新潟女児殺害事件で無期懲役 なぜ事件は「その場所」で起きたのか
いわゆる新潟女児殺害事件の控訴審で、無期懲役が言い渡された。
事件の被告人は、2018年に新潟市西区で、下校中だった小学2年の女児を背後から軽乗用車で衝突して連れ去った。そして、わいせつな行為をした上で首を絞めて殺害し、さらに、遺体をJR越後線の線路上に遺棄し、列車にはねさせた。
クライシス・マネジメントの呪縛
事件発生当時、「防犯ブザーを鳴らそう」「大声で助けを呼ぼう」「走って逃げよう」という提案が飛び交った。しかし、これらはすべて襲われた後のことであり、犯罪はすでに始まっている。つまり防犯ではない。危機管理の言葉を使えば「クライシス・マネジメント」であり、「リスク・マネジメント」ではないのだ。
襲われないためにどうするかという「リスク・マネジメント」に比べ、襲われたらどうするかという「クライシス・マネジメント」では、子どもが助かる可能性は低い。なぜなら、襲われたら恐怖で体が硬直してしまう可能性が高いからだ。
さらに、「クライシス・マネジメント」は実態にも合っていない。というのは、子どもの連れ去り事件のおよそ8割は、だまされて自分からついていったケースだからだ(警察庁「略取誘拐事案の概要」)。宮崎勤事件も、神戸のサカキバラ事件も、奈良女児誘拐殺害事件も、すべてだまして連れ去ったケースである。「クライシス・マネジメント」では、こうした事件は防げない。
子どもは弱者
そもそも、「犯人と対決する」という「マンツーマン・ディフェンス」を子どもにさせるのは酷だ。大人の無責任と言ってもいい。対照的に、海外では「場所で守る」という「ゾーン・ディフェンス」が浸透している。学校や公園も、ゾーニング(すみ分け)によって、コストとリスクを高め、犯罪者に「あきらめ感」を持たせている。
「ゾーン・ディフェンス」を重視する犯罪学の理論は「犯罪機会論」と呼ばれている。犯罪機会論は、場所の領域性(入りにくさ)と監視性(見えやすさ)を高めることによって、犯行のコストや逮捕のリスクが増せば、たとえ犯行の動機をなくせなくても、犯罪は実行されないと考える。
また、「マンツーマン・ディフェンス」は個別的防犯なので、格差や「ばらつき」も生じやすい。しかし、「ゾーン・ディフェンス」は集団的防犯なので、無理なく、無駄なく、犯罪機会を減らせる。つまり、持続可能性(サステナビリティ)に優れた取り組みなのだ。
「リスク・マネジメント」と「ゾーン・ディフェンス」を取り入れた教育手法が「地域安全マップづくり」である。地域安全マップとは、犯罪が起こりやすい場所を風景写真を使って解説した地図。具体的に言えば、(だれもが/犯人も)「入りやすい場所」と(だれからも/犯行が)「見えにくい場所」を洗い出したものだ。その目的は、景色の中で安全と危険を識別する「景色解読力」を高めること。人はウソをつくが、景色はウソをつかないので、安全と危険は、人ではなく、景色を見て判断すべきなのである。
入りやすく見えにくい場所
このような視点から、新潟女児殺害事件の誘拐現場の景色を解読してみよう。
まずこの現場は、ガードレールがない「入りやすい場所」である。車を使った犯罪者なら、この景色を見て、「だますにしろ、拉致するにしろ、車に乗せるのは容易」と思うに違いない。幹線道路に近い「入りやすい場所」でもあるので、誘拐した後、「あっという間に遠くへ逃げられる」とさえ思うかもしれない。
またこの道は、人の視線が届かない「見えにくい場所」だ。片側は、線路が続き、その先の住宅からの視線は期待できない。反対側にはアパートがあるが、すべて空き部屋だったので、窓からの自然な視線が路上に届くことはない。土地勘のある犯罪者なら、この景色を見れば、「だますにしろ、拉致するにしろ、犯行が目撃されることはない」と考えるだろう。
死角・人通り・街灯はNGワード
ここで注意していただきたいのは、この線路沿いの生活道路について、「死角があるから危険」「人通りがないから危険」「街灯が少ないから危険」といった見方は、いずれも不適切・不正確という点だ。
まず、「死角」がなくても危険な場所はある。1990年に、新潟県三条市で下校途中に誘拐された女児が、同県柏崎市で9年にわたって犯人宅に監禁された事件では、見晴らしがいい田んぼ道が連れ去り現場だった。今回の事件でも、線路敷地は、死角にならない場所である。
次に、「人通り」のある道でも、人通りが途切れるタイミングは必ずやってくる。犯罪者はそのチャンスが訪れるまで、普通の住民として振る舞う。人通りのある場所だけに、そこにいても周囲が違和感を覚えることはない。誘拐の主導権は、常に犯罪者の側にあり、いつ犯罪を始めるかは犯罪者次第なのだ。
「人通り」の激しい道でも安全ではない。そこにいる人の注意や関心が分散し、犯罪者の行動が見過ごされるからだ(心理的に「見えにくい場所」)。2006年に兵庫県西宮市で女児が連れ去られ重傷を負った事件では、多くの人が行き交う駅前広場が誘拐現場となった。
逆に、「人通り」のない道でも、そこにたくさんの窓が面していれば、犯罪者は視線をイメージして犯行をためらわざるを得ない。
さらに、「街灯」があるからといって安全というわけではない。そもそも、街灯の機能は「夜の景色」を「昼の景色」に戻すことである。ということは、昼間安全な場所に街灯を設置すれば、夜でも昼の景色に戻って安全性が高まるが、昼間危険な場所に街灯を設置しても、危険な昼の景色に戻るだけなので、街灯が安全性を高めることはない。
要するに、昼間「見えにくい場所」に街灯を設置しても、夜だけ「見えやすい場所」にはならないのだ。にもかかわらず、街灯によって「見えやすい場所」になったと勘違いすると、それまでは暗かったので警戒していた人も油断するようになる。それでは、かえって犯罪が起こりやすくなってしまう。シンシナティ大学のジョン・エック教授も、「照明は、ある場所では効果があるが、他の場所では効果がなく、さらに他の状況では逆効果を招く」と述べている。
意識調査から知識調査へ
以上、新潟女児殺害事件の現場を「犯罪機会論」の視点から分析した。こうした視点を獲得するのが「地域安全マップづくり」である。
事件の悲劇に見舞われた新潟県では、二度と悲劇を繰り返さないという強い思いから、「犯罪機会論」に基づく地域安全マップの普及を強力に進めている。ここでは、2019年に文部科学省委託「学校安全総合支援事業」のモデル校になった新潟県上越市立里公小学校で実施したアンケート結果をご覧いただきたい。
この比較表は、地域安全マップの授業の前と後に、児童と保護者を対象に防犯知識を問うたものである。ここで注意していただきたいのは、このアンケートは、「意識調査」ではなく「知識調査」であるという点だ。この種の調査では、「防犯意識は高まりましたか」と問うことが多いが、これでは意味がない。意識が高まっても、間違った知識のままでは、状況は悪化するだけだ。重要なのは、「意識」ではなく「知識」である。大事なのは、「精神論」ではなく「科学」なのである。
このアンケートを見ると、子どもたちの景色解読力(危険予測能力)が大幅に上昇したことが分かる。というのは、正答率の著しい向上は、正しい知識を大量に吸収したことを意味するからだ。それに引き換え、保護者の知識レベルは、それほど高まっていない。家庭で、子どもから授業の内容を聞いた保護者もいれば、そうでない保護者もいたことがうかがえる。
それはさておき、地域安全マップという地図が、子どもたちのその後の人生にとっても、大きな道標になることを願ってやまない。
なお、地域安全マップの授業内容については、次の動画を参考にしていただきたい。