W杯を全試合無料中継するアベマは、日本のスポーツ視聴文化の救世主となるか
今年の11月から開催される「FIFAワールドカップ カタール 2022」の予選を含む全64試合が、ネットテレビ「ABEMA」で無料生中継される、という驚きのニュースが発表されました。
参考:ABEMA、11月開幕「カタールW杯」“日本史上初”全64試合を完全無料生中継
「ABEMA」の発表によると、単に高品質な無料生中継を実現するだけでなく、「追っかけ再生」やマルチアングル映像での配信、ダイジェスト映像の最速配信などにも取り組むようです。
もちろん、4年前のロシア大会においても、NHKのW杯アプリがスマホでのライブ配信に対応し、マルチアングル配信やデータ配信に取り組んでいましたから、全てが日本初の取り組みというわけではありません。
参考:NHKのW杯アプリが切り拓くテレビ局とスポーツ中継の新常識
ただ、4年前のNHKのW杯アプリは、あくまでNHKが地上波で生中継する32試合だけがライブ配信されるという形だったため、ユーザーからすると一部混乱もありましたから、今回の「ABEMA」による全64試合無料生中継は画期的と言って良いでしょう。
今回のカタール大会では、テレビだけでなく、スマートフォン、PC、タブレット、Nintendo Switchなど、文字通りいつでもどこでもW杯の全試合が楽しめる環境が整うことになります。
高騰する放映権が生む課題
「ABEMA」がテレビ朝日との連合で放映権を獲得するというのは、先月から業界の中では話題になっていました。
W杯の放映権料は近年高騰が続いていると言われており、過去のフランスワールドカップの放映権は5億円程度だったのが、前回のロシアワールドカップの放映権は200~300億円と言われるほど。
今回のカタール大会においては、ついにW杯予選においても日本代表のアウェー戦の放映権獲得をテレビ局が断念し、有料動画配信サービスのDAZNが放映権を獲得するという展開になりました。
今回の本大会の契約においても、明確な金額は明らかになっていませんが、180億円とも言われる放映権料のうち、NHKに次ぐ金額をテレビ朝日と「ABEMA」が支払った模様です。
参考:サブスク、ペイパービュー。ネットの有料放送へとシフトするスポーツビジネスと裏にあるITマネー
上記の記事にも詳細が書かれていますが、欧米ではもともとスポーツの視聴において、衛星放送や有料のケーブルテレビを契約するのが普通という文化があります。
そこで、そうした有料チャンネルの必須コンテンツとして、人気スポーツの放映権獲得競争が展開されているのです。
その結果、テレビCMの広告収入が主な収入である日本のテレビ局としては、広告収入では利益が見込めないような金額まで放映権料が高騰してしまい、手を出しにくくなっているのが現状のようです。
ネットで無料配信を提供する「ABEMA」
当然のシナリオとして、日本も欧米同様に、スポーツを見るには有料動画配信サービスの契約が必須という未来もあり得ます。
実際問題として、昔はプロ野球と言えば地上波で毎日のように巨人戦が放送されていた時代がありましたが、今は球団毎に個別の有料チャンネルで視聴するのが普通になっています。
当然、サッカーのW杯が日本でも有料視聴が普通になる可能性はあるわけです。
ただ、一方で、先日のDAZNの値上げが物議を醸したように、スポーツが有料動画配信サービスでしか見られなくなると、お金を払ってまで見るファンしか見なくなり、そのスポーツに興味を持つ人が増えなくなるという問題も出てくる可能性があります。
参考:DAZN値上げ騒動で考える、サブスク型動画配信サービスの強みと弱み
そういう意味で、今回の「ABEMA」の全試合無料中継の実施は、日本のスポーツ視聴文化において非常に重要な決断と言えます。
従来は、NHKと民放各社が「ジャパンコンソーシアム」を組織して、一括して放送権を獲得してきたのが、昨今の放映権料の高騰を受け、キー局の方針がそろわなかったことが、今回の「ABEMA」参加の背景にあるとのこと。
実は、地上波のテレビ局がW杯の放映権獲得を断念していたら、W杯の試合の大部分がDAZNなどの有料動画配信サービスに加入しなければ見られない、という展開も十分あり得たことになります。
カタール大会における「ABEMA」は、無料でW杯を楽しみたい人にとっての救世主的な存在だったと言っても、言いすぎではないかもしれません。
日本サッカー協会の田嶋会長が「ABEMA」にわざわざ感謝を表明するのも、ある意味当然と言えるでしょう。
参考:日本サッカー協会・田嶋会長「ABEMAさんに心から感謝」W杯カタール大会の全64試合を無料生中継
「ABEMA」も単体での黒字化は断念
なお、今回の放映権獲得の為の投資は、「ABEMA」として過去最大の投資になるそうで、サイバーエージェントの藤田社長は、「(W杯)単体での黒字化は無理だと思っている。アベマの格や視聴数のベースを上げるのが一番の目的。社会貢献にもなる」と明言しています。
今回サイバーエージェントが過去最大の投資に踏み切ることができたのは、スマホゲームの「ウマ娘 プリティーダービー」の大ヒットにより余裕があったという背景もあった模様。
ちなみに、日本発の動画配信サービスとして存在感を増している「ABEMA」ですが、「Netflix」が日本でも着々と存在感を増していることと比較してしまうと、まだ存在感が薄い印象を持つ方も少なくないはずです。
実際にGoogleトレンドでサービス名の検索数推移を比較すると、「Netflix」の検索数の右肩上がりのグラフと比較すると、「ABEMA」の検索数推移は緩やか。
検索数だけでいうと、2017年11月に放送された元SMAPのメンバーである稲垣吾郎、草なぎ剛、香取慎吾の3人が出演することで注目された「72時間ホンネテレビ」のタイミングがピークになっているのです。
参考:元SMAP72時間テレビで振り返る、SMAPファンの凄さ
そういう意味で、藤田社長としても、ここが「ABEMA」が日本の動画配信サービスにおける中心的役割を担える存在になれるかどうかの勝負所、という判断もあったのかもしれません。
「ABEMA」は無料視聴のための投資を継続できるか
逆にいうと、今回カタール大会への投資によって藤田社長や「ABEMA」が、何らかの手応えを感じることができるかどうかが、今後も「ABEMA」が、日本で無料でスポーツを視聴できるための投資を継続できるかどうかの鍵になるとも言えます。
去年の段階で、日本の広告費におけるマスメディアとネットの金額が逆転したことを考えると、地上波のテレビ局によるこれ以上の放映権への投資増額というのは、今後考えにくいでしょう。
参考:マスとネットの広告費逆転の裏側で進行する、「広告」という行為の変化
そう考えると、日本におけるスポーツの無料視聴文化を維持することができるかどうかは、「ABEMA」の今後のスポーツ分野への投資姿勢にかかっていると言えるかもしれません。
一方で「ABEMA」では、すでにメジャーリーグの試合の中継を無料と有料を組み合わせた形で実施しているのも注目点でしょう。
そこで手応えをつかんだからこその、今回の投資判断という面はあるはずです。
極端に言えば、今回のカタール大会における「ABEMA」の成果が、W杯のような世界的な人気スポーツイベントが、引き続き日本ではネットでも無料で視聴し続けることができるのか、欧米同様に有料動画配信サービスでしか視聴できなくなるかどうかの分岐点になる可能性がある気もします。
まずは、日本代表のW杯出場が決まってからの話になりますが、W杯の放映権と無料視聴をめぐる、もう一つの負けられない戦いにも引き続き注目したいと思います。