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彩風咲奈が男役の集大成を見せる。宝塚歌劇雪組『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-

中本千晶演劇ジャーナリスト
イラスト:牧彩子(『タカラヅカの解剖図鑑』より)

 現在、東京宝塚劇場にて上演中の雪組公演『ベルサイユのばら』-フェルゼン編-は、1974年の初演から50年、10年ぶりの再演、そしてトップスター彩風咲奈の退団公演という、さまざまな意味で節目の公演である。その盛りだくさんな内容とスピーディな展開には圧倒されるばかりだった。

 おなじみの小公子・小公女の歌によるプロローグに始まり、大階段を使った断頭台にマリー・アントワネットが上がっていくラストシーンまで、次から次へとおなじみの場面が押し寄せる。観客の期待に応えるサービス満点の展開だ。

 ただ、名場面を詰め込むあまり、その繋ぎに無理が生じている部分も。フェルゼンからの手紙でオスカルがアンドレの愛に初めて気付き、名場面「今宵一夜」が始まったり、ジェローデルの回想から突然時間が巻き戻り、オスカル、アンドレが壮絶な死を遂げる「バスティーユ襲撃事件」の場面が始まったりする展開には、さすがに少々驚かされる。だが、やがてその不自然さも忘れてしまう。やはりこれらの「名場面」あっての「ベルばら」である。

 その一方で、フェルゼンとアントワネットが愛の言葉を交わす場面をピンク基調の夢々しいセットの中で見せたり、パリ市民が不満を爆発させていくさまをシンプルな衣装と力強いダンスで見せたりするなど、斬新な趣向の場面も織り交ぜられる。

 観客の期待に応えつつも、新たな挑戦も忘れない。初演から50年を経た「ベルばら」の進化形はこれなのかと感慨を新たにせざるを得なかった。

 タカラヅカ版の「ベルばら」は、上演する組のトップスターの持ち味によって主人公が変わるのが特徴だが、今回は雪組トップスターの彩風咲奈がフェルゼンを演じる「フェルゼン編」である。「ベルばら」に憧れて入団し、新人公演でもフェルゼンを演じたことがある彩風にとって、思い入れの深い作品での卒業となった。

 このフェルゼンというキャラクターは、原作ではマリー・アントワネットやオスカルに比べると登場場面は少ないが、タカラヅカ版では物語の主人公らしく原作にはない場面も追加され、フェルゼンの心情の変化を描く。彩風フェルゼンはこれらの一場面一場面を丁寧に作り込み、深い愛と包容力のあるスケールの大きな男性を造形してみせた。その立ち姿やマントさばきの美しさにも目を奪われずにはいられない、まさに男役の集大成といえるフェルゼンだった。

 トップ娘役の夢白あやは、ひとりの恋する女性としての想いを封印してフランス女王として誇り高く生きようとするマリー・アントワネットの生き様を、ベルばら独特の様式的な演技の中に滲ませていた。

 劇画から抜け出てきたような朝美絢のオスカルは軍人らしい凛々しさと繊細な女性らしさのバランスが絶妙。そのオスカルを包み込むような縣千のアンドレとのコンビも似合いで、いずれ「オスカルとアンドレ編」も見てみたくなった。

 専科から特別出演のベテラン勢がいい仕事ぶりを見せる。アントワネットの守り役であるメルシー伯爵(汝鳥伶)がフェルゼンに帰国を迫る場面や、1幕ラスト、アントワネット救出の決意を固めたフェルゼンを潔く送り出すスウェーデン国王グスタフ3世(夏美よう)の場面には、思わず息を呑む緊迫感があった。また、タカラヅカ版ベルばらでは久々の登場となるジャンヌ(音彩唯)の強烈な存在感も印象に残った。

 名場面満載の本編に対し、フィナーレは一転して全く新しい作りだった。「ベルばら」にはフィナーレにもいくつか、おなじみの名場面があるが、それらは今回取り入れられていない。正直、観劇前は彩風フェルゼンと朝美オスカルとの「小雨降る径」など観てみたかったとも思った。だが、実際に舞台を観ると、ショーのない一本立てである今回、フィナーレで彩風の卒業を存分に惜別できる構成は、これはこれでいいものだと思った。

 とりわけ、「ベルばら」から突然離れて、彩風がひとり大階段で歌う「宝塚我が心の故郷」には聴き入った。トップスターになってからさまざまなことを経験した彩風の思いがひしひしと伝わってくるようだった。

演劇ジャーナリスト

日本の舞台芸術を広い視野でとらえていきたい。ここでは元気と勇気をくれる舞台から、刺激的なスパイスのような作品まで、さまざまな舞台の魅力をお伝えしていきます。専門である宝塚歌劇については重点的に取り上げます。 ※公演評は観劇後の方にも楽しんで読んでもらえるよう書いているので、ネタバレを含む場合があります。

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