日本の木のブランディング~隅研吾氏の言葉に寄せて~
日刊工業新聞のウェブサイト「ニュースイッチ」に、建築家・隅研吾氏のインタビューが掲載されていた。
目を通すと、木材に対する熱い思いが伝わって来る。単に自分が設計する新国立競技場だけでなく、木造建築の魅力をこれでもかと語る。
ここまで熱く、木材の素晴らしさを発信する建築家は少ないのではないか……私も人並み以上に森と木材には触れてきたつもりだが、とても語れない。むしろ裏側を知りすぎて懐疑的になっている部分があるからだろう。
たとえば「木はどういう場所で育ち、どういう人の手を通して供給されたかが全部トレースでき、それが木の個性になるというまれに見る建築材料です」という言葉があるが、そうしたトレーサビリティを確保している木材はどれだけ流通しているだろうか。
もっとも明確なトレーサビリティの一つである森林認証制度による認証材も、日本で出回っているのは全木材消費量の数%にすぎない。しかも認証地をたどると外国産になる方が多いのではないか。国産材では微々たる量だ。
「日本の木というのは、高い技術を持っていながら今までちゃんとしたブランディングができていなかった」という言葉もある。
ここで気になるのは「高い技術」の部分だ。この技術とは、おそらく加工に関することだろう。木を育てる技術、伐採搬出する技術ではないはず。なぜなら、そうした林業的な技術では、日本は欧米に比べてかなり劣るからである。
ごく一部の伝統的な林業地や篤林家の山では、育林から搬出まで丁寧にこなして良材を生産しているケースもあるが、大半は戦後生まれの粗放な人工林である。ただ植えただけ、の山が多い。
一方で加工技術、つまり製材や建築などに関わる加工も、一般材に関しては心もとない。近年まで、表示されている寸法どおりに製材されていることは稀だった。
たとえば「3寸5分の柱角材」が、実寸で3寸3分角しかないのが常態化していた。最近はさすがに減ったようだが、まだ根絶していない。しかも未乾燥材が多く、製材後に乾燥が進むと寸法が狂ったり反ったりする。
むしろ、そうした狂う材を使っても、なんとか建築物を建てられたのは、大工の腕のおかげだ。将来材が縮むのを見込んで仕口を刻んだり、建築現場で修正しながら建てたからだ。また建築が完成するまで長期間かかる(その間に自然乾燥する)ことを容認した施主の度量も関係する。
もっとも、戦後はそうした腕自慢の大工が少なくなり、工期も短縮することを求められた。そこで、乾燥機で人工乾燥させ工場でプレカットしておく材(多くが外材)が出回るようになった。
何より重要なのは、何を「ブランディング」するか、という点だろう。木が育った日本の風土や文化をいくら宣伝しても、海外の人に効果的だとは思えない。では木質か。しかし本当に日本の木材は品質が優れているのか、魅力的なのか、と問われると、私は口ごもってしまう。
日本のスギやヒノキ材の強度は、米材や欧州材よりさして強いわけではない。スギは明らかに劣るし、ヒノキも特別強くはない。腐朽やシロアリにやや強い面はあるが、塗料などでカバーできる程度だ。
見た目はどうだろう。木目などは個人的好みも入るが、明確な差はつくように思えない。年輪幅も北欧などの寒冷地の木の方が細かいように思う。むしろヨーロッパのホワイトウッド(主にトウヒ類)の白い木肌を美しく感じる人は、日本にも多いはずだ。
木材では、農作物のように「素材の味」はあまり活かせない。丸太のままでは使いようがないのだ。その木から作り上げた最終商品がユーザーにとっての価値を生み出す。つまりブランドとなるのは、その木を使ってどんな商品に仕上げたか、という製造品質だろう。日本の木を建築家や木工家が、加工技術に加えてデザインも素晴らしい作品に仕上げ、それが安定的に供給できることを示して、初めて世界に誇る日本の木製品(建築物や家具、グッズ類)というブランドになるのではないか。
どうやら日本の木のブランディングは、加工する人の肩にかかっているようだ。
隅研吾さん。ぜひ、素晴らしい作品を(日本の木を使って、技量の高い職人を育てて)つくって日本国内はもとより世界に発信してください。そして木材を高い価格で取引されるようにしてください。山元へ金銭的に還元されることが林業を活性化し、山村地域を振興する。
それが日本の森を救うことだろう。