演じることを禁じられた俳優たちの物語、三谷幸喜「大地」PARCO劇場で上演
三谷作品の「落差」に振り回されるのが好きである。大笑いしたかと思えば、人間の嫌な部分を赤裸々に見せつけられる。その意味で『大地』は三谷ワールドの真骨頂だった。
PARCO劇場オープニング・シリーズとして、もともとは6月20日に開幕予定だった作品だ。だが、緊急事態宣言のもとで幕を開けることが叶わず、万全の感染防止対策をとった上で7月1日に初日を迎えた。7月11日にはWOWOWメンバーズオンデマンドにて、12日から8月2日までの土日にはイープラス「Streaming+」にて、ライブ配信も予定している。
「俳優についての物語を書きたかった。僕にとって恩人とも言うべき彼らを真正面から描いてみたかった」(プログラムより)との言葉通り、俳優という生き物を知り抜いている三谷ならではの目線で、その表も裏もとことん描き切って見せる。
物語の舞台は、とある共産主義国家の収容所だ。そこには、反政府主義のレッテルを貼られた俳優だけが集められ、政府の監視下で大地を耕し、豚の世話をしている。
俳優が「俳優」を演じる作品だ。演劇好きの人にとっては垂涎ものの個性派・実力派俳優たちが、舞台上でも一癖も二癖もある「俳優」を演じる。舞台を降りた俳優たちの「現実」の物語である。だが、それが描かれるのは「舞台」の上だ。入れ子のような重層構造にくらくらさせられる。
演劇界の大御所俳優バチェク(辻萬長)は、その風格から収容所内でも「座長」と呼ばれている。
パントマイムの世界の第一人者であるプルーハ(浅野和之)は、飄々としつつも「芝居など身一つでできる」との自負がある。
理想主義すぎて融通が効かず、いつも問題児扱いされているツルハ(相島一之)。彼は役者であると同時に演出家でもあり、その指示は的確だ。
女形の役者であるツベルチェク(竜星涼)、楚々とした美しい風貌とは裏腹の熱い心の持ち主だ。
一介の大道芸人に過ぎないのに、支配者のモノマネだけが上手かったのが仇となったピンカス(藤井隆)は、いつも騒がしい。
そして、映画の大スターであるブロツキー(山本耕史)。彼だけが演劇ではなく映画界のスターなのでファンの数も桁違い。だから収容所内でもスター然としている。
三谷が「あて書き」で生み出したという登場人物たちは、よくぞここまで全く違う個性を持った役者が集まったなと思える面々である。その中で少し違う立ち位置にいるのが、チャペック(大泉洋)と、ミミンコ(濱田龍臣)だ。
役者としては三流だが裏方仕事は得意なチャペックは、とにかく気が回り面倒見が良いので、政府役人とのつなぎ役として皆から頼りにされている。収容所の中で彼が一番生き生きとしているように見える。
演劇を学ぶ学生だったミミンコは、作品の中での狂言回し的な役割を果たす。その明るく爽やかな語り口で、未来へのわずかな希望を感じさせる存在だ。彼には、女性専用の収容所に捕らえられている恋人・ズデンガ(まりゑ)がいる。
厳しい環境の話かと思いきや、指導員ホデク(栗原英雄)が実は「演劇オタク」だとわかったとき、「ここは彼にとってはパラダイスなのかも?」と気付いた。何しろこれほどまでに「役者がそろう」ことは普通の劇団でもあり得ないことだ。しかも、自分は彼らを「指導する」権力を手中にしている。思わず、ホデクの立場に自分を置いてみたい衝動にかられた。
(※この先、結末に関して記載しています)
俳優たちは基本的に気まぐれでわがままで、時に二枚舌だって使う。だが、一つだけ共通点がある。それは「芝居が好き」ということだった。2幕、互いに気心が知れるようになった収容所の面々は、ミミンコとズデンガの逢瀬を実現させてやろうと企む。
演劇に対してまったく理解のない政府役員のドランスキー(小澤雄太)を、それぞれの役者が持ち味を発揮した芝居で煙に巻いていく過程は痛快そのもので、客席からも拍手が沸き起こるほど。「これぞ演劇の力!」と溜飲が下がる思いだが、そうは問屋は卸さないのだった。
結局悪事はバレてしまい、誰か一人が他の全員の罪をかぶり、命の保証もない「谷の向こう」に送られることになる。「その一人」を誰にするか? このときに指導員ホデクが選んだのは、常識的に考えるとありえない人物だった。
それは、唯一無二の才能か、代替可能な能力かの選択だったのではないか。演劇を愛するホデクらしい決断だと思った。それまで他の俳優が選ばれかけたときは必ず誰か反対したのに、彼が選ばれたときは誰も異を唱えなかった。俳優とは、何と残酷な生き物なのだろう。しかも、私自身その選択が納得できるものに思えてしまった。そんな自分にもゾッとした。
だが、この選択によって彼らは大きなものを失うことになる。それは劇中では「観客」という言葉で表現されていたけれど、もっと大きな「現実の世界」とでもいうべきものではなかったかと思う。演劇という虚構の世界を支えるのは、無名の観客たちが泥臭く生きる現実世界だ。この支えを失ったとき、虚構の世界で演じる者たちも命を絶たれるのだ。
この結末をどう感じるだろう? 果たして「谷の向こう」に行く一人は誰を選ぶのが正解だったのだろう? これは人それぞれ、立場によってもいろいろな感じ方、考え方がありそうだ。終演後にじっくり語り合いたくなる作品である。
「演劇バンザイ」という能天気な話では全然なかった。しかし…だから面白いのだ。きっとこれからも私は一筋縄ではいかない演劇の世界にそそられ続けることだろう。そう確信して、劇場を後にしたのだった。