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ドラマ化連発のヒット漫画家「やり残したことはスケボー」 女性主人公作品の秘話語る

吉田佳央フリーランスフォトグラファー/スケートボードジャーナリスト
スケボーの魅力を漫画でわかりやすく伝えてくれた『スケッチー』がついにフィナーレ

今やすっかり世間に認知されたスケートボードの持つ多くの魅力を、漫画というフィルターを通してわかりやすく社会に伝えてきた『スケッチー』が、本日発売の第6巻をもって感動のフィナーレ。そこで作者のマキヒロチさんと、登場人物のモデルになった村井祐里さんの対談インタビューを2部構成でお届け。(後編はこちら)

打ち解けたきっかけもスケートボード

ーまず2人の出会いから教えていただけますか? 

マキ (以下 マ):私からのオファーで、『スケッチー』を描くにあたりスケートボードで活躍してる人をあたるようになって、どういう人を取材していけばいいのかと相談していったら「ゆりゆり(村井祐里)っていうフィルマー(※1)の子がいるよ」って紹介してもらったんです。

彼女が作ってる『Joy and Sorrow』のDVDも教えてもらって、ガールズスケーターは仕事が終わってから夜に練習してるんですみたいな感じも見せてもらいました。ただ全然面識がなかったから、最初は編集さんが声を掛けてって感じでしたね。

※1 スケートボード映像の撮影・編集をして世に送り出す人。スケートボードは昔からビデオ文化が根強い。

村井 (以下 村):私は「せっかくなら一緒に滑りましょうよ!」っていって、みんなでキャッキャしながら基礎練習とかをして、わーい♪ って心が開いていったのを覚えてます。初めて会った時の会話は緊張で全然覚えてません。(笑)

マ:私はフィルマーの人に会ったのが初めてだったから、すごく興味深くて。それに陽気なキャラで話しやすかったし、今のリアルなガールズシーンの中心の人なんだなって印象でしたね。ゆりゆりは?

スケボーは専門用語を使わないとうまく話せない!?

村:ザ・作家さん! みたいな感じでとにかく緊張してました 。(笑)

今だったらテレビ局とか「興味はあるけど全然分かりません」っていうところに聞かれることはありますけど、当時は全くなかったので。それまではスケーター同士でしか会話したことがなかったし、特有のスラングもあるから、使わないで話すのが難しいなって思ってました。

マ:むしろ私はそこが聞きたかったんだけどね。

村:でも最初はあえて「スケボーで"成功"した時に」って言って、使ってなかったですよね。「スラングもたくさんあって、メイクっていう言葉は、スケボーで技を“成功”させることですよ」って徐々に伝えていったんですけど、ビックリするのが、今やマキさんのほうが詳しいんですよ!

マ:みんなが丁寧に教えてくれたから。

90年代カルチャーの洗礼

村:多分漫画家っていうのに興味があったんだと思います。それまではスケートボードって中小出版社の専門誌くらいしか取り上げられてなかったのが、いきなり講談社、しかもヤンマガなんていう話になったので。

しかもあまりいいイメージがないというか、先輩達は親にも「いつまでスケボーなんてしてるの⁉」って言われてましたし、何で興味持ったんだろう!? しかもこんなキレイな女性が? って、最初は?マークだらけでした。

マ:実はもともとやりたかったんだよね。でも私は’90年代のストリートカルチャー全盛期の世代だから、ちょっとの男の子しかやってない、すごく敷居の高い世界っていう感じだったの。

村:それで手が出せずじまいだったんですか?

マ:とりあえずAIRWALKのスケシューを買ったんだけど、その日に盗まれるっていう洗礼を受けて、やっぱり無理なんじゃないかって……。でもスケボーを題材にした映画を見ると、またやりたいなってなるんだけど、当時は可愛い女の子の彼氏が彼女に教えるくらいしか入り口がなくて……、そこでまた無理かなって思ったり。そんな諦めをずっと繰り返してたんだ。

やり残したことは「スケートボード」

村:なんでそこから漫画を描くようになったんですか?

マ:キャリアを重ねて漫画が忙しくなってきた頃に、やり残したことはないかな!? と思ったら、やっぱりスケボーがやりたくて。

でも時間をまとめてとるにはどうしたらいいんだろう!? って考えた時に、「漫画で描く」なら休みももらえるし、スケボーもできるからベストな選択だったんだ。

当時はオリンピック競技化が決まったくらいの頃で、インスタでもガールズスケーターのアカウントが増えてきて敷居も下がってきてたし、スクールもいっぱいあるようだっていうのに気付いて、お台場のH.L.N.Aのスクールから始めたんだよね。40歳くらいの人が多いクラスもあって勇気付けられたし、「もっと多くの人にスケボーを紹介したい!」って始めた感じかな。

村:でもスケボーって絶対に思ったより難しいじゃないですか⁉ 続かなかったらどうしよう……、とか思わなかったですか?

マ:その頃はスケボーやりた過ぎて、むしろ全然漫画描きたくないってなっちゃってたかな。お台場のスクールは水曜と土曜は必ず行って、土日も余裕があれば北千住のムラサキパークに行って。他にもコソ練でYagoとか、八潮北とか行ってたよ。でもストリートは1人公園でやってたら、「ごめんなさい。本当にやめてもらえますか」って近くの住人の方がいかにも迷惑そうにやってきたのがトラウマで……。結局パークでしかやってないんだけど、漫画は1年半ほとんど描いてなかったな。

タイトルの由来

村:あとタイトルも相談してくれましたよね。「スケーターならではのスラング、何かない?」って。それでキックアウトとかメイクとか、もちろんスケッチーも含めていろいろ挙げて、せっかくなら『SLAM DUNK』みたいな、キャッチーなのが良いよねって。

マ:当時は『SLAM DUNK』って知らない用語だったしね。あと『スケッチー』の主人公たちが、社会的にイケてない子ってイメージだったから、カッコいいというよりは、ちょっとイケてないワードのほうがいいかなって思ってて。

スケッチー(Sketchy)は、トリックをメイクしたけど完璧じゃなくて微妙…とか、ズルい、イケてない人って意味なんだっていうのを知って、世間的にも知られてない言葉だったから、いいなとは思ってたんだけど、誌面に載るギリギリまで迷ってて。スケッチーガールみたいに、言葉を組み合わせることも候補に入れてたんだけど、やっぱりシンプルな方が良いかなって感じで決めたんだ。けど漫画の内容ともリンクしてるし、今は良い決断だったなって思ってるよ。

ー作中にも村井さんをモデルにしたキャラクターが出てるんですよね?

マ:はい。ゆりゆりと同じ立場で、ガールズスケーターのまとめ役として「まりりん」という女の子を登場させてます。私の中でゆりゆり以上にガールズフィルマーがハマる人はいなかったので、明るくて面倒見が良いキャラクターをそのまま落とし込んだんです。ゆりゆりのことを知ってる人は、みんな「まりりん」が誰かはわかってると思います。

村:初めて見た時はめちゃめちゃ嬉しいのと同時に、照れくさいというか、これでいいのかな!? って思いました。フィルマーは裏方の立場だし、みんな興味あるのかな!? って。でも「スケッチー見たよ! あれってゆりゆりだよね!? 」とか、男の人も「リアルで良かった」声をかけてくれたのがすごく嬉しくて。結果的には裏方が主人公の1人として出るからこそ、面白いストーリーになってるのかなって思いましたし、フィルマーという存在を世間に知ってもらう良い機会になったかなって。

『スケッチー』でも現実世界でも裏の主人公!?

マ:うれしい! でもゆりゆりはDVDを作った時も制作者で出てるから、そもそも表に出てる子だと思ってたよ。

村:それは私が映像を撮るだけじゃなくて撮ってもらいたい。あわよくば私が撮ってる姿を見て、やってみたいって人がいればいいなくらいのスタンスでやってるからだと思います。

例えば「ゲストで」っていわれても、昔は撮る側じゃなくて滑る側でしたし、コンテストにも出てました。海外ではフィルマーとして呼ばれたりもしましたけど、そんなにフィルマーってすごいのかな⁉ って思うぐらい胴上げされたり讃えられる感じだったから、私は「出てる人が凄いんだよ⁉」ってずっと思ってたんですよね。

マ:でも『スケッチー』の中でのまりりん、いわゆるゆりゆりのキャラっていうのは、裏の設定では一番の主人公だと思っていて。2巻からずっとまりりんの一編が出てくるけど、撮りたいと思った女の子のガールズスケーターの物語が始まっていくでしょ⁉

私が最終巻の表紙をまりりんにしたのも、裏の一番の主人公だと思ってるからで、終わってみたら彼女の話でしたみたいな気持ちもあって。

「憧子」は、漫画を読んでくれる読者の後押しになったらいいなと思って設定はしたんだけど、やっぱりスケートボード、ガールズスケーターとずっと向き合ってきたのはまりりんだなって思ったから、最終的にはすごく大事なキャラになったんだ。

ゆりゆりに出会えなかったら、こういう裏設定もなかったし、漫画の深みも出なかったと思ってるから、ゆりゆりとの出会いはすごく重要だったよ。

最高だった海外へのスケートツアー

ー次に取材中のエピソードについて聞きたいのですが、なにか印象的だったことはありますか?

マ:メルボルンに行ったことですかね。1巻の冒頭で、憧子が1人海外っぽいところを滑ってるんですが、1巻から6巻まで、それぞれ表紙のキャラクターのちょっと未来のビデオパート的なイメージの7ページを描いてるんです。それで第1話で描くに当たって、海外っぽいところがいいなと思ったのでゆりゆりを誘いました。

村:すごく楽しかった! ちょうど友達がスケート留学行ってたからモデルになってもらって街を回りましたよね。

マ:スケートビデオの試写会も楽しかったし、なんていってもストリートの撮影! 通りすがりの外国の人が「何やってんの?」って気さくに話し掛けてくれて、国境なんてないんだなって思ったし、スケートボードの良さ、スケーターの生活がギュッと詰まった旅だった気がしたよ。ゆりゆりは何かある?

どんどん"ガチ"なスケーターに

村:マキさんが、だんだん街をスケートパークにしていったしゃべりが。(笑)

最初は普通に歩いてた場所を、「これスケボーやれるね!?」とか、「この跡、スケーター?」って聞いてくるようになって、だんだん「これ良さそうじゃない!?」に進化して、最終的には「やば! ココならこれがいいかも」って、トリックの想像するくらいのスケーターになってて。

マ:ゆりゆりが「縁石が黒ずんでるのはワックスを塗って滑ったからで、育ててる証拠なんですよ」とか、スケーターの気配がするみたいなことを教えてくれたからだよ。

村:マキさんも勉強熱心というかすごく楽しそうでしたし。もちろん私も楽しかったんですけどね。でもそこまで没頭すると、描く前と描いた後でスケボー観みたいなものに変化とかあったんじゃないですか?

マ:90年代に滑ってた人がとにかくうらやましくなっちゃってさ。最近も『mid90s』とか、90年代のシーンを取り上げてる映画を見ると、もうちょっと早くやってればよかった! って。歴が長いと自然に「あそこ良かったよね」とか、今はないパークやスポットの話が出てくるから「へえー」ってなっちゃうし、そういう話題に気付くと食いついてる自分がいるんだよね。

<後編へ続く>

撮影:吉田佳央

フリーランスフォトグラファー/スケートボードジャーナリスト

1982年生まれ。静岡県焼津市出身。高校生の頃に写真とスケートボードに出会い、双方に明け暮れる学生時代を過ごす。大学卒業後は写真スタジオ勤務を経たのち、2010年より当時国内最大の専門誌TRANSWORLD SKATEboarding JAPAN編集部に入社。約7年間にわたり専属カメラマン・編集・ライターをこなし、最前線のシーンの目撃者となる。2017年に独立後は日本スケートボード協会のオフィシャルカメラマンを務めている他、ハウツー本も監修。ファッションやライフスタイル、広告等幅広いフィールドで撮影をこなしながら、スケートボードの魅力を広げ続けている。Instagram:@yoshio_y_

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