急転直下のレアル・マドリー監督辞任。ジダンは去り際まで美しく。
ジズーは去り際まで、美しかった。
ジズーとは、ジネディーヌ・ジダンの愛称である。今季チャンピオンズリーグで優勝を飾り、レアル・マドリーを前人未到の同大会3連覇に導いた指揮官はしかし、5月31日に突然辞任を発表した。
■申し分ない結果
会見に同席したフロレンティーノ・ペレス会長はジダンの決断を尊重すると語ったが、狼狽(うろた)える様子を隠せなかった。
2016年1月4日にBチーム相当のカスティージャから昇任する格好で指揮官のポストに就いたジダンは2年半で合計9タイトル(チャンピオンズリーグ優勝3回、リーガエスパニョーラ1回、UEFAスーパーカップ2回、スペイン・スーパーカップ、クラブ・ワールドカップ2回)を獲得。申し分ない成果を挙げてきた。
マドリーで続投するためには「主要タイトル獲得」は必要最低条件だ。これほどのビッグクラブになれば、監督は選び放題。現に、過去15年で3年以上マドリーで指揮を執ったのは、ジョゼ・モウリーニョ監督だけである。
大半の指揮官がタイトルを獲得できず、それを理由に解任の憂き目に遭った。だがジダンはそのケースに当てはまらない。ビッグイヤーを3度掲げるという歴史的な偉業を成し遂げておきながら、彼は突如として、表舞台から姿を消す決心を固めた。
■監督としての道
2006年のドイツ・ワールドカップ決勝でマテラッツィに頭突きを喰らわせた「事件」を除き、ジダンのキャリアにおいて目立った落ち度を見つけるのは難しい。しかしながら、振り返れば、指導者としての歩みは平坦ではなかった。
マドリー・カスティージャで指導を始めたジダンだが、当時はコーチングライセンスをレベル2(最高レベルは3)までしか取得していなかったため、形式上「助監督」としてベンチに座った。無論、実質は第一監督であったわけだが、これがメディアで取り沙汰され、挙げ句の果てにスペインサッカー連盟の監督技術委員会からチェックされることになった。
それでも、指揮官ジダンはあらゆる逆風を結果で跳ね返した。
ベッケンバウアーのバイエルン、クライフのドリームチーム、サッキのミラン、ペップ・チーム...。偉大なチームに、ジダン・マドリーは比肩する。
圧倒的な強さを誇示するチームには、それぞれ戦術的な特徴があった。リベロシステム(バイエルン)、トータルフットボール(ドリームチーム)、ゾーンプレス(ミラン)、ファルソ・ヌエベ/ゼロトップ(ペップ・チーム)。だが、ジダンが率いたマドリーは、どちらかと言えば派手さのないチームだったように思う。
ベイル、ベンゼマ、C・ロナウドの「BBC」を解体して、4-4-2を形成した。カセミロを重宝して中盤の安定性を高め勝率を上げたのは、マケレレを放出して失敗した第一次ペレス政権のマドリーとは対照的であった。
■続投への希望
マドリディスタはジダンの続投を希望していた。当然だ。幾度となく歓喜に酔いしれる夜を過ごさせてくれた指揮官を、どうして手放せるだろうか。辞任直後にスペイン『マルカ』が行ったアンケートでは、「ジダンの決断に驚いたか?」との問いに、得票数4万超えで82%が「イエス」と答えている。
それに、彼はチャンピオンズリーグの優勝で続投の「必要最低条件」を満たしている。ジダンから辞意を表明されたペレス会長にとっても、まさに寝耳に水だっただろう。
「レアル・マドリーで続投したい。私はどこにいるかを理解している。だが、フットボールの世界がどういうものかは知っての通りだ」
これは3月30日に行われたリーガエスパニョーラ第30節ラス・パルマス戦の前日会見でのジダンの言葉だ。
しかしーー。
あれから2カ月が経ち、彼の態度は180度転換した。
「このチームは勝ち続けるために変化を必要としている。異なる方法論や違う流れが必要だと感じて、この決断を下した」
最後の会見で、ジダンはそう語った。それが本音かどうか、彼の表情から読み取ることはできなかった。
現役時代を彷彿とさせるポーカーフェイス。最後までジズーはジズーであろうとしたのかもしれない。