悲報「ストレス」という概念は「タバコ会社」が広めた
ネット上でタバコはストレスを解消するかという話題が議論されている。結論からいえば、タバコ自体がストレスを産み出し、ストレス解消したように感じるのは、単に元の状態に戻っただけの幻想だ。そもそもストレスという概念は、タバコ会社によって広められたのである。
タバコこそがストレスを生み出している
ストレス(Psychological Stress)のほとんどは外的要因(ストレッサー、Stressor)だ。ストレスの感じ方は個々人で大きく異なり、少しくらいのストレスがあるほうがむしろ健康でいられる場合も多い。
もちろん、脳卒中や心筋梗塞などの心血管疾患、胃潰瘍などの炎症、うつ病などの精神疾患など、ストレスが引き金になって多くの病気が引き起こされるのも事実だ。
タバコを吸うとストレスが解消されると考える喫煙者は多い。これについてはネット上でも議論が起きているようだが、喫煙者のほとんどがタバコに含まれるニコチンの中毒、ニコチン依存症になっていることで説明がつく。
ニコチンの依存性はアルコールやLSDより強く、コカインよりやや下程度だ(※1)。煙と一緒に吸い込むことで、数秒でニコチンが脳へ到達し、喫煙を繰り返せば短期間で中毒になる(※2)。
喫煙開始の動機は、友だちが吸っているからというピア効果も無視できない。その後、繰り返し吸うことで依存度が増していき、ドーパミンが出にくくなっていく。タバコを切らし、ニコチン補給ができない状態こそ、ストレスなのだが、それに気付かずタバコを吸ったことでストレスが解消されたと勘違いする。ニコチン依存症の完成だ。図解作成:筆者(素材:いらすとや)
ニコチン依存症がやっかいなのは、たとえ禁煙してタバコを吸わない期間が長くても、ちょっと吸っただけで再喫煙してしまうところだ。
ニコチンは脳で作用し、報酬系のドーパミンという脳内物質を出させる。だが一度、この回路がニコチンによって影響を受ければ、心理的習慣的な依存が残っていることも加わり、タバコを止めてしばらくたっても再喫煙でニコチンによるドーパミン回路が復活し、ニコチン依存症に戻ってしまう危険性が高い。
この回路はニコチン依存症になっていない人でも普通にあるが、ニコチンによるドーパミン放出はタバコを吸うことによる強制的な作用だ。タバコを吸わない人の正常な機能とは違い、ニコチンによる刺激が繰り返されることで次第に反応が鈍くなり、タバコを吸ってニコチンを補充しないとドーパミンが放出されにくくなってしまう。
先日、ある民間の調査会社が喫煙と禁煙に関する意識調査(※3)を行ったが、タバコを止めない理由として「吸わないとストレスが溜まるから」という回答が38.7%もあり、同回答の男女別では男性36%、女性48.4%で女性のほうがタバコを吸うことでストレスが解消されていると感じているようだ(複数回答)。
ニコチンが切れてドーパミンが出にくくなると脳がストレスを感じるが、タバコを吸うとニコチン切れのストレスだけが解消され、喫煙者はタバコによってストレスが解消されたと感じる。つまり、ニコチン欠乏以外の本来のストレスが解消されたわけではない。
タバコを吸わない人の正常な脳では、緊張したりストレスを感じたときに反応してドーパミンが放出され、緊張した場面やストレスを乗り切るような機能がある。だが、ニコチンによって鈍感になってしまった脳では、こうした反応が鈍くなり、その結果として難局やストレスを乗り切りにくくなっているのだ。
飛び込み営業のような難局に直面すると誰しもが強いストレスを感じる。タバコを吸わない人は、そういうときこそドーパミンが出て状況を打破できるが、喫煙者はドーパミンの出が悪くなっているのでストレス耐性が弱いかもしれない。図解作成:筆者(素材:いらすとや)
緊張やストレスを感じた喫煙者はよく立て続けにタバコを吸うが、あれはドーパミン不足を補充するため、脳にニコチンを送り続けているのだろう。だが、喫煙者の脳はタバコなしでは元気(通常の状態)になれず、ドーパミンが出にくくなっているため、ますますニコチン依存症が重くなっていくというわけだ。
タバコを渇望する喫煙者は、ニコチン切れという恐怖のストレスを常に抱えている。このストレスを解消するためにタバコを吸い、それが普遍的なストレス解消なのだと勘違いしてしまうのだ。
ストレスを利用してきたタバコ産業
ストレスを引き起こすストレッサーという概念を提唱したのは、ハンガリー系カナダ人の内分泌学者、ハンス・セリエ(Hans Selye、1907〜1982)だ(※4)。セリエはノーベル賞に10回ノミネートされたといわれ、またストレスに関する彼の著作は広く読まれて「ストレスの父」とも称された。
外的要因であるストレッサーは、暑さや寒さ、騒音などの環境要因、栄養不足や飢餓、肉親の喪失、解雇やハラスメントなど社会的疎外、睡眠や休養の欠乏などである。これらが身体の内的な平衡状態(ホメオスタシス、Homeostasis)を乱し、その結果として多種多様な病気を引き起こすというのがセリエの主張だ。
このセリエとストレス理論に目を付けたのがタバコ会社だった。
20世紀の半ば頃、タバコが健康に害を及ぼすという研究が出され始め、タバコ会社はそうした風潮の火消しに躍起になっていたからだ。タバコの健康の害を科学的に否定するため、タバコ会社は医師や研究者を抱き込もうとし、研究資金などを提供して操ろうとしていた。
1958年に米国のタバコ産業は、タバコに有利な研究に対する資金提供をするための団体(the Council for Tobacco Research、CTR)を作ったことが知られている。タバコ産業がこの研究支援団体を作った頃、セリエとタバコ産業が最初に接触したという。その後、両者は密接な関係を続けた。
タバコ会社などの内部文書の分析から、こうしたことを明らかにした「ストレスの父、ビッグ・タバコと出会う」という論文(※5)が米国の公衆衛生学会誌『American Journal of Public Health』に出たのが2011年だった。
タバコの健康への害に懸念を示し始めた社会に対し、がんや心臓病などの病気はストレスが原因であり、タバコはむしろストレスを軽減するというタバコ産業側の主張を科学的に裏付けるため、またタバコ会社が訴訟に巻き込まれた際にセリエの研究論文などを使いたいというのが要求だったという。
セリエは最初のうち、タバコ産業側の提案に消極的だったが、資金提供は受けたようだ。実際、タバコ裁判でセリエの言説がタバコ会社側に利用されたことや、フィリップ・モリス社が主宰した国際会議(1972)にセリエが協力したことがわかっている。
その後、セリエはタバコ産業側へ深く取り込まれるようになり、広報用の映像作品やパンフレットにも登場するようになっていった。ストレスの危険性をセリエが唱えたのと歩調を合わせ、タバコ産業もストレス説に乗っかって広め、セリエも無批判に迎合したというわけだ。
同じようなことはほかにもある。1950年代から提唱され始めたタイプA行動パターン(The Type A Behavior Pattern、TABP)という概念(※6)が、タバコ産業に利用されたケースだ。タイプA行動パターンというのは人間の性格の分類の一つで、常に急いでせかせかし、活動的行動的だが闘争心が旺盛で承認欲求の強い性格の人にあたる。
タイプA行動パターンの人は、冠動脈疾患や高血圧、うつ病などを発症しやすいとされる。ただ、性格と病気になりやすさの関係を調べるのは難しく、タイプA行動パターンの人と病気の関係については今でもはっきりとした結論は出ていない(※7)。
タバコ産業(フィリップ・モリス社など)が、このタイプA行動パターンと病気の関係についての研究へ少なくとも40年間にわたって資金提供をし続けたという論文(※8)もある。タイプA行動パターンの人はストレスに影響されやすく、そのために心血管疾患などになるというタバコ産業の主張を裏付けるためにこの理論と研究者が利用された。
ストレスを作るのはまさにタバコなのだが、タバコ会社はそれを逆手にとって研究者を抱き込み、利用してきたのだ。今でもネット上でタバコとストレスが話題になるように、この関係はあまり知られていない。タバコ会社はさぞほくそ笑んでいることだろう。
タバコ会社による研究者への資金提供は、ニコチン依存症と精神障害の研究にも及んだ(※9)。日本では、喫煙科学研究財団という外郭団体を持つJT(日本たばこ産業)が今でもこうしたことを続けている(※10)。
※1:David Nutt, et al., "Development of a rational scale to assess the harm of drugs of potential misuse." The LANCET, Vol.369, No.9566, 1047-1053, 2007
※2:Neal L. Benowitz, "Nicotine Addiction." The New England Journal of Medicine, Vol.362(24), 2295-2303, 2010
※3:意識調査『Fromプラネット』株式会社プラネット:2018/08/13「喫煙・禁煙に関する意識調査」調査機関:インターワイヤード株式会社「DIMSDRIVE」実施のアンケート:期間2018/06/20〜7/10(2018/08/19アクセス)
※4:Hans Selye, "A Syndrome produced by Diverse Nocuous Agents." nature, 1936
※5:Mark P. Pettcrew, et al., "The “Father of Stress” Meets “Big Tobacco”: Hans Selye and the Tobacco Industry." American Journal of Public Health, Vol.101(3), 411-418, 2011
※6-1:Meyer Friedman, et al., "Changes in the Serum Cholesterol and Blood Clotting Time in Men Subjected to Cyclic Variation of Occupational Stress." Circulation, Vol.17, No.5, 1958
※6-2:Meyer Friedman, et al., "Association of Specific Overt Behavior Pattern with Blood and Cardiovascular Findings." JAMA, Vol.169(12), 1286-1296, 1959
※7-1:Ai Ikeda, et al., "Type A behaviour and risk of coronary heart disease: The JPHC Study." International Journal of Epidemiology, Vol.37, Issue6, 1395-1405, 2008
※7-2:Tina Lohse, et al., "Type A personality and mortality: Competitiveness but not speed is associated with increased risk." Atherosclerosis, Vol.262, 19-24, 2017
※8:Mark P. Petticrew, et al., "Type A Behavior Pattern and Coronary Heart Disease: Philip Morris’s “Crown Jewel”." American Journal of Public Health, Vol.102(11), 2018-2025, 2012
※9:Laura Hirshbein, "Scientific Research and Corporate Influence: Smoking, Mental Illness, and the Tobacco Industry." Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, Vol.67(3), 374-397, 2012
※10:Kaori Iida, et al., "‘The industry must be inconspicuous’: Japan Tobacco’s corruption of science and health policy via the Smoking Research Foundation." Tobacco Control, Vol.27, Issue.e1, 2017