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1シーズンで4チームでプレー:メキシコ野球の現実―高木勇人(神奈川フューチャードリームス)物語2―

阿佐智ベースボールジャーナリスト
今もマウンドに立ち続ける高木勇人(Kanagawa Future Dreams)

コロナ禍で始まったメキシコ生活

 高木のプレーの場は、メキシコ南部、リゾート地としても名高いユカタン半島の南西の付け根にあるメリダという町になった。球団からは高級住宅街に一軒家が与えられ、温暖な本拠地で行われるキャンプにも初日から参加した。長年の夢だった海外でのプレーだったが、数日でその夢は幻へと変わっていった。

「5日目ぐらいでキャンプが中止になったんですよ」

 高木がメキシコへ渡ったのは2020年の3月だ。前年から世界中で報じられていた新型コロナが、ちょうどこの頃、パンデミックを起こし始めていた。メキシコ政府はこのパンデミックに対して断固とした措置を取った。その状況を前に、帰国という選択肢も高木の脳裏をよぎったが、球団からは帰国すれば、もう戻っては来れないと通達された。

「球団が日本とメキシコの往復航空券は用意してくれてたんですけど、帰りの予約がシーズンの終わりになってたんですよ。変更はできないみたいで、帰るのはいいけど、自腹だよって。それにいったんメキシコを出てしまうと、戻れなくなる可能性も高かったんで…。結局、この年のメキシカンリーグは中止になったんですが、いきなり中止が決まったんではなく、延期、延期の連続だったんです。まず1ヶ月延期します。その後、また1ヶ月、また1ヶ月で、残り2ヶ月ぐらいになって、結局中止が決まって…」

 メリダの町はロックダウン。外出は禁止となった。それでも、プロ野球チームとしては、いつスタートするのかわからない中でもシーズンに向けて選手の体をなまらせるわけにはいかない。だから市内の公園で練習することになったが、それもまた命がけであった。

「ロックダウンですから、本拠地球場は封鎖なんです。それに町には外出禁止を監視するためにポリスがうろうろしているんです。なんでも、1世帯につき1人は出てもいいらしかったんですけど、僕はそんなこと説明できないし。家出た途端にポリスに銃を突きつけられて焦りましたよ。もう、撃つぞ、くらいな勢いでしたし、なに言ってんだかわからないし。たぶん、さっさと帰れみたいなこと言ってたんでしょうけど」

 なによりも困ったのは、経済的な面だった。なにしろ現地で稼ぐことを前提にしていたので、手持ちはほとんどない。住むところは球団があてがってくれたが、光熱費は自腹。食費も合わせて毎月それなりの額は出ていくのだが、リーグ戦が行われない中、球団にも実入りがない。当然のごとく給料は出なかった。

「とにかくお金なかったですよ。それでどうしたんだろう。送金してもらったのかな。最終的には、嫁さんのご両親がこっちに遊びに来て。その時にもってきてくれたのかな。」

 シーズン中止決定後、高木は帰国。ルートインBCリーグの神奈川フューチャードリームスのユニフォームに袖を通すことになった。パンデミックが明ければ再びメキシコに戻るつもりだった高木は残りのシーズンで7試合に先発し、翌年に備えた。

 そして迎えた2021年シーズン。前年と同じくレオーネスと契約を結んだものの、高木がメキシコに戻ることはなかった。

「外国人枠がなしになったって、メキシコ人だけでやるって言われたんで、契約がなくなったんです」

 実際には、この年のメキシカンリーグでは多数の外国人選手がプレーしている。ただし彼らはメキシコと地理的に近いアメリカ、文化的に近いドミニカやベネズエラなど他のラテンアメリカからの選手だった。リーグ運営がどうなるのか不透明だった中、球団としては遠い日本から選手を呼び寄せることにリスクを感じたのかもしれない。

 それでも、高木はメキシコのマウンドに立つことを夢見て、独立リーグでプレーする道を選んだ。

「このままでは後悔すると思ったんで。」

しょっぱかったメキシコのマウンド

 翌2022年、高木はついにメキシコのマウンドに立った。しかし現実は甘くはなかった。

 このシーズンに契約を結んだのは、レオーネスと同じ南地区のベラクルス・アギラだった。しかし、結局、アクティブ・ロースターに高木の名が載ることはなかった。キャンプが終わり、さあ開幕というところで、高木に手渡されたのは、一枚の航空券だった。

「違うリーグに飛ばされたんですよ。教育リーグみたいなとこに。」

 メキシカンリーグにも外国人枠がある。メジャー枠からこぼれ落ちたドミニカンやベネズエランがこのリーグにひしめく中、高木は「助っ人」の立場をここメキシコで思い知らされることになった。

 高木はファームリーグに送られることになった。アメリカのマイナーリーグと似ていないことはないが、MLBがマイナーリーグ組織をきちんと統括しているのとは違い、メキシコでは地方で展開されているリーグと契約を結び、各球団が余剰戦力や有望株の若い選手を預かってもらうのだ。現在、メキシカンリーグのファームリーグ、「ノルテ・デ・メヒコ」は、広い国土の北西部、アメリカとの国境近くの太平洋岸沿いに展開されている。

「それがすごいリーグだったんです。」

と高木が回想するように、日本の感覚ではおおよそプロがプレーするとは思えない、公園の草野球場のようなところで試合が行われる。

「なんていう町だったかも覚えていないです。海の近くだったな…。すごい海がきれいだったのだけ覚えています。本当に若い子たちばっかりのチームだった」

 実際には高木のチームの本拠地は内陸のアメリカ国境にあったが、人の記憶というものは美しいものほど残りやすい。彼の脳裏には遠征先の風景がインプットされていた。

「球場が、球場の壁がすごかったです。外野が石の壁でした(笑)。なんていうんだろ。古代ローマのコロシアムみたいな球場ばっかりでした。バックネットもそんな感じだから、ピッチャーが暴投しても、ガーンってボールが返ってきましたね。」

 そんな環境でひと月ほど過ごしているうちに、球団から連絡があった。開幕ロースターが軌道に乗ったのだろう。高木に手渡されたのは、解雇通知だった。ただし、そこには、航空券が添えられていた。

 フライトの行先はアグアスカリエンテスという町だった。メキシコ中部にあるこの町は、かつて首都メキシコシティとアメリカとを結ぶ鉄道の要衝であった。この鉄路はアメリカからメキシコへ野球が伝わった道のひとつとされ、そのため、この町のチームは「鉄道員(リエレロス)」と名乗っている。ここは日本人最初のメキシカンリーガー、小川邦和がプレーした町でもあった。高木はチーム2人目の日本人選手としてこのチームに合流した。

 5月27日のホームゲーム、高木は4回から3番手としてマウンドに立った。アメリカ国境海岸沿いで行われていたファームリーグと違い、高原地帯のメキシコ中部では実にボールが飛ぶ。先発投手が立ち上がりに失敗すると、打線の勢いが止まらなくなることはしばしばだ。この日もそんな試合だった。6対3と序盤にアドバンテージを許した展開だったが、このくらいの点差はメキシコではなんとでもなる。好投すれば早速初勝利が転がってくる展開でのイニングの頭からのリリーフだったが、高木は初回と次の回を無難に抑えたものの、3イニング目を終わらせることができず、味方が1点差にまで迫ってくれる中3点を喫してしまい、ほろ苦いメキシコデビューを終えた。

 それでもチームは高木の力を認めたのか、その後は、先発ローテーションに名を連ねることになった。そして中6日で迎えた6月9日のホームでの2度目の先発マウンド。高木は6回3失点でついに初勝利を挙げる。相手は奇しくも、高木をクビにしたアギラだった。

 リエレロスでは、6度先発のマウンドに立ったが、1つしか積み上げることはできなかった。黒星はつかなかったものの、8試合で2勝、防御率5.54。打高投低のリーグにあっても微妙な数字だ。先発ローテーション投手としてイニングは食ってくれるが、試合を託すには荷が重いといったところか。シーズン終盤に入り、半ば順位も決まったとあって、リエレロスは高給取りのベテランをトレードに出すことにした。

「2か月目に給料がボンって上がったんです。最初は安かったんだけど、こっちではシーズン途中にウィンターリーグのドラフトがあるんです。外国人用のドラフトっていうのもあって、僕も強豪チームから指名されたんですよ。そうすると途端にアップしました。」

 上がったギャラがあだになったのかもしれない。高木は、このシーズン4つ目のチーム、レオン・ブラボスに移籍となった。このチームには、日本人野手として乙坂智(元DeNA)が在籍していたが、ポストシーズンに向けた戦力を整える強豪サルティージョ・サラぺロスに引き抜かれていた。

 ブラボスでも2試合に先発した。しかし、ともに序盤に捕まり試合を作ることができず2敗。シーズン通してメンバーの半数ほどが入れ替わるメキシコのチームの決断は早い。シーズン終了を待たずして南地区最下位に沈むチームは高木をリリースした。

「アグアスカリエンテスもそうでしたけど、レオンは、すごい標高高いんで。すぐにホームランになるんですよ。球場も狭いんで、ちょっと外野フライ上がったなと思ったら、ホームランになったことはしょっちゅうでした。(低地の)ベラクルスとかメリダとかは全然飛ばないですね。カーンって言っても、センターフライとか。全然。だから感覚的には、もう50mぐらい違う感じでした。50mって、倍じゃねえか、嘘だろって思うでしょうけど、ホントそれくらい。メキシコってレベルが低いように思われるかもしれませんが、やっぱりセンスのいい打者はいますし、みんな上手いですよ。元メジャーリーガーの人たちもいっぱいいますしね。ただ、レベルとは別に、ああ打ち損じだなって思った打球がフェンス越えたりとか、逆にやられたと思ったら、外野定位置とか、感覚のずれがすごかったです。」

(つづく)

本文中の写真は筆者撮影

ベースボールジャーナリスト

これまで、190か国を訪ね歩き、23か国で野球を取材した経験をもつ。各国リーグともパイプをもち、これまで、多数の媒体に執筆のほか、NPB侍ジャパンのウェブサイト記事も担当した。プロからメジャーリーグ、独立リーグ、社会人野球まで広くカバー。数多くの雑誌に寄稿の他、NTT東日本の20周年記念誌作成に際しては野球について担当するなどしている。2011、2012アジアシリーズ、2018アジア大会、2019侍ジャパンシリーズ、2020、24カリビアンシリーズなど国際大会取材経験も豊富。2024年春の侍ジャパンシリーズではヨーロッパ代表のリエゾンスタッフとして帯同した。

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