スケートボード写真の「それじゃない」感 選手や業界関係者と、スポーツ報道のズレ
愛好者と世間の写真の評価基準
スケートボードがオリンピック競技に採用されてからくらいだろうか、全日本選手権など規模が大きなコンテストについて選手や業界関係者の方々と話すと、決まってよく出てくる話題がある。
「変なタイミングの写真が増えたよね」「見たいのはそこじゃないんだよな」
「この写真、やたらトリミングされてるね」
と言った類いの話だ。
マスメディアとの仕事では、こんな話になることもある。
「この写真、”何か”凄くカッコ良いですね!」「どれも一番良い瞬間を捉えている”ように”見えます」
これらの話は、一見何の繋がりもないように見えるかもしれないが、それぞれの言葉を照らし合わせると、浮かび上がってくる事柄がある。
それは「専門的なメディアとマスメディアでは選ばれる写真が別のものになりやすい」ということと、「専門的なメディアで使用される写真表現の特性とその理由まで理解が進んでいない」ということだ。
ただ世間にスケートボードの認知が進んだのは昨年の東京五輪と、ごく最近であるため、当然と言えば当然なのだが、そこで気になるのが「専門的なメディアで使用される写真表現の特性」とはなんなのか⁉ だろう。
筆者は他のスポーツ写真とは決定的に違う、この世界ならでは暗黙のルールのようなものが存在していると考えている。
スケートボード写真の特性
それは主に以下の2点だ。
・トリックのピーク (1カットで何のトリックを行なっているのかわかる一瞬) を押さえる
・アプローチと着地点 (どこで踏み切ってどこに着地しているのか) を収める
トリックのピークを捉えているか否か
トリックのピークに関しては、スケートボードのトリックについて理解していないと撮影は難しいだろう。上の写真を例に取るとわかりやすい。
左上の1枚目がテール(後端の反り上がり部分)をお腹側に弾いて、ボードを浮かせながら180度横回転させるフロントサイドポップショービットというトリック、右上の2枚目が背中側にある対象物に対して前後双方のトラック(土台となる金属のパーツ)を掛けて滑らせるバックサイド50-50グラインドというトリックを押さえた写真となっている。
そして最後がフロントサイドポップショービットをしてからバックサイド50-50グラインドをするという1枚目と2枚目両方のトリックを組み合わせた複合技となっているのだが、そこで重要となるのが、双方のトリックを行っていることがわかる一瞬を捉えることだ。
2つのトリックを組み合わせることはそれだけ難易度も高くなるので、双方のトリックを行っていることがわかる一瞬こそが、選手がどれだけ凄いことをしているかが確認できる最大の見どころであり、一連の動作のピークのタイミングとなる。
もちろんそこがピークとなるのにも理由があって、このボードキャッチの瞬間がフロントサイドポップショービットであることがわかるボード回転のタイミングだからなのだが、同時にトリックの高さのピークでもあるのだ。
さらに身体の姿勢や重心、目線、ボードの位置などから50-50グラインドに繋げようとしていることも予測できる瞬間でもあるので、たった一枚の中にさまざまな要素が詰まった、創造性のある写真に仕上がっているというわけだ。これは各々のトリックがどんなものか理解しているという予備知識があって、初めて撮影可能といえるだろう。
アプローチと着地点が写っているか否か
アプローチと着地点に関しては、同じく冒頭の「この写真、やたらトリミングされてるね」という言葉にかかってくる。
上の2枚はどちらもバックサイド5-0グラインド(背中側の対象物に乗り上がり後ろ側のトラックだけで滑る技)というトリックをしている写真なのだが、シャッターを切るタイミングも違えば、寄り引きの構図も全くの別物だ。
一方はかなり寄ったカットで、もう一方はどこで踏み切ってどこに着地しているのかも収めたカットになっているのだが、この2枚はそもそもの狙いが全く違う。
前者はトリック云々よりも競技中の表情をはっきりと大きく捉えることに重点を置いており、さらにボードの形状もはっきりと写すことでスケートボードの選手だということもわかるようにした、スポーツ報道でよく見られるタイプの写真だ。
対して後者はアプローチと着地点、そしてトリックの3要素を一枚に収めて構図を作り、一枚の中にストーリー性を持たせた情報量のある写真となっているのだが、スケートボード専門メディアの写真には、その要素がものすごく重要なのだ。
わかりやすい例え話をすると、スケートボードで高さ1mから跳び降りるのと3mから跳び降りるのでは、3mの方がすごいことは誰でもご理解いただけると思う。しかし構図の中で、表情を大きくはっきり捉えたいがために着地点を写していなければ、高さがわからないので、どれだけスゴいことをしているのかが全く伝わらないのである。
スケートボード写真の表現に特徴があるワケ
これを試合会場であるスケートパークに置き換えてみると、スケートボードならではの特性が見えてくる。上記の例え話の落差に当たる「凄さの違い」がコンテスト会場によってバラバラだということだ。
ストリート・パークの両種目ともセクションと呼ばれる障害物の配置、つまりコースのレイアウトがどこも違う。しかもコースのどこで行うのかで、同じトリックでも点数が変わってくるので、どれだけすごいことをしたのかは、どういった形のセクションを使い、どこで踏み切って、どんなトリックを披露し、どこに着地したのかまで全てが写し出されて、初めて理解できるのだ。
上の写真は2枚ともバックサイドキックフリップ(背中を進行方向へ向けて180度回転しながらボードに縦回転を加えるトリック)というトリックの写真なのだが、バンクと呼ばれる斜面セクションの角度も大きさも、着地点も全く違う。下のセクションの方が斜面の角度もキツく、飛び出した先の着地面も傾斜で難易度が高いとされているため、自ずと得点も高くなる傾向にある。
そういった観点でサッカーや野球といった他のメジャースポーツを見ても、フィールドによって広さやグラウンドの質に多少の違いはあれど、スケートボードパークのセクションほど劇的に変わることはない。そのため「どこで何をやったのか」は周囲から尊敬を集めるひとつの要素にもなるので、アプローチと着地も一枚の構図の中に収めるのがセオリーとされているのだ。
こういったところを当たり前に踏まえているのが「専門メディアで使用される写真表現の特性」なのである。
そのため冒頭でお話しさせていただいたマスメディアの編集者の方など、良い意味で先入観を持たない方々が、「"何か"カッコいい」「一番よい瞬間を捉えている"ように"見える」と感じるのは、そうした撮り手と滑り手の暗黙の了解による部分から一枚の”作品”を創り上げているからであり、そこを意図せずともなんとなく感じ取ってくれているからなのではないかと思う。
スケートボードの写真表現に起きた変化
こうしたこの世界特有の写真表現文化自体は、30年以上前から変わらない。ただ、スケートボードの写真を目にする機会自体が、ここ6〜7年で飛躍的に増加した。そう、オリンピック種目への採用である。
オリンピックは全世界的なスポーツの祭典なので、世界中のありとあらゆる人々に向けて放送される。そうなれば伝える側も全国や世界中に強固なネットワークを持つ大手の通信社や新聞社が請け負うのも自然な流れだ。
ただ、そこで写真を撮る、あるいは写真を選定する方々に上記のような予備知識があるのかといえば、決してそんなことはないし、求めることの方が酷というものだろう。
さらに「スポーツ報道」だと考えれば、必ずしもそういう撮影ルールのようなものに則す必要はないのでは、と考える方が普通かもしれない。
実際にマスメディアの編集担当の方に専門的な写真を見せると、アプローチと着地点を入れることで必要以上に引きすぎた構図だと感じて「顔が小さくて見えにくいので使いづらい」といった回答が返ってくることもある。もちろんそれはそれでしっかりした考え方のひとつではあるが、状況や用途によって適切な一枚をセレクトできるに越したことはないだろう。
本来はカメラマンも双方のニーズを満たす一枚を撮影するのがベストなのだろうが、コンテストの現場では撮影エリアが限定されていてアングルを選べないことが多いし、そもそもマスメディアや一般と、業界関係者や愛好者が求める写真にはかなりの隔たりがあるので物理的に不可能な場合が多い。
難しい問題ではあるが、主役である選手側からしたら、せっかく厳しい練習を積み重ねてやっとの想いで習得したトリックなので、一番カッコいいピークの瞬間を撮ってもらいたいと思うのが本音だろう。しかし、そこにはなかなか埋められない認識の溝があるのも事実なのである。
そもそもマスメディアは通信社から配信された写真を使うことが多いし、通信社もそのあたりの認識は同様だ。マスメディア的なわかりやすさ、としてはそれでいいのかもしれない。
ただ、スケートボード界においてはこうした「スポーツ報道」のスケートボード写真が世間的には当たり前となってしまうと、業界が長年かけて築き上げてきた「創造性」が失われてしまう側面もあるのではないかと思う。
では東京オリンピックの写真表現は!?
その点に関して昨年の東京オリンピックはどうだったのかというと、世界的に見れば専門メディアで使用される写真表現の特性を理解したカメラマンは、IOC付きで来日していたので創造性ある写真はしっかりと残っている。
ただそれらは全てスケートボードの本場であるアメリカから来日したカメラマンであり、日本から専門的なカメラマンは一切入っていない。もちろん通信社のスポーツカメラマンは入っていたのだが、日本のメダリスト達が自身のSNSアカウントに投稿したオリンピックの写真は、全て業界内の海外の専門的なカメラマンが撮影したものだった。日本は開催国であったにもかかわらず。
世間からすれば本当に些細なことではあるが、そこに業界関係者が多少なりとも矛盾を感じてしまうのも無理はないだろう。
筆者は"専門性の高い案件は専門性の高い人が担う"ことが、非常に重要であると考えている。ことスケートボードに関して言えば、元々は一般社会に迎合しようとしない一部の人間達が生み出したカルチャーがルーツとなっている。オリンピック競技に採用されたのは、そこから徐々にスポーツとしてのジャンルが確立していったからに過ぎない。
そして、その歴史には独特で非常に奥深い文化が存在しているので、いくら百戦錬磨のプロスポーツカメラマンと言えど、カルチャーへの理解が乏しければ、専門家以上のものを生み出すのは難しいのではないだろうか。
「それはどの競技でも同じではないか?」と思われるかもしれないが、例えばすでに国内でウィンタースポーツとして盤石の地位を築いているフィギュアスケートに関しては、一般スポーツ紙のカメラマンもすごく予習をして、選手が決めポーズをする角度なども研究して準備をしているという。
そう考えると、ようやく社会的に存在が認知されたという段階のスケートボードは、まだまだ伝える側の準備もそのレベルには達していないのではないだろうか。
まだまだあるスケートボード界特有の写真表現
他にもこの世界には日中も夜間も関係なくフラッシュを2〜3灯使って行う撮影方法が定着しているし、フィッシュアイと呼ばれる空間に独特の歪みを与えてくれる特殊なレンズを使い、選手の滑りにさらなる迫力を与える表現方法も当たり前となっている。
なぜ当たり前なのかは上の2枚の写真を比べて確認していただけると一目瞭然で、全く同じトリックであるにもかかわらず、与える印象は全くの別物になる。フィッシュアイを使ってローアングルで撮影した下の写真の方に、より迫力や躍動感を感じるという人が多いのではないだろうか。
こうした写真表現はすでに業界内における文化のひとつと言えるほど定着しており、この経験がある人は競技中も闇雲に連写することなく、自然と捉えるべき一瞬を無駄なく押さえられるようになるし、必要に応じたシーンの切り取りもすんなりとできるようになる。そのためカメラマンという職種の中でも専門性の高いジャンルであることがおわかりいただけるのではないだろうか。
筆者はどんな世界においても細部にまでとことんこだわるからこそプロフェッショナルになれると思っているし、その情熱によって生み出されるエネルギーがより良い仕事に繋がると思っている。
スケートボードだけに限らず、2024年のパリ五輪やその次のロサンゼルス五輪では、競技レベルの向上はもちろんのこと、クリエイティブを担う裏方のサポート体制も、より強固なものになることで、その魅力は倍増して全世界に伝わっていくはずだ。
写真撮影:吉田佳央( @yoshio_y_)
撮影協力:Nike SB(@nikesbdojo)
撮影場所:Tokyo Sports Play Ground(@tokyo_sport_playground)
撮影選手:中山楓奈(@funa_nakayama)、藤井雪凛(@yurinfujii)、森中一誠(@isseimorinaka)and 前田日菜(@hina__maeda)