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高齢化問題を解決するいちばん簡単な方法は「高齢者」をなくすこと

遠藤司皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー
(写真:アフロ)

 超高齢化社会が到来した。ご存知の通り、我が国は世界一の高齢化社会であり、昨年には65歳以上の高齢者の人口の割合(高齢化率)は26.7%に達した。およそ4人に一人が高齢者という時代である。

 高齢化の問題は諸々あるが、基本的には国庫の問題である。社会保障費や年金などのコストがかさみ、財源が確保できない。これらはすべて働く人たちの負担となる。

 現状を改善するために、政府は少子化対策を進めているが、依然として目覚ましい成果は上げられていない。これについては「やっても無駄な少子化対策:将来への不安が少子化を生み出している」にて述べているが、少子化はおそらく食い止めることができない。出来るとするならば、国あるいは世界中に、何か全く別のものの見方が生じたときであるが、そのようなものは予期できないし、無理に起こそうというのも不可能であろう。なお、私としてはタテヨコの人間的つながりの変化がひとつの解決策だと考えているが、それについては別の機会に述べたい。

 いずれにせよ、時流はすぐさま変わりそうもないのだから、現状のパラダイムのなかで問題解決を図るのが誠実な態度というものであろう。高齢化社会を問題のままに置いているものは何か。現在の足かせはどこにあるのか。考察してみなければならない。

高齢者になるまで働くということ

 実のところ、高齢者という言葉はあいまいである。上述の通り、65歳の人口の割合のことを高齢化率と呼ぶ我が国の定義では、年齢がその枠組みを規定しているといえる。他国では60歳以上を高齢者と呼ぶ場合もある。

 現在我が国は定年を60歳から65歳にシフトしているところであり、いわゆる高齢者になるまで、定年になるまでは働くことを推奨している。その後は年金をもらって暮らすことになる。

 わが国において、いわゆる定年制が設けられるようになったのは、およそ1920年から30年のあたり、大正末期から昭和初期である。この頃は工業化が進み、大量の従業員の確保とその維持のための様々な制度が設けられた時代である。当時の職人や熟達工の企業への定着率は、実に5年以上継続が1割程度。しかし優秀な働き手が去っていくのは手痛い。そのため定期昇給制や終身雇用という仕組みがつくられ、そして定年が設けられた。定年は55歳である。

 ところで当時の平均寿命はといえば、男女とも45歳に満たなかった。退職後に送る老後生活も、多くの場合10年に満たない。その頃はほとんど死ぬ少し前までは、つまり働ける間は働いていたのである。2013年時点の我が国の平均寿命は、男性79.55歳、女性86.30歳である(厚労省)。当時の状況と比較すれば、定年と平均寿命の逆転現象が生じているのである。

 加えて、平均寿命の他に健康寿命を考えなければならない。これはWHOが2000年に提唱した概念であり、厚労省の定義に従えば「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」のことである。ようするに「不健康な期間」は平均寿命と健康寿命の間の期間といえよう。2013年の我が国の健康寿命は男性70.42歳、女性73.62歳である(厚労省)。ざっくりといえば、男性でも定年65歳の後でまだ5年は健康上の問題なく働けるのである。

 ちなみに、もし高齢者の定義を70歳以上とするならば、高齢化率は20%を切ることになる。75歳だと12%台だ。

定年を引き上げる?

 そうすると、定年を65歳どころか70歳まで上げてしまおうという話が浮上してくる。働けるのだから働く「べきだ」という話である。

 しかしそうなれば、当然浮上してくるのが雇用問題である。市場の大きさに対して労働力が過剰になれば、企業は人件費を削るか、非正規雇用を解雇するしかない。また、働く意欲の減退した「高齢者」を無理やり雇用することで、社内の士気も減退していくことだろう。それらのことは、すでに定年が60歳から65歳に移るにあたって議論しつくされている。企業は「お荷物」を抱えるわけにはいかないのである。

 ここで少し視点を変えてみよう。そもそもからいって、企業はいかなる「お荷物」も抱えるわけにはいかないのである。そこには年齢は関係ない。有能であればいつまでも必要とされるし、何歳であれ必要とされなければ別の必要とされるところに行くべきである。ようするに、年齢によっていつまで働けるかを定めてしまうほうがよろしくないのである。実際にいくつかの国では定年を禁止している。アメリカやイギリスでの理由は「雇用における年齢差別の禁止」である。差別はいけない。我が国も個々の能力に応じて仕事をするというスタイルに切り替えていかなければならない。

 わが国において、定年は引き上げるどころか、むしろなくしていくべきである。もちろんそれぞれの企業が継続したければ構わない。労働力不足の会社にはそれも有効だろう。しかし少なくとも、国が社会のひずみを企業にコストとして押しつけるなどということは、健全な産業発展のためにもやめたほうがよかろう。

 定年をなくすことで、ほかにもよい効果が生まれそうだ。意識変革である。すなわち、会社に残るためにはどうするかではなく、自分を活かせる仕事はどこにあるか、という意識への変革が生まれるのである。

健康のためのビジネス

 高齢者は本当に「お荷物」なのだろうか。そうである人もいればそうではない人もいる、というのが答えであろう。

 先に述べたように、年齢は関係ない。年齢ではなく、能力、あるいはより適切にいえば、適性で判断されるべきである。つまりは全年代において、分野ごとにやれる人やれない人はいるのである。高齢者だから「お荷物」ということはなく、むしろ高齢者は様々な知識や経験、技能を持つ社会の財産である場合のほうが多い。一緒くたにして「高齢者」なるものを考えてはいけない。ビジネスにおいて「高齢者」という言葉のみをもってものごとを考えるのはもうやめるべきである。

 会社は居場所ではない。現状の生活基盤ではあるが、唯一の生活基盤ではない。自身の能力を存分に発揮して、社会に価値を提示するための道具である。営業が得意な人もいれば、事務手続きが得意な人もいる。それらの適性を踏まえて、より得意な分野で働くのが理想である。そのような場所は必ずしも特定の企業のなかに存在するとは限らない。あるいは、特定の企業のなかに自分のやりたい仕事があるとは限らない。高齢者かどうかにかかわらず、一つの企業にいるかどうかは、自分の適性を踏まえて判断しなければならない。

 働く場所などどこにでもある。何歳で辞めたって構わないはずである。だから結局、何歳まで働いたってよいはずである。働けるのだから働く「ほうがよい」。働くのは、また働けるのは、よいことであるはずだ。人は誰しも自己実現のために、自分を活かせる新たなフィールドで働けるよう、日々学習し、力をつけていくべきである。そのほうが人生は充実する。最後まで、充実する。いつまでも心身ともに元気な高齢者でいてほしい。スポーツに興じるよりも、ビジネスをやっていたほうが健康的であろう。

 ところで、いわゆる「高齢者」の方々にお願いしたいのが、できれば既存の会社に残るのではなく、積極的にビジネスを興して頂きたい、ということである。つまり既存の会社の雇用枠を、できる限り若者に残してあげたいのである。

 若者は会社でビジネスの仕方を学ばなければならない。勢い込んで起業することもできるが、その前にビジネスを学んでおけば、失敗リスクを減らすことができよう。とりわけビジネスとは繋がりによって生じるのであるから、若者はまだ成功する確率が低い。逆に、「高齢者」の方々はすでに多くの繋がりがあるのだから、若者よりも成功確率はずっと高い。我が国の成長の原動力は、若者よりも「高齢者」の方々のうちにあるように思われる。そしてそれ以上に、「高齢者」の方々が輝いている社会、活き活きしていて、後に続く私たちに背中をみせ、追いかけさせてくれる社会のほうが、なんだか生きていて嬉しく思える。

 もう一つお願いがある。起業には成功してほしい。儲けてほしい。そして成功したあかつきには、若者のために、年金の受け取りをやめて欲しい。年金などは単なるセーフティネットである。「高齢者」の方々がお金を稼いでいただければ、税金を納めるくらいビジネスで成功していただければ、年金は受け取らなくてもよくなるはずである。そして出来る限り、若者の負担を減らして欲しい。彼らは非常に大きな社会的負担を負っている。辛そうで、しかし日々を生きるのに必死で頑張っている。将来への不安で、結婚もできない者までいる。どうか率先して、彼らの負担を減らして欲しい。

 皆で前を向ける世の中になれば、未来に向けて努力し、全世代が連れ立って助け合う世の中になれば、それはよい世の中であろう。そのような世の中が実現されることを願ってやまない。

皇學館大学特別招聘教授 SPEC&Company パートナー

1981年、山梨県生まれ。MITテクノロジーレビューのアンバサダー歴任。富士ゼロックス、ガートナー、皇學館大学准教授、経営コンサル会社の執行役員を経て、現在。複数の団体の理事や役員等を務めつつ、実践的な経営手法の開発に勤しむ。また、複数回に渡り政府機関等に政策提言を実施。主な専門は事業創造、経営思想。著書に『正統のドラッカー イノベーションと保守主義』『正統のドラッカー 古来の自由とマネジメント』『創造力はこうやって鍛える』『ビビリ改善ハンドブック』『「日本的経営」の誤解』など。同志社大学大学院法学研究科博士前期課程修了。

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