元巨人投手が振り返る素晴らしいメキシコ野球―高木勇人(神奈川フューチャードリームス)物語3―
高木は、メキシカンリーグのアグアスカリエンテスからリリースされた後も、引き続きメキシコでプレーした。メキシカンリーグは夏季トップリーグの中で最も早く、9月末にシーズンを終えるが、間を置かずにウィンターリーグのシーズンが始まるのだ。中南米カリブのウィンターリーグの強豪、メキシカンパシフィックリーグの外国人ドラフトで指名された高木は、名門、クリアカン・トマテロスでプレーすることになったが、心の中ではここでメキシコ野球とは決別することを決めていた。
「日本から帰ってきてくれって連絡があったんですよ。もう結婚して子供もいましたから。ちょうど2人目も生まれて、嫁さんがもう限界だったんですよ。生まれることはわかってたんですが、ウィンターでひと月だけやらせてくれって」
所属先チームの本拠は太平洋岸の港町だった。地元の特産がトマトというのでおおよそ野球チームににつかわしくないネーミングがなされているが、その名からは連想できないほどこのチームは強かった。実際、このシーズンもリーグ制覇を果たし、カリビアンシリーズへの切符を手にしている。メキシコのプロ野球は全国展開の夏のメキシカンリーグより、アメリカでプレーする選手が合流し、チーム数も少ない冬のメキシカンパシフィックリーグの方がハイレベルと言われている。ある意味、メキシコナンバーワンチームが高木の最後のプレー場所となった。
高木は2試合に先発して2敗に終わると、メキシコを去った。成績は決して芳しくなかったが、球団からリリースされたわけではない。自ら長年の夢にピリオドを打ったのだ。
メキシコ野球マネー事情
高木のメキシコ生活は決して長くはなかったが、その時間は濃密だった。なにしろ若手の集まるマイナーの田舎球団からウィンターリーグの強豪まで、2年で6チームを渡り歩いたのだから。
そこで気になるのが、メキシコ野球のマネー事情だ。トップリーグのメキシカンリーグでさえ、ギャラの未払いは日常茶飯事だと聞くが、それは本当なのだろうか。
「ああ、それは僕も経験しましたよ。2021年に所属した最初の球団、ベラクルスはしばらく未払いでした。僕は開幕ロースターに漏れ、マイナーに飛ばされたんですけど、『俺んとこでやってないから』とか言い出して、しばらく払ってくれなかったんです。こっちにしたら、『いやいや、マイナーに飛ばしたのはそっちの都合で、球団には所属してただろう』って。それだからあのリーグ行ったんだし」
メキシコのマイナーリーグ事情は少々特殊だ。「メジャー」であるメキシカンリーグとマイナー球団の結びつきはアメリカのそれより緩い。独立リーグがメキシカンリーグの選手を預かっているというとわかりやすいだろうか。だからマイナー球団が、独自に選手を獲得し、そういう選手にはマイナー球団が直々にギャラを支払う。また、メキシカンリーグとの提携がなくなれば、リーグはそのままアマチュアのクラブチームのリーグとして運営され続けることもある。
そういう事情の中、高木への給料の支払いは、メキシカンリーグ球団とマイナー球団の間で押し付け合いとなっていたのだろう。
結局、給料は日本に帰国後に振り込まれたらしいが、マイナー球団でプレーしている間はやりくりが大変だった。
「本当に街のいろんな人に助けてもらって、ご飯を食べさせてもらいました」
その後、シーズン途中に高木はアグアスカリエンテスに移籍。こちらではきちんと給料が支払われた。
「現金払いでした。ドルがいいのかペソがいいのかって聞かれて、じゃあ、半分ペソ、半分ドルでって言って、手渡しでもらいました」
メキシコの治安
中南米と言えば、気になるのは治安だ。近年は、日本も物騒なニュースが飛び交うようになったが、政治家がマフィアに暗殺されることが珍しくないお国柄。数年前も、日本でもプレーしていた元メジャーリーガー、ナルシソ・エルビラ(元近鉄)氏が、武装グループの襲撃を受け、亡くなるという野球ファンにとって悲しい事件があった。とくにアメリカとの国境地帯の町は夜に出歩くことは自殺行為だという。
「1年目、コロナでプレーはできなかったんですが、メリダという町では、球団が高級住宅街に家を借りてくれたんですよ。品がよくて本当に安全なところだったらしいんですが、日本の感覚からすれば、これで品がいいのって(笑)。そんなレベルでした。みんな普通に銃持ってるし。すごいなって思ってたら、2022年はマイナーに落とされて、それこそアリゾナの国境の方のところまで野球しに行くことになりました」
国境の町の中で、一番栄えているのが、ティファナだ。この町には現在、トロスというメキシカンリーグのチームが本拠を置いているが、高木は遠征でここを訪れたという。
インタビュー中、高木から逆に質問された。
「ホンコン行きました?」
メキシコの話を聞いているのに、いきなり高木からアジアの地名が出てきたのだ。脈絡のない質問に私が戸惑っていると、高木が笑った。
「ティファナにある店のことですよ」
ティファナは、西海岸、アメリカのサンディエゴからほど近い、国境の町だ。メキシコの治安に不安を抱き、本格的に足を踏み入れるのをためらうライトな旅人が訪ねる「気軽なメキシコ」である。サンディエゴからトロリーに乗れば1時間ほどで国境に到着し、パスポートをちらっと見せるだけで、1日メキシコ体験ができる。夜の歓楽街も充実しているらしく、「ホンコン」とはポールダンスを男たちに見せる有名店らしい。ネーミングから察するに中国人がオーナーを務めているのだろう。選手たちは、年1度の遠征の試合後、ここで夜を過ごすのが楽しみのようだった。
「なんか有名な店らしくて、ティファナに行ったとき、チームメイトから『お前、アジア人だからホンコン知ってるだろうって』って」
この店に行ったかどうかについては、高木は答えてくれなかった。
結局、高木のメキシコ野球挑戦は実質1年で終わった。まだ体は動くが、今後再挑戦することはないという。
「さすがに家族を連れてはいけないですから。文法は全然だけど、僕は少しはスペイン語覚えたんですが、嫁さんはからっきしだめですし」
今後も、神奈川フューチャードリームスで、兼任コーチの立場で若い選手を育てていく予定だ。
「メキシコ行ってよかったです。めっちゃ楽しかったですね」
高木は、メキシコへの「旅」をこう振り返る。野球少年だった彼が憧れた海外への気ままなバックパッキングとは少々違ったかたちにはなったが、まだ見ぬ異国を野球というフィルターを通じて感じた経験は、彼の人生の大きな糧になったことだろう。
(おわり)