徳川家康に処分される前の松平信康は、恐るべき殺人鬼と化していた
今回の大河ドラマ「どうする家康」では、松平信康が鷹狩りに出掛けた際、僧侶を斬って捨てたという。この頃の信康は殺人鬼と化していたというが、事実なのか考えてみよう。
信康が徳川家康から処分される前、芳しくない噂が流れていた。このことが、家康に処分される遠因になったという。『改正三河後風土記』によって、信康の悪行を確認することにしよう。
信康は五徳(織田信長の娘)と結婚したものの、2人の間には女子しか生まれず、後継者たる男子は誕生しなかった。そこで、瀬名は武田氏の家人の娘を信康に宛がおうと考えた。娘は母から疎まれて、甲斐国から三河国に来ていたのである。
娘は大変な美人で、歳は28歳だったという。信康は母の勧めがあったとはいえ、すぐにこの美しい娘に夢中になった。やがて、信康は娘と連日連夜、酒席をともにするなどし、やがて五徳を蔑ろにするようになった。五徳の怒りもすさまじいものになった。
このことは、小侍従なる者から五徳の耳に入ったので、信康は怒り狂った。信康は小侍従の髪を掴んで引きずりだすと、「お前は夫婦仲を引き裂く曲者だ。思い知らせてやる」と言い、腰刀で惨殺したのである。五徳はこれを見て、涙を流した。
信康の乱行はこれだけでなく、家臣らも嘆いていた。ある日、信康は鷹狩り出掛けたが、鳥の一羽も手に入らず、極めて機嫌が悪かった。一行は、帰りに僧侶にあった。すると、家臣が「狩場で僧侶に会うと、呪文を唱えて生き物を助けるので、獲物は取れないと言います」と述べた。
これを聞いた信康は激昂し、「あの坊主が俺の狩場で妨害をしたのか。今日の獲物はあの坊主にする」と言うと、僧侶を捕らえて首に縄で馬に括りつけ、馬に鞭をあてて走らせた。馬に引きずられた僧侶は、そのまま死んでしまったのである。
信康は少しでも自分の意に背く者がいたら、すぐに手討ちにするので人々は恐れたという。人々は「信康の代になったら、領内の人々は(殺されて)いなくなってしまう」と嘆いたと伝わる。
とはいえ、『改正三河後風土記』は後世に成った史料なので、すべてを鵜呑みにできないだろう。「信康は悪人だったので、家康に自害を命じられても仕方がなかった」ということにしたかったのかもしれない。