高3の夏、進路に思い悩むヒロイン役に。長編映画初主演は「必死過ぎてかなり記憶があやふやなんです」
大九明子監督らの元で助監督を務めてきた淺雄望監督の長編デビュー作「ミューズは溺れない」は、まだ何者でもない自分に思い悩むすべての高校生に「大丈夫」とそっと手を差しのべてくれるような1作だ。
絵の道へ進む自信を失ってしまい、目標を見失いかけている美術部部員の朔子、同じく美術部員でいつもクールで周囲を寄せ付けない雰囲気がありながら実は他人には明かせない深い悩みを抱えている西原、ちょっと厚かましいけど人一倍友達想いの朔子の親友、栄美ら。
「進路」というひとつ答えを出さないといけない時期を前にした彼らの心が揺らぐ「高校三年の夏」が鮮やかに描き出される。
その中で、主人公の朔子を等身大で演じ切っているのが上原実矩。
今年、主演作「この街と私」をはじめ出演作の公開が相次ぎ、注目を集める彼女に訊く。(全三回)
長編での主演には少なからずプレッシャーを感じていました
前回は主に演じた朔子と脚本の印象について訊いた。
今回の演じた朔子は主人公。主演というのはけっこうなプレッシャーがあったと打ち明ける。
「短編や中編の作品で、主演を務めさせていただいたことはあったのですが、長編映画では『ミューズが溺れない』が初めてで。
そこで真ん中に立つということに少なからずプレッシャーを感じていました。
長編ともなると、やはりスタッフも増えて大所帯になる。
その中で、わたしはどういることがいいのか初めてなのでわからなくて、毎日現場でどういう形でいるのがベストなのか、主演としてどうあるべきなのか、すごく考えました。
今思えば、まだまだ若輩者のわたしに現場をまとめたり、士気を高めたり、全体をひっぱっていったりすることなんてできるわけがない。
気負う必要はまったくなかったんです(苦笑)。
でも、当時は、主演としてなにかしないと、頑張らないと意識してしまって、必死に考えていて勝手にあがいていました。
主演の責任を果たさないといけないという意識が強すぎて、クランクアップしたとき、『燃え尽きた』じゃないですけど、心はけっこう抜け殻のような状態になってました。特になにができたわけではないんですけど(笑)」
出来上がった作品をどうにか劇場公開へ結びつけたい気持ちがありました
この強い責任感の中には、こんな自身の思いも含まれていたという。
「自主制作作品ということで劇場公開が確定しているわけではありませんでした。
ですから、出演者のひとりとしてはどうにかして劇場公開へとつながっていってほしい気持ちがある。
そのためには、国内外の映画祭などに出品して、そこで作品が評価されていけば、観てもらえる場所が増える。
作品のクオリティを映画祭で認めてもらうために、役者として主演としてやはりいいお芝居をしないと、という気負いも確かに強くあった気がします。
やはり出来上がった作品をどうにか劇場公開へ結びつけたい気持ちがあったので。
映画祭で選ばれるぐらい高いクオリティの作品になるよう『頑張らないと』いけない。そのためにもまずは主演としてしっかりしないとという力んだ気持ちがありました」
かなり記憶があやふやなんです
それも含めて、「死闘だった」と撮影を振り返る。
「先ほど言ったように、長編での初主演で、責任重大といういままでにないプレッシャーの中で、とにかく必死で朔子を演じていました。
一方、淺雄監督も初の長編映画を撮るというプレッシャーがあったと思うんです。監督という仕事はそういうことなのかもしれないですけど、毎日判断に迫られて、自分で決断を下さないといけない。忙しい撮影スケジュールの中、プロデュースの役割もやられていたので大変だったと思います。
いまだったらわたしももう少し気の利いたことやうまくコミュニケーションをとれたかもしれない。
でも、当時はまだ二十歳になったばかりで、主演ということだけでいっぱいいっぱい。周りを見回すことなんてできなかった。
だから、ここまでいろいろと話しましたけど、実はかなり記憶があやふやなんです。
憶えていないことはないんですけど、真っ先に浮かぶのは『大変だった』ということで、常に闘っていた。そういう意味で、『死闘』だったと記憶に刻まれています(笑)。
そういう気持ちから空回りしていたところも当時はあったかもしれないですが、そんな中でも監督やスタッフの皆さんに支えられていたんだなと、いまとなっては実感しています」
(※第三回に続く)
「ミューズは溺れない 」
監督・脚本・編集: 淺雄望
出演:上原実矩 若杉凩 森田想
広澤草 新海ひろ子 渚まな美 桐島コルグ 佐久間祥朗 奥田智美
菊池正和 河野孝則 川瀬 陽太
全国順次公開中
公式サイト → https://www.a-muse-never-drowns.com
写真はすべて(C)カブフィルム