【オートバイのあれこれ】わずか3年で消えてしまったカワサキのGP500マシン
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今日は「わずか3年で消えてしまったカワサキのGP500マシン」をテーマにお話ししようと思います。
ホンダ・ヤマハ・スズキと比べ、WGP(世界グランプリ)への参戦にはあまり積極的でなかったカワサキ。
1970年代からGP250/350クラスへは参戦し始めたカワサキでしたが、最高峰クラスであるGP500クラスへはエントリーしていませんでした。
しかし、参戦していたGP250/350クラスを2年連続(’78年と’79年)で制したことを弾みにして、ついにカワサキはGP500への進出を決意。
そこで新たに作られたマシンが、『KR500』でした。
KR500の車体設計はなかなか個性的。
パワーユニットは、チャンピオンマシン『KR250/350』に使われていたタンデムツインエンジン(気筒が車体の前後方向に並ぶ形式)を2機合体させた格好の4気筒(スクエア4)とされ、またフレームに関しても、オートバイでは珍しいモノコックタイプが採用されました。
’80年シーズンから最高峰クラスを走り始めたKR500でしたが、全てがゼロからの初年度はさすがになかなか勝てず、芳しい戦績を残せないままデビューイヤーを終えることとなります。
翌’81年シーズンは、前年に得られたデータを元にバイクの改善が図られ、KR500は3位表彰台を獲得するなど、着実な進化を見せてくれました。
そして、参戦3年目の’82年。
’81年にそこそこの好成績を収めていたことから、KR500には大きな期待が寄せられていました。
しかし、結論から言うと、KR500はその期待を裏切ることになってしまいます。
’82年型KR500は、表彰台はおろか、上位争いにすら絡めなくなっていました。
これはどういうことかと言うと、’82年型KR500が、前年までのものと大きく異なる設計となっており、それまでに蓄積していたデータを車両の改善に活かせなくなっていたのです。
エンジンこそスクエア4気筒のままでしたが、マシンの特性を司る、いわばマシンの根幹であるフレームが、従来のモノコックタイプからバックボーンタイプへと変更されており、’82年型KR500は、前年までのKRとは「全く別のバイク」になっていたというわけですね。
もちろんそこにはカワサキなりに算段があったはずですが、この戦略は残念ながら功を奏することなく、’82年シーズンのKR500は散々な戦績に終わります。
そして、この迷走状態のままカワサキはこの年をもってWGPからの撤退を決め、KR500も表舞台から退くことになりました。
あの時、モノコックKRを貫いていれば…。
カワサキのGP500へのチャレンジは、なんとも未練の残るものだったと言わざるを得ないでしょう。
画像引用元:カワサキモータースジャパン