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マーティン・バー、ジェスロ・タルの半世紀を振り返る【後編】

山崎智之音楽ライター
Martin Barre(写真:Shutterstock/アフロ)

ジェスロ・タル加入から50周年を祝うアニヴァーサリー・アルバム『50 Years Of Jethro Tull』を発表したギタリスト、マーティン・バーへのインタビュー全2回の後編。

前編記事ではアルバムについて訊いたが、後編ではその半世紀におよぶキャリアの原点、そして多彩な音楽スタイルやアーティストとの交流について話してもらった。

『50 Years Of Jethro Tull』ジャケット(The Store For Music / 現在発売中)
『50 Years Of Jethro Tull』ジャケット(The Store For Music / 現在発売中)

<ジェスロ・タルを好きなメタル・ファンもたくさんいた>

●ジェスロ・タルはプログレッシヴ・ロック、ハード・ロック、フォーク・ロック、最初期はブルースなど、さまざまなスタイルを内包してきました。『スタンド・アップ』(1969)が全英チャート1位を獲得したのを筆頭に『アクアラング』(1971)、『ジェラルドの汚れなき世界 Thick As A Brick』(1972)、『パッション・プレイ』(1973)などがヒット、現代に至るまでブリティッシュ・ロックの名盤と呼ばれていますが、当時のロック・シーンで音楽面での“同志”はいましたか?

たくさんいたよ。いろんなバンドとツアーしたし、フェスティバルにも出演した。ジミ・ヘンドリックス、レッド・ツェッペリン、キャプテン・ビーフハート...みんなそれぞれが独自のスタイルを築こうとしていた。お互いと異なった音楽をやるという、共通の志を持っていたんだ。壁を作ることなく、刺激を与え合っていた。1970年代の音楽シーンはとても健全だったし、イギリスからアメリカ、日本までツアーをして、最高にエキサイティングな時代だったよ。

●エマーソン、レイク&パーマー(EL&P)へのトリビュート・アルバム『アンコールズ、リジェンズ、アンド・パラドックス』(1999)で「タイム・アンド・プレイス」をカヴァーしましたが、彼らとの交流はありましたか?

あのカヴァーは、私自身気に入っているんだ。EL&Pはキーボード・トリオだから、もしギタリストがいたらどんなプレイをするか?と想像を巡らすことが出来る。楽しい経験だったし、あのヴォーカル(ドリーム・シアターのジェイムズ・ラブリエ)は息を呑む迫力だったよ。EL&P3人のことはよく知っていた。1990年代(1996年)に大規模な北米ダブル・ヘッドライナー・ツアーでジェスロ・タルと一緒に回ったこともある。妥協のないシリアスなミュージシャンであるのと同時に親しみを持てる人間たちで、友人になることが出来た。私は彼らの音楽のファンでもあった。『タルカス』や『恐怖の頭脳改革』は斬新だったし、好きだったよ。

●ハード・ロックやヘヴィ・メタルのファンは1970年代末のメタル・ブーム(N.W.O.B.H.M.=ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)時にジェスロ・タルに声援を送りましたが、1989年にグラミー賞“ベスト・ハード・ロック&メタル”部門を受賞したときにはブーイングを飛ばされました。そのことについてどう考えましたか?

グラミー賞の件は、アメリカの音楽マスコミが必要以上に騒ぎ立てたんだよ。メタル・ファンは本気でジェスロ・タルを憎んではいなかったと思う。“ヘヴィ・メタル”は新設の部門で、誰もがメタリカが受賞すると予想していたのに、ジェスロ・タルが横からかっ攫っていったみたいに言われたけど、私たちが自分の裁量でどうこう出来る立場ではなかったしね。メタリカにもユーモアがあって、その次の年にグラミーを受賞したとき、「ジェスロ・タルに感謝したい。今年アルバムを出さないでくれたことを」って笑っていたよ(笑)。

●メタリカのメンバー達と直接会ったことはありますか?

残念ながらないんだ。気の良さそうな若者たちだし、いつかステージで共演してみたいね。あと、これは言っておきたいんだ。『クレスト・オブ・ア・ネイヴ』は良いアルバムだし、誇りにしている。何かの賞をもらってもバチは当たらないと思うんだよ。それがたまたまグラミー賞のヘヴィ・メタル部門だったわけだ。私たちがヘヴィ・メタルだったことは一度もないけどね。唯一の問題はそこだった。でも、ヘヴィ・メタルのファンにはジェスロ・タルを好きなリスナーもたくさんいたんだよ。

●N.W.O.B.H.M.時代のメタル・キッズはジェスロ・タルの音楽に合わせて首を振っていましたね。

そう、N.W.O.B.H.M.を象徴するラジオ番組『フライデイ・ロック・ショー』でもジェスロ・タルは頻繁にオンエアされた。私はメタル・ギタリストだったことはないけど、確かに私の活動はヘヴィ・メタルと無縁ではなかったんだ。ソロ・バンドのドラマー、ダービー・トッドはザ・ダークネスでやっていたしね(実際にはジャスティン・ホーキンスのバンド、ホット・レッグの一員だった)。彼はパワフルに叩くことも出来るし、繊細なタッチも持っている。私は決してメタルを低く見ているのではない。メタルの速弾きギタリストはみんな凄いよ。私には真似出来ないスピードで弾きまくっている。

●アイアン・メイデンのスティーヴ・ハリスもジェスロ・タルのファンで、「クロス・アイド・メアリー」をカヴァーしていますが、聴いたことはありますか?

アイアン・メイデンは世界最大のヘヴィ・メタル・バンドだし、もし私たちが彼らのインスピレーションになったとしたら光栄だね。彼らの音楽にはあまり馴染みがないけど、ジェスロ・タルっぽい部分があるの?

●アルバムごとに1曲はプログレッシヴ・ロック的な大曲が収録されているし、音楽的には異なっていても、ファン層が共通するかも知れません。...もうひとつ、あなたとヘヴィ・メタルの接点といえば、ジェスロ・タルにトニー・アイオミの後任として加入したことでしょうか。

トニーと私はバーミンガムの同郷なんだ。彼は若い頃から噂になっていたし、成功すると思っていたよ。私の知る限り、トニーは正式にジェスロ・タルに加入したわけではなかった。お互いに手探りで、既にブッキングされていたTVスペシャル(『ロックンロール・サーカス』)で一緒にやってみたんだ。でもこの番組では前任者のミック・エイブラムスのギター・トラックが使われて、トニーは当て振りをしていた筈だ。で、音楽的な相性が合わなくて、彼は数日後にブラック・サバスに戻っていったんだ。だから私の中では、自分が2代目ギタリストという意識になっている。その時期、イアン(アンダーソン)はジェスロ・タルをブルースと異なった方向に持っていこうとしていた。新しい音楽を生み出そうとしていたんだ。

Martin Barre / photo by Martin Webb
Martin Barre / photo by Martin Webb

<ジミは普段は控えめで、ステージに上がると火を噴くギターを弾いた>

●ジェスロ・タルは1960年代後半のデビュー時にはブリティッシュ・ブルース・サーキットでプレイしていて、ミック・エイブラムスがギタリストでしたが、あなたもゲッセマネというブルース・バンドでプレイしていたそうですね。英国ブルース・ブームとはどのように関わっていましたか?

1960年代後半のブルース・ブームはイギリスのあらゆるギタリストのために扉を開け放ったんだ。それ以前、1960年代中盤まで、私はタムラ/モータウンなどのソウルに傾倒して、サックスを吹いていた。自分にとってメイン楽器はギターだと考えていたけど、リード・ギターを弾く場がなかったんだよ。ブルースをやるようになって、自由にギターで自分を表現出来るようになった。ただ、私は当時からピュアなブルース・ギタリストではなかった。ブルースは練習して身につけるものではなく、“持っているか”どうかなんだ。スティーヴィ・レイ・ヴォーンやゲイリー・ムーア、ジョー・ボナマッサは“持っている”。私はそうでなかったし、その代わりにジャズやクラシックなどの要素を取り入れて自分のスタイルを作ったんだ。

●ゲッセマネ時代にどんなバンドと共演しましたか?

ゲッセマネはクラブ・バンドで、本格的なツアーをする前に解散したんだ。でも、それより前にやっていたザ・モーティヴェイションというバンドで、ベン・E・キングやコースターズ、アイク&ティナ・ターナーのイギリス公演でバックを務めたことがあったよ。ゲッセマネがライヴ共演した数少ないバンドのひとつが、ジェスロ・タルだったんだ。

●それがあなたとジェスロ・タルとの出会いでしたか?

その通りだ。ゲッセマネではフルートを取り入れていたけど、ジェスロ・タルの噂を聞いて、自分と似たようなことをしている連中がいるな、と考えた。ちょうど同じ頃、イアンもゲッセマネのことをどこかで知って、同じように考えたそうだよ。それで一度プリマスのクラブで一緒にライヴをやったことがある。ジェスロ・タルは素晴らしかったよ。それで親しくなって、私は後に加入することになったんだ。

●あなたが加入してからジェスロ・タルは1960年代末、アメリカ西海岸でレッド・ツェッペリンやMC5、フリートウッド・マックなどと共演していましたが、あなたは当時のヒッピー・カルチャーやサイケデリアに共鳴していましたか?

当時の西海岸、特にサンフランシスコは凄かったね。お客さんの吸うタバコの煙がモワモワ上がって、自分の足下が見えないほどだった。当時の私は長髪だったし、ファッションのせいでヒッピーに見えたかも知れないけど、ヒッピー思想とは無縁だった。普通のタバコですら吸わないんだから、大麻なんか吸うわけなかったしね。幸いハード・ドラッグにも手を出すことがなかった。音楽さえあれば、ドラッグなんて不要だよ。

●当時の西海岸はラヴ&ピースに溢れていましたか?

そうでもなかったよ。バイカーによる暴力沙汰もあったし、ライヴ会場に刃物を持ち込む奴もいた。それにラヴ&ピースというフワフワとした理想は、音楽と直接関係ないものだったんだ。幸いジェスロ・タルが西海岸でプレイするようになった1969年にはヒッピー・ムーヴメントが落ち着きつつあって、ライヴを見に来る人たちは音楽に耳を傾けてくれた。ジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベック、ピンク・フロイドやフリートウッド・マックはそんな時期に西海岸で受け入れられたんだよ。

●ジミ・ヘンドリックスとの交流はありましたか?

私がジェスロ・タルに入って初めての国外ツアーが、ジミ・ヘンドリックスと一緒のヨーロッパ・ツアーだった(1969年1月)。初日がストックホルム公演だったな。ジミは既にスターで私は緊張したけど、とても親切な人だった。彼とはバックステージでいろんなことを話したし、親しくなった。多くの人が口を揃えて言うように、ジミは素晴らしい人物だったよ。控えめな人で、ステージに上がると火を噴くようなギターを弾いたんだ。強く印象に残っているのは、ジミが自分の声質を嫌っていたことだ。それに自分よりもエリック・クラプトンの方がギターが上手い、と話していた。まあエリックも、ジミの方が凄いと思っていただろうけどね。

Martin Barre / photo by Martin Webb
Martin Barre / photo by Martin Webb

<ゲイリー・ムーアは...音がデカかった>

●さっきブルースを“持っている”ギタリストとしてゲイリー・ムーアを挙げていましたが、1969年にジェスロ・タルの前座をゲイリーがいたバンド、スキッド・ロウが務めたときのことを覚えていますか?

ゲイリーは...とにかく音がデカかったね(笑)。ダブリンのナショナル・スタジアムでの公演で一緒だったんだ。ショーの途中で1曲、彼がギターを弾きながら足でバスドラムを叩いて、同時にヴォーカルも取っていたのを覚えている。

●ダスター・ベネットみたいな“ワンマン・バンド”形式で?

そう、まさにそんな感じだよ。もう50年以上前の話だし、あまり覚えていないけど、他のメンバー達がステージからいなくなって、ゲイリーが1人で演奏していた。面白い形式だと思ったな。ゲイリーは決して人付き合いが良い方ではなく、友達も多くはなかったけど、私とは何度も話して、いつだって良い関係だったよ。どういう訳か、彼はイアン・アンダーソンのことは嫌いだったみたいだけどね(苦笑)。

●ピーター・グリーンへのトリビュート・アルバム『ピーター・グリーン・ソングブック』について、ゲイリーは「『マン・オブ・ザ・ワールド』をフルートでカヴァーしたり最悪だった」と、イアンのプレイを批判していました。

ゲイリーは正直な人間で、粉砂糖をまぶすことなく自分の意見を言うタイプだった。私もそうだから、気が合ったのかも知れない。もちろん彼は最高のギタリストだったよ。昔は速すぎると思ったこともあったけど、1990年代にブルースをやるようになって味わい深いプレイをするようになった。彼がいなくなって寂しいよ。

●フランク・ザッパやUKでの活動で知られるエディ・ジョブソンがジェスロ・タルの『A』(1980)に参加しましたが、それはどんな経験でしたか?

エディは一流のミュージシャンで、レコーディングでは目を見張ったね。凄かった。ただ彼は正式メンバーになることはなかったんだ。あくまでゲスト枠だったよ。エディは根本的にソロ・アーティスト志向なんだ。UKのときでもバンドの一員という感じではなかった。彼は素晴らしい人間で、彼の音楽からは学ぶことがたくさんある。作曲スタイル、演奏技術、アレンジ技術など、世界の最高クラスだよ。彼とは決して深い付き合いだったわけではなく、ずっと会っていないけど、再会するときは微笑みを浮かべて握手出来るよ。

●ジェスロ・タルは1972年7月、1974年8月、1993年9月、2005年5月に来日していますが、日本についてどんな思い出がありますか?

初めて行ったときは誇張でなく、夢の国にいるようだったよ。西洋からの影響はあったけど、それに左右されない独自の文化があった。誰もが礼儀正しく、敬意を持って接してくれたのが嬉しかったな。残念だったのは、ツアーの日程がタイトで、いろいろ見て回る時間がなかったことだった。次に行くときはもっと余裕のあるスケジュールで、大都市だけでなく地方もじっくり見て知りたいね。もちろん現在は海外ツアーをやるのが困難だけど、世界が元に戻ったら必ず日本に行くよ。

【最新アルバム】

『50 Years Of Jethro Tull』

The Store For Music SFMCD549

現在発売中

https://www.thestoreformusic.com/

【アーティスト公式サイト】

https://martinbarre.com/

音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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