国民生活を守るため米国に「NO」を言った田中角栄と「NO」を言えないだろう岸田文雄
フーテン老人世直し録(655)
文月某日
ウクライナ戦争を巡り、世界を2分する「G7・NATO陣営」と「BRICS陣営」の対立が鮮明になった6月の最終日、ロシアのプーチン大統領は日本の商社が参加する石油・天然ガス開発事業「サハリン2」をロシア政府が接収する大統領令に署名した。
「サハリン2」は、ロシア国営天然ガス企業ガスプロムが50%、英国のシェル石油が27.5%、日本の三井物産が12.5%、三菱商事が10%を出資し、生産される液化天然ガス(LNG)の60%が日本向けに輸出されている。
「サハリン2」からの輸入量は、日本の電力供給力の3%に相当するほか、ガス会社も広島ガスが全体の50%、東邦ガスが20%、東京ガスが10%を依存しており、仮にこの事業から日本が締め出されれば、日本のLNG輸入量の9%が失われ、それを埋め合わせるには他に輸入先を探さなければならず、仮に探せても割高な料金を支払わなければならなくなる。
ロシアのウクライナ侵攻が始まると、英国のシェル石油は侵攻を理由に撤退を表明した。しかし日本政府は日本の権益を守る方が重要だとして、再三にわたり撤退しない方針を表明してきた。その背景にはイランのアザデガン油田から撤退した過去の苦い経験がある。
イランは石油埋蔵量世界4位、天然ガスで世界1位の資源大国である。2000年に来日したイランのハタミ大統領と日本政府との間でアザデガン油田開発の交渉がまとまり、国際石油開発帝石とイラン国営企業との間で契約が締結された。
アザデガン油田は世界最大級の埋蔵量を誇るが、日本はその権益の75%を取得した。資源なき日本にとってアザデガン油田は期待の星であった。ところがイランの核開発疑惑を問題視する米国は、日本政府に投資を見直すよう圧力をかけてくる。
特に2005年に対米強硬派のアフマドネジャドが大統領に就任すると、開発中止を要請してきた。板挟みとなった日本は2006年10月に権益の65%をイラン企業に譲渡し、権益の10%だけを確保した。小泉長期政権から第一次安倍政権に移行する時期の出来事である。
すると2009年に中国の国営石油企業がアザデガン油田開発に乗り出し、一方で米国はイランに対する経済制裁を強め、日本に対して完全撤退を要求してきた。日本は権益を所有していることが制裁の対象になることを恐れ、2010年に完全撤退するが、結果として日本は国益を失い、代って中国が権益を得た。
その経験から、「サハリン2」で日本政府は自主的に撤退する道を選ばなかった。しかしフーテンはいずれ権益を失うことになるだろうと思っていた。岸田総理がウクライナ戦争を巡り、アジアで唯一のG7加盟国としての立場を貫くことを決断したからだ。
その背景にはトランプ前大統領のポチとなり、またプーチン大統領との良好な関係を誇示した安倍元総理に対する対抗心と、だからバイデン米大統領のポチになることを選択した岸田総理の計算がある。
米国がロシアに対する経済制裁を強めれば、アザデガン油田の時と同じになる可能性は十分にあった。それは結果として中国の利益になるかもしれず、世界を2分する戦いで米国側を有利にすることにならない。それを岸田政権は米国に対する説得材料にするだろうと見ていた。
しかしメルケル政権時代にプーチンと融和的であったドイツが、ショルツ首相に代わったことで、天然ガスのパイプライン「ノルドストリーム2」を停止するなど、これまでにない動きを見せたことから、米国から日本に対する要求が強まる可能性があるとフーテンは思った。
欧州がこれまでになく結束して対ロシア制裁に当たるようになれば、岸田総理も「サハリン2」撤退に腹をくくらなければならない。水面下ではその対応を始めているかもしれないと考えていた。
ところが当初は威勢の良かった欧州各国の中に温度差が出てくる。ロシアの資源に依存している現実を直視し、ロシア産の石油や天然ガスを買い続け、ロシアの要求に従いルーブルで支払う国も出てきた。つまりバイデンが呼びかけた経済制裁は抜け穴だらけだった。
当初はプーチンを「戦争犯罪人」と呼び、「権力の座にとどまってはならない」と言ったバイデンも、次第にそれを言わなくなり、最近では「交渉」によって戦争を終わらせることを示唆し始めた。
米国がウクライナに軍事支援を続けているのは、ウクライナがロシアに軍事的に勝つというより「交渉」で優位に立つための支援だとフーテンは思う。そうした情勢の変化を見たうえで、プーチンは岸田政権に対し「サハリン2」接収に乗り出した。それは岸田政権の外交力を試そうとしているように見える。
そう考えると思い出すのは、1973年の第4次中東戦争の勃発で石油ショックが日本を襲った時にみせた田中角栄の外交力である。戦後、日本の総理で米国に「NO」を言えた人間はほとんどいないが、田中は「NO」を言って日本国民の生活を守った。
当時、石油の主要生産地は中東だった。その中東で石油の採掘から輸送、精製、販売までを独占的に支配していたのは、「石油メジャー」と呼ばれる米国、英国、オランダの巨大資本であった。
しかし産油国は石油メジャーの独占的支配に不満を募らせ、石油輸出国機構(OPEC)が結成されて中東に反欧米の風潮が強まる。そうした中でイスラエルとアラブ諸国の間に第4次中東戦争が起き、OPECはイスラエルを支援する国に「反アラブ」や「非友好国」のレッテルを貼り、石油輸出禁止を通告する一方、石油価格を引き上げた。
石油ショックが世界を襲い、日本ではスーパーでトイレットペーパーが買い占められる騒動が起きた。夜の街からネオンが消え、将来を悲観して自殺した個人タクシー運転手もいる。石油価格の高騰がインフレを招き、便乗値上げが相次いで「狂乱物価」という言葉が生まれた。
この時の総理が田中角栄である。それまで日本はイスラエルに対し中立的だったが、米国との同盟関係からイスラエル寄りと見られる懸念があった。もしアラブ諸国からそう見られて石油を禁輸されたら、中東の石油に頼る日本はひとたまりもない。
この記事は有料です。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバーをお申し込みください。
「田中良紹のフーテン老人世直し録」のバックナンバー 2022年7月
税込550円(記事5本)
2022年7月号の有料記事一覧
※すでに購入済みの方はログインしてください。