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近隣トラブルの解決は、背後に潜む孤独感と不安感の理解から  見方を変えれば答えも変わる

橋本典久騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授
(提供:イメージマート)

老病死別から老病孤死へ

 健全な生活を送るために必要不可欠なものとして、昔は衣食住が挙げられた。しかし、現在はこの言葉は死語に近く、通常は誰もその必要性を意識することすらないであろう。むしろ無駄や飽食の廃絶の方が重要不可欠な問題である。

 では、現代人の生存にとって最も切実な問題とは何であろうか。避け得ない人生上の苦痛として「老病死別」という言葉があるが、しかし、現代人にとって苦悩となるものは、一つが入れ替わって「老病孤死」ではないかと思う。すなわち、老い、病、孤独、死の4つの苦悩である。年老いて病に倒れ、見取るものなく孤独の中で死んでゆくという状況は、豊穣の現代社会を生きている人間にとって、一番想像したくない未来ではないだろうか。

 この4つの苦悩の中で、現代で特に際立ってきたのが孤独の存在であろう。老いと病と死は、時代を問わず否応なしに訪れる不幸であるが、孤独は、現代社会が新たに人間にもたらした最大の苦悩である。古代の農耕社会に暮らした民族では、集団生活が生存と生活の基本であり、村社会の慣習的煩わしさを感じることはあっても、その社会の中で孤独を感じることは村八分でもない限りはありえないことだった。しかし、現代人はその真逆の世界に生きており、多くの人が常に孤独を感じながら生きている。

 社会に蔓延しているこの孤独感が騒音トラブル、近隣トラブルの発生を後押しする。老人の過激な行動を扱った「暴走老人(藤原智美著、文藝春秋刊)」でも、老人たちを取り巻く孤独感、孤立感が暴走の一つの要因となっていると次のように指摘している。「孤独という感情は、独り静かに沈潜しているばかりではない。私たちは往々にして静的なイメージを抱きがちである。だがその表出はときに暴力的であり、また反社会的行為としてあらわれる。隣人同士の摩擦も、多くがその背景に孤独感を漂わせているのは偶然ではないだろう。」

 孤独感が暴力性を醸成した事例をあげればきりがなく、秋葉原での無差別殺傷事件などが最近の代表的な例であろう。近隣トラブルでも同様であり、代表的な奈良の「騒音おばさん」の事例でも、被害者意識と共に孤独感の存在を感じさせる。隣の夫婦や自治体の職員、地元警察、さらには面白おかしく騒ぎ立てるワイドショーのテレビ局を相手に孤軍奮闘する姿に、「騒々しさの中の孤独感」を感じてしまう。地域からも孤立し、自分の言い分が全く理解されない孤独感、それらが行動を激化させ、そして、闘争の高揚感は一時的に孤独感を忘れさせる。

 同じマンションに住む女性に無言電話をかけ続けて重度のストレス障害を与えたとして、傷害の罪に問われた生駒市の無職の女(当時33歳)、彼女はこの事件で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けたが、動機として「2年ほど前に声をかけたら無視された」と供述していた。一見、狂気のように見える振る舞いの裏に、深い孤独感を思わせる事例は枚挙にいとまがない。それゆえ、社会は対応を間違ってはいけない。近隣トラブルに対処する方法は、闘うことでも、処罰することでもなく、孤独感を解消することが真の対応になる場合があることも忘れてはいけない。

 孤独感は、心理学上の尺度として定量的測定評価が可能である。UCLA孤独感尺度や日本人研究者によるLSOという孤独感尺度などがあり、個人の孤独感を具体的に測ることができる。しかし、現代社会の孤独感は単なる個人の状況としての問題だけでなく、孤独感を感じざるをえない社会の様相が基礎的要因として存在し、その影響が社会の中の最も鋭敏な部分に反映して生じていると解釈すべきである。仮に社会全体の孤独感尺度を時代的変化として測定できたなら、以前と較べて大幅な尺度値の悪化が観測できることだろう。社会心理学者の取り組みを是非期待したい。

不安感が騒音トラブルを引き起こす?

 騒音トラブル、近隣トラブルに関係するもう一つの社会心理的要因として不安感が挙げられる。藤原は先の著書「暴走老人」の中で、人々が持ち始めた社会の中の暗黙の了解を「透明なルール」と呼んだが、これに習って、社会全体を覆っている漠然とした不安感を筆者は「透明な不安感」と称している。この透明な不安感の存在も現代社会の一つの特徴である。

 戦前戦後の環境などと較べれば、生活を営む上においても、将来状況の見通しにおいても不安感を生む要素は格段に改善されているはずであるが、社会全体の透明な不安感は以前より強まっているように感じられる。すなわち、老病死別の目に見える不安感は時代とともに改善されているが、現代において新たに生まれてきた孤独感という要素が、社会全体に何か捉えどころのない不安感をもたらしている。この透明な不安感が騒音トラブルや近隣トラブルの増加につながっていることは社会統計からも実証される。東日本大震災の仮設住宅で行った筆者らの調査でも、不安感を強く感じている人ほど隣近所からの音をよりうるさく感じるという明確な相関関係が確認された。これは仮設住宅だけの話ではないだろう。また、コロナ禍が始まって以来、騒音苦情は3割も増加した。世の中のトラブル要因に占める透明な不安感のウエイトは決して小さくない。

 防音性能が格段に向上しても騒音トラブルが減らないどころか、増加傾向にある。2014年以来、騒音苦情が典型7公害の中でトップである。社会環境や生活環境の向上だけを目指しても近隣トラブル防止の効果は十分ではなく、人々の孤独感と不安感を払拭できる社会作り、すなわち人と人のつながりを重視した社会作りを進めなくては本来の目的は達し得ない。ソーシャル・キャピタルの豊かな社会が必要なのである。社会心理としての孤独感と不安感は、犯因性騒音環境としての閉鎖環境を形成し、更には、個人の被害者意識を生む土壌にもなっていることを考えれば、その影響は限りなく大きい。

騒音問題総合研究所代表、八戸工業大学名誉教授

福井県生まれ。東京工業大学・建築学科卒業。東京大学より博士(工学)。建設会社技術研究所勤務の後、八戸工業大学大学院教授を経て、八戸工業大学名誉教授。現在は、騒音問題総合研究所代表。1級建築士、環境計量士の資格を有す。元民事調停委員。専門は音環境工学、特に騒音トラブル、建築音響、騒音振動、環境心理。著書に、「2階で子どもを走らせるな!」(光文社新書)、「苦情社会の騒音トラブル学」(新曜社)、「騒音トラブル防止のための近隣騒音訴訟および騒音事件の事例分析」(Amazon)他多数。日本建築学会・学会賞、著作賞、日本音響学会・技術開発賞、等受賞。我が国での近隣トラブル解決センター設立を目指して活動中。

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