充実のキャストで見せる珠玉の名作の深み、月組全国ツアー『琥珀色の雨にぬれて』
月組全国ツアー『琥珀色の雨にぬれて』の市川公演を観劇し、珠玉の名作の深みを改めて感じている。1984年に花組で初演されて以来、5度の再演を重ねてきた作品だ。初演時の脚本・演出は柴田侑宏。今回は演出を樫畑亜依子が担当する。
物語の舞台は第一次世界大戦後のパリ。戦争から帰還したばかりのクロード・ドゥ・ベルナール公爵(鳳月杏)は、ある日、フォンテンブローの森でマヌカンのシャロン(天紫珠李)と出会い、一目で恋に落ちる。いっぽうシャロンもまた、これまで自分を取り巻いてきた男たちと全く違う想いをクロードから感じ取り、心惹かれていく。
シャロンを密かに想うジゴロのルイ(水美舞斗)はクロードに「シャロンは君とは生きている世界が違う女だ」と警告するが、恋のライバルであるはずのクロードとルイの間には奇妙な絆が生まれる。いっぽうシャロンの存在は、クロードの婚約者であるフランソワーズ(白河りり)の知るところとなり、彼女を苦しめる。
クロードとシャロン、そしてルイ、フランソワーズ、4人の心の揺れが繊細に描かれる大人の恋愛劇である。耳に残る楽曲も多く「琥珀色の雨にぬれて」や「セ・ラ・ヴィ」などが観劇後も頭の中をリフレインし続けてしまう。
大戦後の安堵と文化の爛熟が作品の背景にある。鉄道、飛行機、自動車が重要なアイテムとして登場するところも時代を感じさせる。
鳳月杏演じるクロードはそんな時代の空気を背負いつつ、大戦では激しい戦闘も体験したのかもしれないという元軍人の面影も漂わせている。
青列車でマジョレ湖の話をする時にクロードが「一緒に行ってみませんか?」と言う、その言い方に演じ手の個性が垣間見える。再演を観るたびにそう感じてきたが、鳳月クロードはあまりに純粋で真っ直ぐで、ああ、これが鳳月のクロードなのだと思った。ラストシーンで舞台奥に去っていく時の背中に、男役としてのキャリアがにじみ出る。
クロードとルイの並びは一見とても華やかだが、いわば白と黒。実は対照的な二人であることも際立って、それがまた味わい深い。水美舞斗のルイは、出自の良いクロードにはない屈折したところがあり、貧しさの中をしたたかに生き抜いてのし上がってきたジゴロの矜持が伝わってくるルイだった。
天紫珠李のシャロンは大人の女性的な部分と純粋無垢な少女の部分が同居しているような感じだ。シャロンといえば自由奔放に振る舞う強い女性のイメージがあるが、天紫シャロンはその中にも「弱さ」を感じさせ、守ってあげたくなるような、はんなり、しなやかという表現が似合うシャロンだった。
シャロンよりも、むしろ強いなと思ったのはフランソワーズ(白河りり)の方かもしれない。この時代に増えたであろう自立した女性像を感じさせるフランソワーズで、心ここにあらずの男性をひたすら追いかけるという損な役回りなのに今回は不思議と好ましく感じてしまった。
フランソワーズの兄でありクロードの親友でもあるミッシェル・ドゥ・プレール伯爵(礼華はる)の誠実なたたずまいが緊迫した恋愛模様の中でほっと一息つかせてくれる。親友としての思いと兄としての思いが複雑に交錯する最後のセリフが聴かせどころだ。
シャロンのパトロンでもある銀行家のジョルジュ・ドゥ・ボーモン伯爵(凛城きら)、花屋のビジネスで成功しつつ、実はジゴロの元締めという裏の顔を持つシャルル・ドゥ・ノアーユ子爵(夢奈瑠音)と、そのパートナーのエヴァ(白雪さち花)など、主人公たちの周りにも、この時代らしい経歴を持ったユニークな人物が登場し、それぞれの人生ドラマが垣間見えるところも、この作品の厚みになっているようだ。
月組の若手スター演じるジゴロが揃うと眼福だ。彼らと貴族のご婦人たちが繰り広げる恋の秘め事は、面白おかしくありながらも、恋というものの虚しい本質をついているように思う。
さて、この作品を見るたびに、その後のクロードはどうなったのだろう? 果たしてフランソワーズと元のさやに収まって幸せな(?)家庭を築いたのだろうかと考えてしまう。どうも今回のクロードの心の傷はとても深いように思えてならないのだが、ご覧になった皆さんはいかがでしたか?