筒が正方形を形作る格好で並ぶ

▲KR250。タンデムツインという独特な配置でシリンダーが並ぶエンジンを搭載していた
▲KR250。タンデムツインという独特な配置でシリンダーが並ぶエンジンを搭載していた


’80年シーズンから最高峰クラスを走り始めたKR500でしたが、全てがゼロからの初年度はさすがになかなか勝てず、芳しい戦績を残せないままデビューイヤーを終えることとなります。

翌’81年シーズンは、前年に得られたデータを元にバイクの改善が図られ、KR500は3位表彰台を獲得するなど、着実な進化を見せてくれました。

▲GP500参戦2年目の’81年には、好成績を収めた
▲GP500参戦2年目の’81年には、好成績を収めた


そして、参戦3年目の’82年。

’81年にそこそこの好成績を収めていたことから、KR500には大きな期待が寄せられていました。

しかし、結論から言うと、KR500はその期待を裏切ることになってしまいます。

’82年型KR500は、表彰台はおろか、上位争いにすら絡めなくなっていました。

これはどういうことかと言うと、’82年型KR500が、前年までのものと大きく異なる設計となっており、それまでに蓄積していたデータを車両の改善に活かせなくなっていたのです。

▲GP250/350を2年連続で制したコーク・バリントンも、KR500を勝たせることができなかった
▲GP250/350を2年連続で制したコーク・バリントンも、KR500を勝たせることができなかった


エンジンこそスクエア4気筒のままでしたが、マシンの特性を司る、いわばマシンの根幹であるフレームが、従来のモノコックタイプからバックボーンタイプへと変更されており、’82年型KR500は、前年までのKRとは「全く別のバイク」になっていたというわけですね。

もちろんそこにはカワサキなりに算段があったはずですが、この戦略は残念ながら功を奏することなく、’82年シーズンのKR500は散々な戦績に終わります。

そして、この迷走状態のままカワサキはこの年をもってWGPからの撤退を決め、KR500も表舞台から退くことになりました。


あの時、モノコックKRを貫いていれば…。

カワサキのGP500へのチャレンジは、なんとも未練の残るものだったと言わざるを得ないでしょう。

▲3年で消えてしまった、儚いGP500マシンとなった
▲3年で消えてしまった、儚いGP500マシンとなった

画像引用元:カワサキモータースジャパン

モトエンスー(moto enthusiast)

バイクを楽しむライター。バイク歴15年で乗り継いだ愛車は10台以上。ツーリング/モータースポーツ、オンロード/オフロード、最新バイク/絶版バイク問わず、バイクにまつわることは全部好き。

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