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『攻殻機動隊』のヒトブタは「ヒト」か「ブタ」か

石田雅彦科学ジャーナリスト
(写真:アフロ)

 哲学や倫理学には、ヒト(人間)とはいったい何か、という根源的で永遠の問いかけがあるが、科学の進歩によって、コンピュータなどの機械物質や動物とヒトとの境界があいまいになりかねない事態が起き始めている。ネット上では、ヒトの臓器を持ったブタを人工的に作り出した場合、それはヒトなのかブタなのかといった議論が起きている。

政府はヒトブタ研究を認可か

 姿形がヒトそっくり、むしろヒトよりヒトらしく、思考や言動もヒトと区別がつかない人工物質があった場合、それは果たしてヒトなのか、というテーマはSFの世界では長く一般的だった。そんなヒューマノイドやアンドロイド、ヒトモドキが、AIや機械制御、センシング、さらに遺伝子技術の進歩により、現実味を帯び始めている。

 先日、政府の総合科学技術・イノベーション会議(議長:安倍晋三)の生命倫理専門調査会が、ヒトと動物の細胞が混ざった胚(Embryo、多細胞生物の卵割後の発生初期段階の胎児ではない個体のこと)を実験動物の子宮へ入れて育て出産させる研究を条件付きで認めた。

 これは2018年3月29日に出された「『ヒト胚の取扱いに関する基本的考え方』見直し等に係る報告(第1次)〜生殖補助医療研究を目的とするゲノム編集技術等の利用について〜」(2018/11/08アクセス)を踏まえ、文部科学省と厚生労働省の合同会議(第4回)によって文部科学省がまとめた指針改正案、また2013(平成25)年8月1日に出た「動物性集合胚を用いた研究の取扱いについて」(生命倫理専門調査会、2018/11/11アクセス)について文科省の検討を受けた判断となる。

 動物の胚へヒトの臓器の元になる幹細胞(iPS細胞)などを入れ、動物性集合胚を作成するところまでは、これまで生命倫理的にも法的(ヒトに関するクローン技術等の規制に関する法律=クローン技術規制法、特定胚指針)にも認められてきたが、それをブタなどの実験動物の子宮へ戻し、ヒトの臓器を持った実験動物の子を産ませることが限定的ながらできるようになる。

 ようするに、これはクローン・ヒツジ・ドリーのように、これまでにない生命を人工的に作り出す行為だ。クローン技術は、生命倫理の問題もあって各国で規制されてきた。

試験管ベビーとiPS細胞

 だが、自然界にない人工的な生命ということでいえば、体外受精児なども同様であり、こちらのほうは1969年にヒトで体外受精が成功し、1978年に初めての体外受精児が誕生して以来、すでに世界で700万人近い子どもが生まれ、長い歴史と蓄積がある(※1)。不妊に悩む人たちにとって、こうした医療技術は福音であり大きな成果といえるだろう。

 もちろん、体外受精児について、生命倫理の観点から問題視する意見は現在ほとんどない。だが、この技術で2010年にノーベル生理医学賞を受賞したロバート・エドワーズ(Robert G. Edwards)は当時、かなり批判されたという。

 ヒトの胚性幹細胞(ヒトES細胞)が、初めて単離培養されたのは1998年のことだ(※2)。全ての臓器になる可能性を秘めているため、再生医療の研究やその進化発展にとって欠かせない。だが、ヒトの受精卵が大量に必要なため、倫理的に議論の対象になってきた。

 こうした問題を解決したのがiPS細胞(Induced Pluripotent Stem Cell)で、体細胞を使ってES細胞のような分化多能性を持たせることに成功する(※3)。iPS細胞の開発により、代替的なES細胞を作る際の倫理面や拒絶反応などを解決することができ、再生医療研究が制度的に実現する可能性を大きく高めたといえる。

 今回の指針の改正の動きは、iPS細胞の安全性が臨床的に確かめられ、技術的な課題もクリアしつつあるという現状を反映したものだろう。これまでもiPS細胞を利用した再生医療研究は数多くなされている。

 皮膚や角膜、骨などの構造が単純で2次元的な性質を持つ組織について再生医療研究が進んできたが、心臓、肝臓、肺、腎臓、消化器官といった3次元的な臓器そのものを発生させる脱細胞化臓器骨格という組織工学的な技術が確立し(※4)、大きな期待を集めている。

 また、再生医療で問題となる免疫拒絶反応が生じにくくするため、遺伝子型が同じ組み合わせ(ホモ接合体)のiPS細胞を保存(ストック)しておくプロジェクトも進行中だ。このiPS細胞ストック計画のために、カニクイザルという実験動物を使った研究が行われている。

 さらに、再生医療研究でiPS細胞を使ったクローン技術が可能になれば、ブタなどヒトに近い実験動物でヒトの臓器を成長させるようなことができるだろう。

 例えば、腎臓病の患者数は約1330万人、人工透析患者は約30万人と言われているが、身体的精神的に人工透析の負担の大きい透析患者は腎臓の再生医療を心待ちにしている。腎臓を新たに作り出すことができれば、透析患者にとって大きな福音といえる。

 だが、腎臓の再生はかなり難しく、iPS細胞のロードマップでも臨床応用が2025年以降というように最も長期的な分野の一つだ。もちろん世界中で研究が進められているが、問題はいかに腎臓の細胞組織だけを特化して作り出すのかだという。

 そこで、iPS細胞を使ったものとして、主にブタなどの大型の実験動物の胎内でヒトの腎臓を作らせる再生医療研究がある。例えば、腎臓を作ることができなくした動物を遺伝子操作で作り、その動物を仮親としてヒトの幹細胞を子宮へ入れ、自らの腎臓の代わりにヒトの腎臓を作り出すようになった子からヒトの腎臓を取り出す。

 iPS細胞を使った実験動物の研究では、膵臓で成功しているが腎臓ではまだだ。また、iPS細胞とヒツジで、血液を作り出す骨髄の移植の代わりに造血幹細胞を作り出す研究も行われている(※5)。臓器のクローン技術では、こうしたドナーの少ない移植手術に役立てられるという期待も高い。

ヒトブタを出現させないために

 ただ、ネット上で話題になっているように、ヒトの臓器を体内に作り出した実験動物の作成については倫理的な議論もある。これはいわゆるキメラ(Chimera、合体生物)といえ、例えばヒトの脳細胞がブタのような実験動物でできた場合、ヒトの脳を持ったブタが生まれてしまう。

 もちろん、改正指針では膵臓や腎臓などの臓器の研究に限定し、脳細胞や神経細胞などを作らせず、このような事態が起きないような措置をしているとするが、可能性はあるのでヒトの脳を持った生物はいったいヒトなのかブタなのかという疑問が出てくるのは当然だろう。

 生命倫理で重要な課題では、ヒトはいつからヒトになるのかという人工中絶、ヒトはいつから死ぬのかという脳死問題、人工的にヒトを作るヒト・クローン、安楽死や尊厳死も議論となる。また生命倫理は、宗教や哲学、思想などとの関係も無視できない。

 パラレルワールドで近未来の世界観を描く士郎正宗原作の『攻殻機動隊(Ghost in the Shell)』には、大日本技研(後のポセイドン・インダストリアル社)の放射能を除去する「日本の奇跡」、アンドロイドの義体、ネットに脳がつながる電脳、背景に溶け込む光学迷彩、思考戦車のタチコマといった技術が登場する。

 その中に、ヒトへの臓器移植のために飼育されたクローン・ブタ、ヒトブタもいる。これは違法にヒトの脳を持つように改造されていたキメラで、研究施設に対するテロ攻撃を捜査する過程で発覚したという設定だ。

 遺伝子にしても生命の仕組みにしても、まだわからないことだらけといっていい。だが、再生医療、遺伝子治療によって恩恵を受ける患者や家族も多い。

 体外受精児が議論を経て成果を上げたように、利益とリスクのバランスをとり、技術をコントロールしつつ、フェールセーフの観点から危険をできるだけ避けるような対策をとるのは当然だ。また、ES細胞からiPS細胞への技術革新のように、不断の研究開発が大きな影響を与えることもある。

 だが、生命倫理については、政治家や役人、科学者・研究者、専門家にまかせず、一般人や国民を含めた社会全体で考えていくべき問題だろう。

※1:Remah Moustafa Kamel, "Assisted Reproductive Technology after the Birth of Louise Brown." Journal of Reproduction & Infertility, Vol.14(3), 96-109, 2013

※2-1:M J. Shamblott, et al., "Derivation of pluripotent stem cells from cultured human primordial germ cells." PNAS, Vol.95, 13726e31, 1998

※2-2:J A. Thomson, et al., "Embryonic stem cell lines derived from human blastocysts." Science, Vol.282, 1145e7, 1998

※3:Kazutoshi Takahashi, Shinya Yamanaka, "Induction of Pluripotent Stem Cells from Mouse Embryonic and Adult Fibroblast Cultures by Defined Factors." Cell, Vol.126, Issue4, 663-676, 2006

※4:Harald C. Ott, et al., "Perfusion-decellularized matrix: using nature's platform to engineer a bioartificial heart." nature medicine, Vol.14, 213-221, 2008

※5:Tomoyuki Abe, et al., "A Long-term Follow-up Study on the Engraftment of Human Hematopoietic Stem Cells in Sheep." Experimental Animals, Vol.63, No.4, 2014

2018/11/11:23:21:読者からご指摘され、以下のパラグラフを追加した。ありがとうございます。「また2013(平成25)年8月1日に出た「動物性集合胚を用いた研究の取扱いについて」(生命倫理専門調査会、2018/11/11アクセス)について文科省の検討を受けた判断となる。」

科学ジャーナリスト

いしだまさひこ:北海道出身。法政大学経済学部卒業、横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了、医科学修士。近代映画社から独立後、醍醐味エンタープライズ(出版企画制作)設立。紙媒体の商業誌編集長などを経験。日本医学ジャーナリスト協会会員。水中遺物探索学会主宰。サイエンス系の単著に『恐竜大接近』(監修:小畠郁生)『遺伝子・ゲノム最前線』(監修:和田昭允)『ロボット・テクノロジーよ、日本を救え』など、人文系単著に『季節の実用語』『沈船「お宝」伝説』『おんな城主 井伊直虎』など、出版プロデュースに『料理の鉄人』『お化け屋敷で科学する!』『新型タバコの本当のリスク』(著者:田淵貴大)などがある。

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