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人間として多くを学び、コーチとしての礎となった桜宮での日々④。福島ファイヤーボンズ・森山知広

青木崇Basketball Writer
写真提供/B.LEAGUE

インターハイ予選に出場できることで変わった部内の雰囲気

 学年末テスト後に練習を再開してからしばらくすると、桜宮高バスケットボール部は大阪府のインターハイ予選に出場できることになった。コーチの森山は、ここから本格的にチーム作りをスタート。と同時に、部員たちの顔つきも変わっていく。しかし、精神的なダメージが依然として残っている部員に対しては、決して参加を強制しなかった。

 インターハイ予選に向けて本格的な練習を進めていくうえで、森山は前コーチの時に染み付いていた部員たちが言われたことしかできない状況、怒られないようにプレーしなければという意識を変えようとした。積極性がなくなってミスを恐れるという負の部分をなくし、自分でしっかり状況判断してプレーすることを森山は重視したのである。

「チャレンジしないというのが一番ダメというふうなルールじゃないけど、仕組みみたいに伝えていました。いいプレーの判断とか、今までは言ったことをどれだけミスせずにするかに長けていたけども、自分のアイディアとかひらめきは絶対あるはずなので、それをどれだけ引き出せるかというアプローチをしていました。無茶苦茶問いかけました。

“どうして今ここプッシュしなかったの?”とか、“プッシュできたんじゃない?”と言ったとき、“プッシュしていいのか、俺”みたいな感じなんです。“君がプッシュすればこういう感じになるんだよ”という伝え方ですね。だから、”あっ、いいんだ”というのが結構あるんです。“これをやっていいんだ”みたいなことをどんどんプレーの中で伝えていったのです。特段プレーを教えるというよりは、プレーができるので“やっていいことがもっとあるんだよ”というところに解放するということでした」

 桜宮高はインターハイやウィンターカップに出場できるだけの力を持ったチームであり、高い能力を持った部員たちがいる。そんな子どもたちに対して森山は、少し制限をなくして練習からいろいろチャレンジし、できなかったことがあればもう少し頑張ろうというアプローチをしていたのである。

「チャレンジしなかった時は注意して、チャレンジしたことを僕を含めてみんなで称賛するような感じです。チャレンジしなかったときにチームの中から“どうしてプッシュしなかったんだよ”とか、“やってくれたらここが空いただろ”と。より自分たちが考えてバスケットのプレーを作ること、話の度合いが深くなっていく過程を踏めていくようにです」

 また、森山は前コーチと違い、練習試合でできる限り多くの選手にプレーする機会を与えた。これも部員たちに寄り添うコーチングであると同時に、前向きな形で彼らのやる気を駆り立てるものだった。森田は次のように振り返る。

「個人的に思うのは、練習試合があったとしても全選手を使おうとしたりとか、選手のモチベーションを高めるのが上手な人なのかなと感じていました。僕がその時1年生から2年生になる時期ですかね。(以前から)試合に絡ませていただいていましたけど、絡めていない同期とかも前のコーチよりも試合に出る機会とか増えたりしました。モチベーションに対するアプローチがすごい上手で、そこが一番の違いじゃないかなという風に思います」

森山の求めるものを理解し、試合を重ねるごとに成長していく部員たち

 新年度となった2013年4月、インターハイの大阪府地区予選がスタート。1回戦から野次馬のように多くの人が会場に足を運ぶ異様な雰囲気の中、桜宮高は40分間全力でプレーした。ファイナルスコアはなんと241対14。その後の4試合も18点以上の差をつけて勝利したものの、「相手は弱いからできちゃうんです。自分たちができるという風に勘違いしてしまう」と森山は感じていた。

 しかし、レベルの上がった2次予選になると、簡単に勝てるような相手ではなくなる。半年以上実戦から離れていた影響もあり、劣勢をどう巻き返すかという経験ができていなかった。府予選の決勝リーグ進出を決めた2次予選の金光藤蔭高戦を74対71のスコアで競り勝ったが、そのときに部員たちは「これじゃダメなんだ。もっと自分たちで試したいことは、練習からコーチの言っていることを理解したうえでやらなければいけない」という自覚が生まれた。森山が求めてきた自分で考え、選手個々が気付いたことがあれば、しっかりコミュニケーションをとることは、試合を重ねるごとに習慣として身につくようになっていく。

「2年生の時に事件があり、3年生に進級したときに同級生が一人いない、コーチもいなかったというところからチームはスタートしているので、最初の3か月間細かく指導しました。試合ごとに成長するというのは、よく月刊バスケットボールとかでインターハイの結果で試合ごとに強くなった、成長していますみたいなことを言う人がいるじゃないですか。本当にそんなことあるのかなと思っていたんです。いざ高校生、高体連の試合を経験していくとマジで目の当たりにするんですよ。やはりあるんだと思って、そこから子どもたちの可能性ってすごいなと思いました」

 試合以外のところでも、コミュニケーションの質が少しずつ高くなり、チームとしての一体感も増していった。その例は、3X3で大阪府のアンダー18代表に選ばれたエースだった部員が、インターハイ予選の決勝リーグ初戦よりもアンダー18の試合を優先するという決断を下したこと。以前のチームであれば“インターハイ予選よりも大事なのか”という思いが強かったはずだが、この時のチームメイトたちは“僕らはこっちで絶対に勝ちます。桜宮高の代表だと思って、胸を張って戦ってきてほしい”と口にしていた。そんな部員たちの成長に森山はハッピーだった。

 決勝リーグでの3試合、桜宮高は1勝2敗で3位という結果でインターハイに出場できなかった。延長戦までもつれた星翔戦は、終盤でリードした局面で3ポイントショットに対するファウルを吹かれ、67対69で逆転負け。“桜宮をインターハイに行かせてはいけない”という圧力でもあるのかと思ってしまうくらい、森山にとっては不可解な判定で、試合に出ていた森田も「酷かったです」と同じ思いを持っていた。

香川ファイブアローズのポイントガードとしてプロ生活を送っている森田 (C)Takashi Aoki
香川ファイブアローズのポイントガードとしてプロ生活を送っている森田 (C)Takashi Aoki

 この悔しい敗戦を糧に、桜宮高はウィンターカップ出場を目指してより質の高い練習に取り組むようになる。元々部員主導でスカウティングしてレビューする習慣があったものの、森山はプロがやっているスタッツの取り方と、ミーティングで課題をどう克服していくかということを教えていった。

 オフェンスは大枠を決めたうえで、積極的にアタックしてシュートを打つなど、大胆なプレーを容認。一方のディフェンスは、コミュニケーションとローテーションを緻密に推敲することを徹底させたことは、森田の「ディフェンスの練習がすごく多かったなと覚えています。練習自体はしんどかったです。ディフェンスの練習が多くて、オフェンスの練習をやったという記憶が特にないんです。フォーメーション(セット)の確認とかはもちろんやっていましたが、ディフェンスをレベルアップすることでオフェンスの練習につながると思っていたようなので、ディフェンスをメインでやっていました」という話でも明らかだ。

「ディフェンスで何をしなければいけないか、何ができていないかを明確に、責任の所在ややられ方について共通認識を持てるようになってきたんです。そういう状態になってからは、ディフェンスの質が上がってきましたね。サボれない。男女ともにできるようになってきた」と語ったように、森山は夏休み中に部員たちの更なる成長に手応えを感じていた。

Basketball Writer

群馬県前橋市出身。月刊バスケットボール、HOOPの編集者を務めた後、98年10月からライターとしてアメリカ・ミシガン州を拠点に12年間、NBA、WNBA、NCAA、FIBAワールドカップといった国際大会など様々なバスケットボール・イベントを取材。2011年から地元に戻り、高校生やトップリーグといった国内、NIKE ALL ASIA CAMPといったアジアでの取材機会を増やすなど、幅広く活動している。

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