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父に憧れて騎手となった息子に、父が「見習ってほしくない」たった1つの事とは?

平松さとしライター、フォトグラファー、リポーター、解説者
石神深一(右)、深道親子

父に憧れて騎手に

 父の姿に憧れて、後を追うようにジョッキーとなった石神深道。
 今春、デビューしたそんな息子に「やってほしくない事が、1つだけある」と、父の深一は言う。

父の石神深一騎手
父の石神深一騎手


 「物心がついた時には父が騎手というのを分かっていました」
 2005年10月生まれの深道はそう言う。幼少時、水泳や総合格闘技に興じた後、小学5年生の時、美浦トレセンの乗馬苑で乗馬を始めた。
 「父がハクサン(13年中山新春ジャンプS)で勝ったのは印象に残っているし、アサティスボーイで重賞初制覇(13年新潟ジャンプS、J・GⅢ)をしたのもよく覚えています。『格好良いなぁ……』と思いました」
 中学1年では真剣に騎手になりたいと考え、父に相談した。父の深一が述懐する。
 「『本気なら応援はするけど、甘くないぞ』というのは伝えました」
 結果、意思の固さを確認すると、トレーニングジムを紹介したり、乗馬を見に行ったりと、全面的にバックアップをした。

息子の石神深道騎手
息子の石神深道騎手

 そんな頃、ますます父が輝いて見える出来事があった。
 史上最強の障害馬ともいわれたオジュウチョウサンとのタッグで、大活躍したのだ。
 「週末は自分の乗馬があるので、あまり競馬場へは行けないのですが、オジュウチョウサンが出る時はほとんど見に行っていました」
 ますます父に憧れ、競馬学校に入学した。その間もオジュウチョウサンの長期政権は続いていた。
「競馬学校時代には、中山競馬場での引退式も見る事が出来ました。暗くて寒かったけど終始『凄いなぁ……』と感じたし『騎手デビューをしたらこういう馬に携わりたい』と思いました」

オジュウチョウサンの引退式を見に行った際の石神深道現騎手
オジュウチョウサンの引退式を見に行った際の石神深道現騎手


 自分も早く騎手デビューを果たし、皆に祝福されるようなジョッキーになりたいという気持ちが強くなった。
 しかし、卒業まで1年を切った時、ちょっとした事件が起きた。深道が言う。
 「ベンチプレスのバーベルを足の上に落としてしまいました」
 「骨折したかもしれない?!」と感じるほどの痛みに襲われた。しかし「ここで休むと模擬レースに参加出来ないばかりか、授業を強制的に休まなければいけなくなるかも……」と考えた。結果、教官にその事は告げず、痛みを堪えてそのまま授業に参加し続けた。
 これを知った深一は息子を叱った。
 「馬が相手なので、どれだけ気をつけていても怪我をする時はしてしまいます。また、トレーニング中も腰を痛めたり、筋を傷めたりというのはあるでしょう。それらは仕方ありません。でも、バーベルを足に落とすなんていうのは不注意以外の何でもありません。こういった防げる事故で怪我をするのはダメです。だからこの時は叱りました」
 大事に至らなかったのが、不幸中の幸いだった。お陰で3年間の学校生活を無事に終える事が出来た。そして、今春、夢にまで見た騎手デビューを果たした。

デビューを果たした石神深道騎手
デビューを果たした石神深道騎手

父の助言で勝利

 デビューは3月2日の中山競馬場。この日は5鞍に騎乗したが、残念ながら初勝利はお預けとなった。
 「緊張して、リラックスした状態で乗れませんでした」
 同じ日、深一は小倉競馬場にいた。
 「“落馬”とかよりも“周囲に迷惑をかけないか?”という心配をしながら、競馬場のテレビで見ていました」
 翌週、2人共中山にいる日に、父が勝利。これが通算200勝となると、お祝いのプラカードを深道が掲げた。深一が笑いながら振り返る。
 「周囲から『持て』と言われたようですが、自分としては『僕はいいからお前が早く勝てよ』と思っていました」
 その日は3週間後にやってきた。3月31日の中山第1レース。ザロックに騎乗した深道は先頭でゴールイン。記念すべき1勝目を記録した。
 この勝利を本人よりも喜んだのが父だった。
 「この上ない親孝行をしてくれました。嬉しかったです」
 更に6月1日にはフォローウィンドに騎乗して2勝目を挙げるのだが、これには「父のアドバイスが大きく活きました」と言い、続けた。
 「父から『トモの踏み込みが弱い馬なので、返し馬でしっかり踏み込ませるように……』と助言をもらいました。それに気をつけて乗ったところ、ちゃんと踏み込んで勝ってくれたんです」

石神深道騎手の2勝目となったフォローウィンドのレースは父の助言のお陰だった
石神深道騎手の2勝目となったフォローウィンドのレースは父の助言のお陰だった


たった1つの見習ってほしくない事

 さて、そんな深道に今後の話を伺うと、次のような答えが返ってきた。
 「新人賞はまだ諦めていません。それと、大レースは勿論ですが、まずは父が勝っていない平地重賞を勝ちたいです」
 はるか遠い目標にばかり目を向けていては足元の石ころに躓きかねない。しっかりと足元に目を向ける深道は、やがて遠くの目標にも達すると信じたい。
 最後にもう1度、父・深一に愛息がどうなってほしいかを聞くと、彼は言った。
 「先ほども言いましたけど、馬による怪我は避けられない事もあるから仕方ありません。僕が何度も怪我をしたり、入院したりというのを見ているのに、この世界に飛び込んで来たわけですから本人もその覚悟はあると思います。でも、やってほしくない事、見習ってほしくない事が、1つだけあります。自分の不注意や、競馬以外の例えばプライベートの部分で怪我をしたり、騎乗停止になったり……。それだけはしてほしくありません」

オジュウチョウサンと一時代を築いた石神深一騎手が「見習ってほしくない事」とは?
オジュウチョウサンと一時代を築いた石神深一騎手が「見習ってほしくない事」とは?


 ここで1度深く息を吸った後、再度、口を開いた。
 「僕自身が若い時にそうした経験をしているので、反面教師にしてほしいです」
 深一はその昔、交通事故を起こしている。それも全面的に自分に責任のある事故だった。古い話なので今は知らない人も多いし、本人は反省し、罰も受けたので、ほじくり返したくはないと思った私は、あえて活字にはしてこなかった。
 しかし、かくいう本人がこうコメントした。

 若い時は誰にでもミスがある。でも、反省し、真面目にやり続ければ、やがて憧憬の目を向けられる存在になる事も可能である。そんな事を、身をもって証明した貴方のお父様は立派であると、私からも改めて息子の深道に伝えたい。そして、簡単な事ではないが、深道が父を超えるジョッキーになる事を願いたい。多分、それは父の願いでもあるだろう……。

石神深一騎手(左)と深道騎手親子
石神深一騎手(左)と深道騎手親子

(文中敬称略、写真撮影=平松さとし)

ライター、フォトグラファー、リポーター、解説者

競馬専門紙を経て現在はフリー。国内の競馬場やトレセンは勿論、海外の取材も精力的に行ない、98年に日本馬として初めて海外GⅠを制したシーキングザパールを始め、ほとんどの日本馬の海外GⅠ勝利に立ち会う。 武豊、C・ルメール、藤沢和雄ら多くの関係者とも懇意にしており、テレビでのリポートや解説の他、雑誌や新聞はNumber、共同通信、日本経済新聞、月刊優駿、スポーツニッポン、東京スポーツ、週刊競馬ブック等多くに寄稿。 テレビは「平松さとしの海外挑戦こぼれ話」他、著書も「栄光のジョッキー列伝」「凱旋門賞に挑んだ日本の名馬たち」「世界を制した日本の名馬たち」他多数。

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