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2016年1月、ユーライア・ヒープ来日公演。デヴィッド・ボウイとの“失われた環”

山崎智之音楽ライター
Uriah Heep photo by Heiko Roth

2016年1月、ブリティッシュ・ロックの重鎮、ユーライア・ヒープが約5年ぶりに日本上陸を果たす。

前回、2010年10月の来日公演ではアルバム『悪魔と魔法使い』(1972年)完全再現を含むスペシャル編成でファンを驚喜させたが、『対自核 LOOK AT YOURSELF 2016 JAPAN TOUR』と題された今回のツアーはタイトル通り、英国ロック史上屈指の名盤といわれる『対自核』(1971年)の発表から45周年を記念して、同アルバムからのナンバーを中心としたライヴが行われる。

ギタリストのミック・ボックスが「ハードでメロディアスなロック・バンドとしてのアイデンティティを確立した」と語るこのアルバムは、「対自核」や「七月の朝」などの名曲で知られるが、それらに加えて通常のライヴでは聴くことが出来ない同作からのレアなナンバーも披露されることで、日本のみならず海外のヒープ・ファンからも注目されている。

今回の来日メンバーは、不動のオリジナル・メンバーであるミック・ボックス(ギター)に加えて、2016年でバンド加入30周年となるバーニー・ショウ(ヴォーカル)とフィル・ランゾン(キーボード)、そして2007年に加入したラッセル・ギルブルック(ドラムス)という顔ぶれだ。

だが前回のツアーに同行したトレヴァー・ボルダー(ベース)の姿はなく、デイヴィ・リマーが参加している。トレヴァーは2013年5月21日、膵臓癌で亡くなってしまったのだ。62歳だった。

1970年代前半、ボウイを支えたベーシスト

Trevor Bolder
Trevor Bolder

トレヴァーは1970年代前半、デヴィッド・ボウイを支えたベーシストであり、ボウイの率いる“スパイダーズ・フロム・マーズ”の一員だった。彼は『ハンキー・ドリー』(1971年)、『ジギー・スターダスト』(1972年)、『アラジン・セイン』(1973年)、『ピンナップス』(1973年)でベースを弾いている。

トレヴァーは2001年1月、“サイバーノウツ”名義のプロジェクトで来日している。デフ・レパードのジョー・エリオットとフィル・コリン、そしてスパイダーズ・フロム・マーズのウッディ・ウッドマンジーと共に1970年代前半のボウイの曲を演奏するライヴは、バンドも観客も楽しめるものだった。

このとき筆者(山崎)は彼にインタビューをすることが出来たが、スパイダーズ〜時代のスタジオ作業について「バンドがリハーサルしているところにデヴィッドがアコースティック・ギターを抱えてやってきて、曲のアイディアを弾くんだ。それを全員でジャムって、ロック・ソングに完成させていくというパターンだった。だから今になって思えば、彼一人がクレジットされるのはフェアじゃない気もする」と苦笑していたのが印象に強く残っている。

スパイダーズ〜名義を名乗る前の1971年、彼とウッディ、ミック・ロンソンの3人は一時ボウイの元を離れて“ロノ”名義でシングル「Fourth Hour Of My Sleep」を発表している。彼らはすぐにボウイに呼び戻されるが、実はその間にアルバムも1枚録音していたという。

「デヴィッドのバンドにすぐ復帰したせいで、ミックスすらしてないんだ。あのテープの所在が分かったら、完成させてリリースしたいね」と彼は語っていたが、それが実現することはなかった。アルバムのテープは、今どこにあるのだろうか。

ミック・ボックス「友達に代わりはいない」

トレヴァーがユーライア・ヒープに加入したのは、1976年のことだった。

ミック・ボックスが初めて彼と会ったのは、オーディションの現場だった。

「課題曲は「七月の朝」だったけど、彼のレコードプレイヤーの回転がおかしくて、異なったキーで練習してきたんだ」

ミックは笑いながら思い出すが、そんなミスにも関わらずジョン・ウェットン(元キング・クリムゾン、後にエイジア)の後任ベーシストとしてバンドへの加入が決まったのは、それだけトレヴァーの実力が抜きん出たものだったからだろう。

それからトレヴァーはユーライア・ヒープのリズム・セクションを支え続けてきた。

2013年に彼が亡くなったとき、ミックはこう語っている。

「彼はイングランド北部の、独特のユーモアのセンスの持ち主だった。世界のどこにいても、同じユーモアで笑わせてくれたんだ。 新しいベーシストを入れることは出来ても、友達には代わりはいない。彼のことは忘れないよ」

『ライヴ・イン・カワサキ 2010』(ワードレコーズ VQCD-10343/4)
『ライヴ・イン・カワサキ 2010』(ワードレコーズ VQCD-10343/4)

トレヴァーにとって最後の来日となったユーライア・ヒープの2010年、クラブチッタ川崎でのライヴは、2枚組CD『ユーライア・ヒープ~ライヴ・イン・カワサキ 2010』に完全収録されている。『悪魔と魔法使い』完全再現に加えて、「対自核」「七月の朝」「ジプシー」「黒衣の娘」など、ハード・ロックの名曲の数々を元気いっぱいにプレイするこのライヴ盤を聴くと、わずか2年半後、トレヴァーがいなくなってしまうとは信じがたい。

そして2016年1月。ユーライア・ヒープは日本に還ってくる。奇しくもその1週間前の2016年1月8日、デヴィッド・ボウイが癌で亡くなっている。

今回の来日公演で、ユーライア・ヒープとボウイというブリティッシュ・ロックに冠たる2アーティストを繋いだ“失われた環”であるトレヴァーのことを観衆が思い出す瞬間も、きっとあるだろう。

クラブチッタ川崎でライヴが行われる最中、どこか上の方でボウイとトレヴァーがジャムを繰り広げているのが聞こえるかも知れない。

CLUB CITTA' PRESENTS ユーライア・ヒープ 45th Anniversary

対自核"Look At Yourself 2016"Japan Tour

Very Special Guest:Lucifer's Friend(ルシファーズ・フレンド)

2016年

1月16日(土),17日(日) 【川崎】

会場:CLUB CITTA'

OPEN 16:00 / START 17:00

1月14日(木) 【大阪】

会場:Zeppなんば

OPEN 17:30 / START 18:30

来日公演特設サイト

今回のツアーに同行するヴェリー・スペシャル・ゲスト、ルシファーズ・フレンド

Lucifer's Friend  photo by Iris Lawton
Lucifer's Friend photo by Iris Lawton
音楽ライター

1970年、東京生まれの音楽ライター。ベルギー、オランダ、チェコスロバキア(当時)、イギリスで育つ。早稲田大学政治経済学部政治学科卒業後、一般企業勤務を経て、1994年に音楽ライターに。ミュージシャンを中心に1,300以上のインタビューを行い、雑誌や書籍、CDライナーノーツなどで執筆活動を行う。『ロックで学ぶ世界史』『ダークサイド・オブ・ロック』『激重轟音メタル・ディスク・ガイド』『ロック・ムービー・クロニクル』などを総監修・執筆。実用英検1級、TOEIC945点取得。

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