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おぼえてますか?イエメンのこと

髙岡豊中東の専門家(こぶた総合研究所代表)
(写真:ロイター/アフロ)

イエメンのことが話題にならない仕組み

 2011年以来の政治の混乱や紛争で、中東諸国の人民の多くが本来そんな必要が全くない負担や犠牲を強いられている。その中でも、最たるものがイエメン紛争である。中東各地に「最悪の人道危機」がいくつもあるが、筆者が「最悪中の最悪」を選ぶのなら、それは間違いなくイエメン紛争だ。ただし、それが意味するところは、シリアのような他の紛争の被災者が被っている犠牲や苦難がイエメン人民のそれに比べて軽いという意味ではない。シリアについては、常に誰かが紛争当事者が発信する情報を視聴し、拡散し、何かの形で気にしてくれるが、イエメンではそうしてくれる人類はほとんどいないからこそ、イエメンが「最悪中の最悪」なのだ。

 なぜイエメン紛争とその被害に対し、世間が関心を持たないかについては、すでに先行のいくつかの稿で検討した。それらを総合していうならば、イエメンのことが話題にならないのは、紛争当事者、報道する側(フリーも含む)、視聴者にまたがる構造的な理由によるもので、ここで多少筆者が駄文を書いたところで解消する問題ではないということだ。その構造を要約すると、以下の通りになる。

1.紛争当事者の一部、または全部に、「視聴者に読ませる」形で情報を発信する技量と経路と資源がない。イエメンには、白いヘルメットの集団もツイッター少女もいなければ、紛争当事者がプロパガンダ目的で撮りためた動画を「ドキュメンタリー映画」として国際的な賞を与えてくれる人も、当事者が書き溜めたプロパガンダ日誌を出版・翻訳してくれる人もいない。

2.紛争についての情報に「勧善懲悪ストーリー」が混ぜ込まれ、視聴者が情報を得て分析することが阻害されている。紛争当事者の片方だけを蔑称で呼ぶことがその最たる例である。このような状況になると、「善良な」視聴者の一部に、紛争当事者の「悪」の方を「どこかの誰かが(「国際社会が」という言い方がよくされる)」軍事力を動員して皆殺しにすれば紛争は解決する、という不思議な意見を持つ者が現れる。いずれの紛争当事者でも、その最末端の構成員や彼らの制圧下にある住民の多くは、紛争当事者の政治目的に共鳴しているわけではなく、武力で制圧されているだけか、自分の生活や生命を守るため忍従を強いられている人々である。「悪」を殲滅する過程で、そうした弱々しい住民たちが「悪の支持者」のレッテルを張られてリンチと殺戮のマトにかかる可能性に思いが至らないからこそ、「どこかの誰かに悪を殲滅してほしい」と妄想することができる。

3.越境移動(この場合は避難)の能力と行き先の問題。2015年夏に、シリアの移民・難民がEU諸国に殺到した際、実際にそうしたシリア人は紛争被災者の1割にも満たないにもかかわらず、EU諸国は「難民危機」と称する恐慌状態に陥った。この「危機」は、長期的に見ればEU諸国とその人民が自分たちこそがイスラーム過激派を放任してシリア紛争を激化・長期化させた原因であると自覚する契機となった。しかし、イエメン人民はそのような形で先進国の人民の前に姿を現すことができない。歴史的に見れば、現在のイエメンに住む人々は海洋を越えて様々な場所で交易し、移住する人たちである。しかし、現在イエメン人民は、先進国で問題になるような規模で外国に避難することができない。

実際のところ、どうなの?

 さらに困ったことに、現在のイエメン紛争については、例えプロパガンダだとしても紛争全体の被災者数・犠牲者数を包括した集計すら見当たらない。2600万人はいるはずのイエメン人民の8割以上が栄養失調状態であると言われて久しい。コレラのような「旧型」の疾病が度々流行し、大勢が感染・死亡している。効率的に支援活動や援助提供を行う努力や、支援に不可欠な停戦を実現するための努力が頓挫・停滞していることも、本邦ではまず知られていないだろう。

 そうした中、イエメンは中国で発生した新型コロナウイルス禍にさらされようとしている。この件については、極めて危機的な状況にあることが日本語でも報道されている(例1例2)。基本的な水も食料も設備もない、という大きな障害はあるが、イエメン紛争の諸当事者はサナアに拠るアンサール・アッラー(俗称:フーシー派)も、一応アデンにあることになっているハーディー前大統領派も一応対策をとっている。ただし、どの当事者の行動も新型コロナウイルス対策としてはいかにも心もとない。しかも、南イエメンの空港も港湾も、本当はハーディー前大統領派が管理しているわけではないので、彼らの措置や対策の実効性も実に心細い。国連などは対策のための停戦を呼び掛け、一応両派とも賛意を示したが、長年の紛争故の敵対心・不信感がもとで、互いに「相手の出方次第」という留保をつけることを忘れなかった。

 また、イエメン紛争にはイラン、サウジ、UAEなどの諸国が当事者として人員を送り込んでいる。イランを筆頭に、いずれも新型コロナウイルスの感染が広がっている国々なのだが、イランの革命防衛隊や各国の軍・工作員を通じて新型コロナウイルスがイエメンに持ち込まれているのか、各組織の人員に発症者や死者がいるのかについての問いに、各当事者は口が裂けても答えないだろう。

おわりに

 新型コロナウイルスの惨禍が世界中でさらに深刻化すれば、イエメン紛争の諸当事国も「それどころ」でなくなって停戦機運が出るかもしれない。しかし、それでも慢性的な栄養失調と伝染病の蔓延に苦しむイエメン人民がそのまま放置されるだけの結果に終わる恐れが残る。筆者としては、援助する側が日常生活を犠牲にし、消耗し尽すような援助が健全だとは思わないし、日本を含む先進国の生活水準を著しく下げて公正や平等を達成するよう説得されてもそうするつもりはない。とはいえ、昨今のいろいろなできごとにより、身近であまりにも多くの時間、労力、お金が浪費されているのを見るにつけ、少し位イエメン人民のために使ってあげればいいのに、とも思う。

中東の専門家(こぶた総合研究所代表)

新潟県出身。早稲田大学教育学部 卒(1998年)、上智大学で博士号(地域研究)取得(2011年)。著書に『現代シリアの部族と政治・社会 : ユーフラテス河沿岸地域・ジャジーラ地域の部族の政治・社会的役割分析』三元社、『「イスラーム国」がわかる45のキーワード』明石書店、『「テロとの戦い」との闘い あるいはイスラーム過激派の変貌』東京外国語大学出版会、『シリア紛争と民兵』晃洋書房など。

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