名古屋の百貨店・丸栄閉店を憂う意外な人々
名古屋のお買い物文化のけん引車だった4Mの牙城、ついに崩れる
名古屋の老舗百貨店、丸栄の閉店が18日に正式に発表されました。丸栄は江戸初期の1615年創業の名門で、松坂屋、三越、名鉄百貨店と合わせて“4M”と称され、名古屋の百貨店業界の一角の座を長く守ってきました。しかし、近年は25年連続減収と低落傾向から抜け出せず、売り上げは90年代前半のピーク時のわずか1/5に。今回の発表にも「しかたがない」「役割は終わった」との声が少なくありません。
2018年6月末をもって閉店し、2020年には暫定的な商業施設をオープンさせ、その後は周辺との一体開発を進めるとのこと。この計画は、このところ名古屋駅に客足を奪われる一方だった栄地区の巻き返しの起爆剤として期待を集めています。
ご当地落語家が嘆く「丸栄閉店で失われる名古屋人らしさ」
さて、百貨店の閉店自体は「しかたがない」というあきらめの声が目立つ一方、「何とかならないか」「これから一体どうすれば・・・」と憂い、天を仰ぐ人たちもいます。
「そりゃもう、どえらい寂しいですよ~」と嘆くのは名古屋弁落語家の雷門福三(かみなりもんふくぞう)さん。名古屋の地下鉄や高層ビルを擬人化した創作落語を得意とし、その十八番のひとつが、百貨店たちが名古屋弁でかんかんがくがくを繰り広げる「高島屋夜明け前」なのです。この演目で、丸栄はお人よしながら、クライマックスで笑いを感動に転換させる重要な役割を担っています。
「見栄っ張りだけどのんびりした田舎っぽさもある。そんな名古屋人の二面性を、前者を松坂屋、後者を丸栄に投影してキャラクターづけしてあるんです。丸栄がなくなってしまうのは、どんどん東京化が進んで本来の名古屋らしさが薄れつつあることの象徴のような気がします」と福三さん。名作「高島屋夜明け前」も、丸栄閉店後はアレンジを加えざえるを得ないだろうといいます。
巨匠が手がけた名建築。巨大モザイク壁画も見納めか?
「いつかは、と思ってましたけど、こんなにアッという間に解体まで決まるなんて・・・」とショックを隠せないのはモザイク壁画愛好家の森上千穂さん。丸栄の本館は実は建築ファンから熱い視線を集めている傑作建築。巨匠・村野藤吾が1953(昭和28)年に設計し、百貨店で唯一、日本建築学会賞を受賞しているのです。
そして、一番の見どころが西側の巨大壁画。濃緑をベースに様々な幾何学模様が組み合わされた図案は、街の景観になじみながらもあらためて目を留めると非常に個性的。この壁画が、タイルやガラスブロックを貼り合わせたモザイクアートで、森上さんによるとおそらく村野自身が制作指揮を執ったであろう作品なのです。
丸栄によると「壁画をどうするかは未定」とのこと。しかし、森上さんは「これだけの規模のものを別の場所に移設するのは現実問題として難しく、撤去・破棄されることも覚悟しています。ビルと運命をともにするのがモザイク壁画の宿命で、そのはかなさも魅力だと納得するしかない」といいます。
もうひとつ、森上さんが愛して止まない中日ビルの巨大モザイク天井画も、2019年春にビルの解体が決まっていて、姿を消してしまう可能性が高いといわれます。
「名古屋の街中は戦後の建物が比較的残っていて、モザイク壁画もあちこちで観られます。この地域は窯業が盛んで、原料のタイルが調達しやすかったこともモザイク壁画が数多く作られた理由のひとつ。名古屋らしいパブリックアートだといえます」と森上さん。しかし、「これから古いビルの建て替えや取り壊しが増えると考えられます。貴重なモザイク壁画をとにかく観られるうちに観ておいてほしい」と訴えます。
名物催事も数々。百貨店が担ってきた街の文化をつなげるためには・・・?
「文化の灯が消える」なんていう紋切り型のフレーズは使いたくありませんが、名古屋を代表する巨大なモザイクアートが相次いで姿を消してしまう(可能性が高い)のは、時代の流れとはいえ残念な限りです。
また、丸栄はクラシックカメラや鉄道模型、貨幣、貸衣装処分市などの名物催事も多く、それらのファンにとっても購入・交流の場がなくなるのは埋めがたい喪失感をもたらしていることでしょう。
百貨店や商業ビルは、単に商業・消費シーンを支えてきただけではなく、存在自体が街の文化そのものという役割も果たしてきました。貴重な景観や芸能のネタ元、趣味の交流の場となってきたことはそれを象徴しています。別れを惜しむとともに、老舗百貨店が発展させてきた名古屋の文化を記憶にとどめておく。それが1人1人の中での地域の文化の継承になるのではないでしょうか。