樋口尚文の千夜千本 第15夜 「ミンヨン 倍音の法則」(佐々木昭一郎監督)
圧倒的な熱を帯びた風狂の炉心
この時代に「天才」であることは、無理難題である。今どき稀な「天才」感を発散させるのは、23年ぶりの新作『リアリティのダンス』で喝采を浴びるホドロフスキーぐらいだろうか。そんなホドロフスキーでさえもドキュメンタリー『ホドロフスキーのDUNE』を観れば、わがまま放題の夜郎自大な「天才」とは大きく印象を異にする”営業マン”ぶりを発揮していたのが驚きであった。さて、私たちが映画と甘酸っぱい出会いを始めた思春の頃、多くのシネフィル青少年がハシカのようにその作風に罹患した「天才」型作家がいた。佐々木昭一郎その人である。佐々木昭一郎は映画監督ではなく、テレビディレクターであったのだが、1970~80年代にかけて一部の突出したプログラム・ピクチャーを除けば概ね力を失っていた邦画各社の映画作品よりも、ずっと刺激的な挑戦作を放ってわれわれを釘づけにした。
なぜ佐々木昭一郎が「天才」型であったのかといえば、ラジオドラマの傑作群を手がけた後にテレビドラマの演出家として生み出した数々の作品が、いずれもテレビドラマ史から隔絶された地点に孤高に屹立する感じであって、しかも佐々木自身がその演出作法を語る著作「創るということ」であの特異な佐々木ドラマがいずれも天啓のごとく降ってくるものだと記していたりするものだから、いやが上にもその「天才」感が高まるのであった。折しも映画、美術の論壇では蓮實重彦や宮川淳が今や全ての作品は”引用の織物”だと説いて熱烈に支持されていた季節にあって、佐々木は自らが「天才」的直観でオリジナルな作品を生みだす芸術家であることを表明し、自分と並ぶ天才は小津とジョン・フォードだと前掲書で豪語している(!)。
ああ、なんという我田引水、牽強付会、時代錯誤・・・・と、ある意味その映像作品よりもインパクトがあった著作「創るということ」を読み進めながら、私は茫然とした。いや正確にいえば呆れかえった。それまでに発表された「四季・ユートピアノ」あたりまでの作品から想像するに、佐々木昭一郎は俗世から解脱したガラス細工のごとき感性の純真な人なのだろうと思いきや、この著作には自らの「天才」型創作をめぐる自負のほか、芸術祭大賞を獲ったそばから自らに朝ドラのフロアディレクターを命ずるNHKという組織への呪詛や自作を酷評した新聞記者に対する怨念といったたぐいの感情が渦巻いていて、私は自分が勝手に思い描いていた佐々木像との余りのギャップに閉口した。
しかし今考えても面白いなと思うのは、かくも気高くとことん偏屈で、俗世への恨みから多分に屈折した雰囲気にまみれた感のある佐々木昭一郎という人をこの時全く嫌いになれなかったし、むしろ応援しようという気持ちに駆られたということである。というのは、当時の記号論、表象文化論華やかなりし相対化の時代に、ここまでイノセントに自らの「天才」的直観を絶対的価値として標榜してやまない佐々木昭一郎の尊大さ、倨傲さが、前世紀からタイムスリップしてきた大芸術家のごとくに映り、そのほとんど劇画チックなヒーローぶりが、素朴な熱気から切れて息苦しさを増してきた芸術史観に風穴をあけてくれるかのごとく思われたのであった。
佐々木昭一郎は、その特異なるヒーロー性によって心酔する若者を増やしていたが、私にとって佐々木ドラマが特別なものであったのは1969年の「マザー」から1980年の「四季・ユートピアノ」までの季節であった。この時代の佐々木昭一郎は、明らかにテレビドラマのオーソドキシーに対する破壊者であった。私は幸運にも「マザー」以来全作品をリアルタイムで観ているのだが、さすがに偶然に「マザー」を観たのは7歳ぐらいの頃で、作家の名前など知る由もなかった。ところがこの作品の細部は鮮烈な印象として残っていて、後にこの作品を愛宕山のNHK博物館でひっそり催された伝説の上映会(佐々木氏も、おなじみのヒロイン・中尾幸世さんもいらしていた)で再見した際に、初めて”ああ、あのトラウマに近いかたちで幼い自分の記憶に刷りこまれた映像は佐々木昭一郎のドラマ処女作だったのか!”と知って戦慄したのだった。
そして「マザー」に始まって71年「さすらい」、74年「夢の島少女」、76年「紅い花」、80年「四季・ユートピアノ」と新作に出会い続けた私は、そのいつも眺めている小さなブラウン管(という言葉ももはや年代物だが)から猛烈な違和感を放ちながら流れている試みの数々に瞠目させられっぱなしであった。そんな佐々木ドラマとの蜜月は、「四季・ユートピアノ」で確立された手法を敷衍してヒロインの中尾幸世が世界の川を探訪して人と音楽にふれる「川」シリーズが変奏されてゆく80年代に入ると急激に褪色していった。もちろん「川」シリーズは作家的成熟を映すものだが、私には前世紀の芸術家よろしき「天才」佐々木昭一郎に、小さく貧しく定式におさまるばかりのテレビドラマ状況に向けていつまでも青臭いアンチテーゼを突きつけ続けるヒーローであって欲しいという身勝手な願いがあったのだろう。
ハシカのごとき熱は冷めてももちろん特異さをみなぎらせ続ける佐々木ドラマは全てオンエアで確認し続けたのだが、そんな私には数年前に佐々木が往年のスタッフとともに映画を撮ったのに(岩波ホールの新作ラインナップにも入っていた)あれこれ事情があって途中でそれに手をつけることをやめたままらしいという、またしても「天才」的(!)な噂を聞いて、つい心が躍った。そしてその作品は観たくもあり、また観ることが心なしか躊躇されるような気持ちもあったのだが、奇跡的に完成して公開に漕ぎつけたというので、そそくさと試写に馳せ参じた。
観た感想をひとことで言えば、20年ぶりに作品を撮った78歳の佐々木昭一郎は、頑ななまでに変わっていなかった。これがテレビではなく映画であるとか、そんな違いにはおかまいなしに、とにかく変わっていなかった。いや本当にこれは映画なのか、テレビなのか、はたまた映像なのか。かつての回顧上映に「佐々木昭一郎というジャンル」と名づけた人は絶妙だったと思う。佐々木作品は、そんな映像の領域がどうこうという以前に佐々木がその「天才」を根拠に語り続ける膨大なモノローグであった。そしてこのたびは、齢を重ねていっそうかっての佐々木ドラマを成立させていた因子やたたずまいがエッセンスとしてもろに炉心をあらわにしたおもむきである。かつての佐々木ドラマの愛すべき水先案内人・A子にかわって、ソウルに住み、日本文化になじみ、モーツァルトに耽溺する若い女性・ミンヨンが、ある第二次大戦下の一葉の写真に導かれて、その暗い時代を空想のなかで追体験する。その旅路を紡がせる動因となるのはモーツァルト「ジュピター」から「紺碧の空」「箱根八里」を経て「リンゴの唄」「アメージング・グレース」に至るジャンル横断的な楽曲の数々である。
そこには通常の心理的な因果律があるのではなく、とにかく「俺が掟だ!」と言わんばかりの佐々木の「天才」的直観が、いかにも嬉々と、自信満々に、ちょうど同世代の大林宣彦監督が徹底した自己言語で「現在」を「戦前」として若者に追体験させることにも似た主題と表現を突き詰めてみせる。その圧倒的な確信とエネルギーに、観る者は呆然とすることだろう。長年の佐々木ファンらしき見手もそんな感じであったから、これで佐々木作品を初体験する若者など疑問符の嵐であろう。だが、ミンヨンがレコード店でモーツァルトを探す場面が「四季・ユートピアノ」の、楽隊のパレードが「マザー」の、さらには川を流れるずばり紅い花が「紅い花」の再演であるように、この新作は過去の佐々木ドラマと地続きであり、そのドラマツルギーがとにもかくにも佐々木昭一郎の「天才」的啓示のみによって生成されているのは昔から全く変わっていないのである。ただ、このたびのように作品が「映画」として大スクリーンで映されるという巡り合いのかたちによって、たまさかその強烈なる恣意性が際立ったまでのことである。私はかつて「川」シリーズで佐々木が変わったような気がしていたが、実はジョン・デンバーの唄にマーク・トウェイン的な川めぐりがかぶさる「紅い花」(つげ義春なのに!)の時分から、実は佐々木は全く変わっていないのかもしれない。
そんな孤高というよりも頑なな風狂の詩に、その健在に、処女作以来の伴走者である自分はいかなる言葉を手向けるべきだろうか。私は試写数日を経てあいかわらずさまざまな思いゆえに手を拱くばかりだが、佐々木昭一郎によく似た母の写真をモチーフにして自伝的な色彩が濃いこのたびの作品でひとつ確信したことがあった。「川」を探訪するA子から本作のミンヨンに至るまで、佐々木ドラマのヒロインは常に清らで性の香りがなく、宗教的とまでは言わないが常に強く、屈託ない笑顔で生きている。そういった年若いヒロインたちを起用することで、もしや佐々木ドラマをロリータ志向のものと考え違いしている評者やファンもいるはずだが、佐々木が彼女たちに求めているものは昔も今も、あくまで聖母なのである。はしなくも本作は「マザー」に捧ぐという献辞で〆られて処女作への円環的回帰を果たすのだが、彼女たちはみな、佐々木のお母さんなのだ。これは善し悪しではなく、宮崎駿の描くヒロインが常に現実離れしたイノセントな美少女であるのと同じくらい、佐々木にしみついた作家的な好みであり暖簾の色なのだ。