高3の夏、目標を見失いかけた悩めるヒロインを演じて。上原実矩「彼女とは重なるところがありました」
大九明子監督らの元で助監督を務めてきた淺雄望監督の長編デビュー作「ミューズは溺れない」は、まだ何者でもない自分に思い悩むすべての高校生に「大丈夫」とそっと手を差しのべてくれるような1作だ。
絵の道へ進む自信を失ってしまい、目標を見失いかけている美術部部員の朔子、同じく美術部員でいつもクールで周囲を寄せ付けない雰囲気がありながら実は他人には明かせない深い悩みを抱えている西原、ちょっと厚かましいけど人一倍友達想いの朔子の親友、栄美ら。
「進路」というひとつ答えを出さないといけない時期を前にした彼らの心が揺らぐ「高校三年の夏」が鮮やかに描き出される。
その中で、主人公の朔子を等身大で演じ切っているのが上原実矩。
今年、主演作「この街と私」をはじめ出演作の公開が相次ぎ、注目を集める彼女に訊く。(全三回)
演じた朔子と考え方が似ているところがありました
はじめに上原は1998年生まれで本作の撮影が行われたのは今から3年前のこと。
ということで彼女自身の高校時代ともさほど遠くないところで本作に臨んでいる。
この物語を前にして、どういうことを感じたのだろうか?
「ひと言で表すと、『違和感』みたいなものはなかったですね。
わりとわたしも近い感覚があったというか。とくに演じた朔子と考え方が似ているところがありました。
朔子は物事をネガティブにとらえる傾向がある。
はたからみるとちょっとした躓きで大したことのないことに映るけど、彼女はそこで絵の道を諦める方向に一気に気持ちが傾いてしまう。
わたしも基本は朔子と同じであんまりプラス思考で物事を考えられないタイプで。高校時代もいろいろとすっきり割り切れなくて、モヤモヤとした感情を抱えながら過ごすことが多かった。
だから、朔子は友人のこと、親とのことなどいろいろな状況に直面するのですが、そのとき、どうしていいかわからない、戸惑ってばかりいる。
こういうところは分かるところがありました」
自分の演技がみなさんにどう映っているのか、
不安や恐れがまったくないといったら嘘になる
もうひとつ、身近に感じるところがあったという。
「冒頭のシーンで描かれていますけど、朔子は船のスケッチ中に誤って海に落ちてしまう。
その場面を目撃した西原が、溺れる朔子をモデルに絵を描き、しかもその作品が絵画コンクールで受賞したことから全校生徒が見られるように学校に飾られてしまう。
このとき、絵とはいえ自分のかっこ悪い姿が見られたようで朔子はものすごく恥かしい。
一方で、朔子は西原のように自分に絵の才能があるのか、自分の創作が評価に値するのかと思い悩む。
わたし自身は朔子のように個人でなにかを創作して作品を発表はしていない。
今回のように主演であっても、俳優は作品に携わったひとりなので、立場としては違うのかもしれない。
ただ、彼女はアートの道を模索していて、わたしは俳優という仕事をしていて、なにかを自らをもって表現しようとしているところではつながっていると思うんです。
自分の作品がどう評価されるのか、朔子の中で不安や恐れがある。わたしにも自分の演技がみなさんにどう映っているのか、不安や恐れがまったくないといったら嘘になる。
だから、なにかを表現する立場として彼女の気持ちがわかるところがありました。
それから、進路について高校三年生のとき、わたし自身はどうだったかというと、役者としてやっていこうと心は決まっていました。
といいつつぼんやりとですが、別の道も考えていないことはなかったです。
進みたい大学や進みたい道が明確にあって、そこに向かって突き進むのが理想だし、かっこいいのかもしれない。
でも、わたしはそうなれない性格といいますか。なにを選択するにしてもわりと『あっちもいいけど、こっちもいいな』と優柔武断で悩んじゃうんですよね。
そういう性格もあって、役者の道に進もうと決めていましたが、もしかしたら『別の道にも可能性はある』という気持ちが心の片隅にありました。
だから、朔子は絵の道に進むことに諦めて、そこから造形アートにチャレンジしてみることになりましたが、わたしも、もしかして大きな挫折を味わったり、別の道をみつけていたら、そちらに進んだ可能性があったかもしれない。そう思え、進路を前にした彼女の心の揺れも、わかるところがありました」
(※第二回に続く)
「ミューズは溺れない 」
監督・脚本・編集: 淺雄望
出演:上原実矩 若杉凩 森田想
広澤草 新海ひろ子 渚まな美 桐島コルグ 佐久間祥朗 奥田智美
菊池正和 河野孝則 川瀬 陽太
全国順次公開中
公式サイト → https://www.a-muse-never-drowns.com
写真はすべて(C)カブフィルム