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MLBドミニカ・アカデミーの先駆、カンポ・ラス・パルマス

阿佐智ベースボールジャーナリスト
ロサンゼルス・ドジャースのドミニカ・アカデミー、カンポ・ラス・パルマス

 メジャーリーグ全球団がドミニカ共和国に野球学校・アカデミーを置いていることはメジャーリーグファンならだれでも知っていることだろう。しかし、その実情については知らない人が大半だと思われる。今回は、そのドミニカ・アカデミーの中から、最初の本格的な施設として建設されたロサンゼルス・ドジャースのカンポ・ラス・パルマス・アカデミーを紹介したい。

カンポ・ラス・パルマスのメイン球場のネット裏スタンド。ここにはスタッフが陣取り、様々なデータを集める
カンポ・ラス・パルマスのメイン球場のネット裏スタンド。ここにはスタッフが陣取り、様々なデータを集める

 ドミニカに野球アカデミーが最初にできたのは1977年のことである。球団創設にあたってトロント・ブルージェイズが開設した。その後、他球団もこれに追随したが、当初、それらは地方公共団体や企業のグラウンドを間借りして運営されていた。その中、ロサンゼルス・ドジャースは1986年、首都サントドミンゴからほど近い、ゲラという町のはずれに寮、食堂、フィールドを備えた自前のアカデミー施設を建設、カンポ・ラス・パルマス(ヤシの村)と名付けた。

ドジャース・アカデミーのメイン球場はスコアボードも備えている
ドジャース・アカデミーのメイン球場はスコアボードも備えている

 サントドミンゴから西へ約30キロ。タクシーなら40分の所にドジャース・アカデミーはある。3キロほど先にはゲラの町があり、バスも通じている。通りに面して施設が見えるのでメジャーリーグの・アカデミーの中でも比較的アクセスはしやすいところにある。周囲には、レイズ、ロイヤルズ、マーリンズ、アストロズのアカデミーがある。

 門番に告げてゲートをくぐる。現在ドジャースは一般人のアカデミー訪問は許可していない。したがってここで行われるゲームを観戦できるのは、選手の縁者か、メディア、球団関係者ということになる。

メイン球場のスタンドにあるマニー・モタのプレート
メイン球場のスタンドにあるマニー・モタのプレート

 フィールドは4面。フルサイズが3面、内野のみのものが1面だ。フィールドには各々ドジャースでプレーしたドミニカ人選手の名がつけられており、一番通りに近い、試合が行われるメインフィールドにはドジャースで13シーズンを送った強打の外野手・マニー・モタの名がつけられている。

この日の試合には見学者多く集まった
この日の試合には見学者多く集まった

 このアカデミーには外部者は入れないと言いながら、このメインフィールドには観戦者用のスタンドも得点掲示板もある。おまけに来客用に冷水の入ったタンクと紙コップまで用意してくれている。取材したこの日も、試合開始当初は選手の家族らしき数人が観戦していたに過ぎなかったが、試合後半にはアメリカ人のグループがスタンドを占拠していた。聞けば、スポーツビジネスを学ぶ大学生のグループだった。ドジャースは不定期にこのような団体のツアーを受け入れているようだ。

DSLの試合で投げるレイズの投手
DSLの試合で投げるレイズの投手

 この日の試合は隣接して施設をもつタンパベイ・レイズとの試合。アカデミーのチームによるリーグ戦、ドミニカン・サマー・リーグ(DSL)は地区制を採用しているが、チーム数などはあまり考慮せず、施設が近いものどうしでディビジョンを構成する。しかし、現在、アカデミーの中には複数のチームを持つ球団があり、その場合は、同一球団の2チームは同じディビジョンに属することはなく、隣接したディビジョンに振り分けられる。ドジャースもDSLに2チームを参戦させており、この日は、ベネズエラ人監督率いる「バウティスタ」がここで試合をしていた。

ドジャースの打者
ドジャースの打者

 

 DSLでは、かつてはアメリカから送られるメジャー球団や傘下のマイナーチームの「おさがり」を着ていたが、現在は「自前」のものを着ている。関係者の話だと、現在ではドミニカに縫製工場ができ、ユニフォームや練習用Tシャツはここで生産されたものを着用しているそうだ。メジャーリーグ・アカデミーの存在は、このようなところでもドミニカ経済に貢献している。

 試合の方は、終盤にレイズ投手陣が乱れ、ドジャースが逆転勝ちを収めた。例のごとく試合が終われば、選手・コーチングスタッフは何事もなかったかのようにフィールドを去ってゆく。

 試合が終わる直前に選手を乗せた1台のバスが球場の横を通っていった。もうひとつのチーム、「シューメーカー」かと思ったが、あとで聞くと、このセカンドチームは延長戦を戦い、かなり遅くアカデミーに戻ってきたとのこと。ちなみにDSLでは延長戦はタイブレークで行う。バスに乗っていたのはサードチームの「ジュライ・セカンド(7月2日)」だそうだ。7月2日はドミニカにおける選手契約の解禁日。16歳になる年のこの日以降、メジャーリーグ各球団は選手との契約を行うことができるのだ。16歳といえば、日本では高校1年生。まだ体も出来上がっていないこともあり、彼らはまずは教育リーグでプロとしての手ほどきを受けるのだ。これ以上の年齢の選手に関しては、いつでも契約はOK。各球団は随時トライアウトを行っている。この日も、試合の終わったメイン球場には、翌日のトライアウトに備えて動画撮影の準備がなされていた。

 試合後、球団スタッフから、試合を観ていたアメリカの大学の施設見学ツアーに参加しては、と誘われたのでこれに合流させていただいた。

ドジャースアカデミーに授けられたトロフィー
ドジャースアカデミーに授けられたトロフィー

 

 まずはミーティングルームでのレクチャー。この部屋には、アカデミーのチームがこれまでDSLで獲得したトロフィーが飾られている。案内人の話だと、現在アカデミーの所属選手の半分はドミニカ以外の国からやってきた選手で、その中にはラテンアメリカ各国の選手だけではなく、スペインからの選手もいるという。

台湾から「短期留学」の張竣凱選手(右)と林楷キ(金偏に奇)選手(左)
台湾から「短期留学」の張竣凱選手(右)と林楷キ(金偏に奇)選手(左)

 

 また、選手契約はしていないものの、台湾から大学生選手2人が野球留学に来ていた。これらはドジャースのスカウト網の広さをうかがわせる話だが、球団は、そういう外国出身の選手の家族が訪ねて来た時のために、アカデミーの門を入ってすぐのところにある「ジャッキー・ロビンソン」の名が冠せられた棟を宿泊所として用意している。

ドジャースアカデミーの昼食
ドジャースアカデミーの昼食

 

 続いて案内されたのは、「トミー・ラソーダ」と名付けられたカフェテリアだ。アカデミーには80人を超える選手、指導者、スタッフが生活している。彼らの胃袋を満たすため、連日厨房はフル稼働だ。選手たちは朝7時に朝食、試合後に昼食、夕方6時以降に夕食と3食すべてをここで済ませる。試合日は、昼食がどうしても2時以降になることが多いので、選手たちは試合中、タッパーに入ったフルーツなどを口にしていた。我々も昼食をいただいたが、外国からの選手も多いとあって、料理にはあまりドミニカ色はなく、いくつかの料理からチョイスできるようになっている。メキシコ人選手などは、自分でタバスコを持ち込んでいた。また、単調な食生活にアクセントをつけるためか、カフェテリアに隣接してオープンエアのバーベキュー・スペースもある。

試合後、シャワーを浴び、昼食をとる選手たち
試合後、シャワーを浴び、昼食をとる選手たち

 

 ドミニカ人選手は土曜午前のゲームが終わると、週末は実家に帰って過ごすが(したがってDSLは日曜の試合はない)、それ以外は、選手は外出禁止。外国人選手はここにいる間は、基本、バスに乗ってビジターゲームに出かける以外は外出しない。そういう状況で競争の日々を送る中、どうしてもストレスがたまるが、球団はそういう選手のメンタル面にも配慮してか、ゲームやビデオを楽しむ娯楽部屋も設けている。選手たちは午後、今どきの若者らしく、その娯楽部屋でゲームなどを楽しむか、数人で一部屋のドミトリーでスマホに興じる。しかし、いかんせん、選手の大半は10代後半の日本で言えば高校生。ある指導者いわく、「ガキ大将の集まり」だ。けんかなどのトラブルは頻繁に起こるらしく、そのあたりの「生活指導」も監督・コーチの仕事となる。プロ集団とはいえ、そのあたりはまさに「アカデミー」の名がふさわしい。

英語の授業風景
英語の授業風景

 

 アカデミーのアカデミーたるゆえんは、午後には語学をはじめとするレッスンが行われることにある。選手たちの目指すところはもちろんのことアメリカだ。プレーができても英語がわからねば、指導者の指示も伝わらないし、日常生活もままならない。したがってフィールド上でも掛け声は英語を使用している。アメリカに渡った際に困らぬよう、ドミニカ人を中心とするラテンアメリカ出身者には英語のレッスンが、逆にスペイン語圏以外の国から来た選手、指導者にはスペイン語のレッスンを受けることが奨励、または義務づけられている。

 また、メジャーアカデミーの多くでは、希望者には高卒資格が取れるよう、外部から教師を呼んでレッスンが行われ、サントドミンゴで行われる試験も選手は受けることができる。この試験は、リーグ戦や練習より優先される。このような制度は、元々アメリカマイナーリーグにあった制度で、最初の契約時に高卒なり大卒なりの学歴を得る支援をすることが球団に義務付けられている。

 昼食の後は、カフェテリア、宿泊棟の裏にあるサブフィールドを見学した。2面のフル規格のフィールドがドミニカの原野に広がっているが、そのフィールドには人っ子ひとりいない。宿泊棟の室内練習場、トレーニングルームも同様だ。ここでは、自主練習は禁止。すべての練習は球団に管理されている。ウェイトトレーニングもマシンバッティングもトレーナーや指導者がついているところでしか認められない。メジャー球団にとって、ここにいる選手は大切な「原材料」。これを無傷で「半製品」として、アメリカに「輸出」するのがこのアカデミーの役割なのだ。

 ドミニカにメジャー球団がアカデミーを建てたのは、安価な「労働力」としての選手を求めてのことだった。しかし、当時、邦貨にしてたった数十万円だった契約金は、1000万円を超えるのは当たり前、時として数億円にも達している。

(写真はすべて筆者撮影) 

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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