『ジョーカー』のホアキンを抑えての男優賞。主演ルカ・マリネッリに訊く『マーティン・エデン』の斬新。
2019年ヴェネツィア国際映画祭で『ジョーカー』のホアキン・フェニックスを抑えて、ルカ・マリネッリが男優賞に輝いた『マーティン・エデン』。彼の演技を目当てに映画館に足を運ぶ人も多いだろうが、作品そのもののパワーにも衝撃を受けるはず。
『野性の呼び声』の作家ジャック・ロンドンの自伝的作品を、ピエトロ・マルチェッロ監督が舞台をイタリアに置き換えて描くのは、ブルジョワ令嬢との恋で知識欲に目覚め、作家を目指した男。古典的な題材だが、記録映像をふんだんに挿入するスタイルがたまらなく新鮮なのだ。社会主義運動や階級差といった時代や社会の空気を伝えるのみならず、心象風景としても機能して、物語にみずみずしさを与えている。そのアーカイブ映像の使い方には、マーティンを演じたルカ・マリネッリも驚いたそう。
「編集で加えられた部分もありますが、脚本にはアーカイブ映像がどこに入るのかも書かれていました。個人的にすごく好きなのは、子供2人が踊っているアーカイブ映像の使い方。それがマーティン・エデンと姉が踊っている設定になっていて、感情を揺さぶる。そんなふうにアーカイブ映像のひとつひとつが固有のエモーショナルをもって使われ、マーティンの心の中や彼が生きる世界を映し出したものになっている。帆船が沈んでいく光景や教室で年配の人が勉強している様子も、彼の世界と結びついている。完成作を見たときには、アーカイブ映像のこうした使い方が感動を呼び起こすんだという大きな発見が、僕自身にもありました」
マルチェッロ監督が、スーパー16ミリフィルムで“映画”の香りを楽しませるなか、無学の貧しい若者が夢の実現に苦闘し、やがて成功を手にしても虚無感を抱えることになる物語は、まるでネオレアリズモやヴィスコンティといったイタリア映画史をも映し出すかのように表情を変える。
マリネッリが男臭い色気で演じるそんなマーティンの生き様は、人が生きるためのエネルギーは何なのかを見つめさせる。
「マーティン・エデンは大きな強い魂を持ち、真っ直ぐな気持ちで人生に向かっていく。女性に恋すると同時に、彼女を取り巻く芸術や美の世界を愛して、どんどん突き進んでいこうとする前半の姿にも魅了されました。後半、人生に絶望するわけですけれども、そのなかでも自分を顧みることができる。自分の原点を決して忘れないところも素晴らしい。
私自身にとってもエネルギーを与えてくれるのは、愛を受けることや家族の存在。俳優という仕事は、多くの人との出会いがあるのも素晴らしいところだと思っています」
7月からは、不死身の傭兵軍団の一員を演じるNetflixオリジナル映画『オールド・ガード』の配信も始まった。作品のスケールを考えるとスケジュール的にありえないだろうが、『マーティン・エデン』での受賞が起用の後押しになったのではと思いたくなるほど。いずれにせよ、この2作が彼のキャリアに大きな相乗効果をもたらしそうだ。
「『オールド・ガード』は、ほかの作品と同じようにオーディションを受けています。ただ、僕をキャスティングしてくれた人たちが、ほかの出演作も観てくれていたとは聞いていますし、そもそも僕はオーディションが好きなんですよ。妻も役者なので、いつも台詞の相手などをしてサポートしてくれる。『オールド・ガード』もいつもどおり、まずは録音した台詞を送るところから始まりました。
『マーティン・エデン』とはまったく違うタイプの映画ですが、素晴らしい愛のメッセージを抱えていて、エモーションに関わる作品だということでは同じですよね」
インタビューもオンラインが当たり前になった現在。コロナ禍が映画業界にも大きな影を落とすなか、俳優としてマリネッリの思いにも、彼が大切にするものが滲む。
「コロナに関しては、どう付き合っていくか状況を見極めることが大事だと思いますし、できるだけ早く終息することを願っています。映画とか芸術とかいったことを超えて、人々がまたもう一度しっかり抱きしめあうことができて、世界の美しさを体でも感じることができるような世界に早く戻れることが大事だと思います」
モニターに映るマリネッリは、マーティンの男臭い色気とはひと味違うナチュラルで柔らかい雰囲気。『マーティン・エデン』を観た人々も、次回作でまた違う顔を観るのも楽しみになるだろう。彼が一緒に仕事をしたいと熱望するきっかけになったというマルチェッロ監督の前作『失われた美』('16年)や次回作とともに。
『マーティン・エデン』(原題:Martin Eden)
9月18日よりシネスイッチ銀座、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国順次公開中
(c)2019 AVVENTUROSA- IBC MOVIE- SHELLAC SUD-BR-ARTE
配給:ミモザフィルムズ