Yahoo!ニュース

「愛子天皇」を熱望する国民世論は無視。天皇制をもてあそぶ保守の“根拠なき伝統”と“時代錯誤”

山田順作家、ジャーナリスト
2024年新年をお迎えになった天皇ご一家(宮内庁HPより)

■皇位の安定継承に向けた皇族数の確保

 6月末の国会会期末に向けて、皇室をめぐる与野党間の協議が続いている。裏金問題に端を発する政治改革も重要だが、こちらは日本という国(象徴天皇制を持つ立憲民主国家)の根幹を規定するだけにより重要である。

 しかし、これまでの協議は、もっぱら皇位の安定継承に向けた皇族数の確保に絞られ、「女性・女系天皇」につながる議論は封じ込められたままだ。ここにきて、「愛子天皇」を熱望する国民の声が高まっているというのに、ほぼ無視されていると言っていい。

 このままでは国民が望む天皇は誕生せず、日本は衰退する経済とともに輝きを失っていくだけになるのではなかろうか。

■世論調査では女性天皇容認が圧倒的多数

 これまでの各種世論調査でわかるのは、国民の大多数が女性天皇を容認していること。そればかりか、「愛子さまに天皇になって欲しい」という「愛子天皇熱望論」が日毎に高まっていることだ。

 4月27日に発表された共同通信の全国郵送世論調査(18歳以上の男女3000人が対象)では、女性天皇を認めるという意見がなんと90%に達した。

 また、5月18、19の両日に毎日新聞が実施した世論調査でも、女性天皇に賛成が81%に上り、反対はわずか10%にすぎなかった。

 しかし、国会での与野党協議は、有識者会議によって自民党がまとめた所見に基づく「政府案」に関してだけ、意見集約する方向になっている。

■単に皇族、皇位継承者を増やすだけの政府案

 政府案は皇族数の確保をどうするかに絞られ、次の3点が示されている。

(1)女性皇族は婚姻後も皇族に残る。

(2)旧皇族の男系男子が養子として皇族に復帰する。

(3)(1)(2)が十分でなければ旧皇族男系男子を直接皇族に復帰する。

 ただし、(1)については夫や子は皇族とはせず、(2)では復帰後に生まれた男子は皇位継承資格を有することが適切とされている。

 (1)(2)に関して、もっと具体的、現実的に踏み込むと、(1)が決まれば、愛子さまや佳子さまが結婚後も皇室に残れることなり、公務を続けられることになる。(2)に関しては、もし、いずれ皇位に就く悠仁さまに男子が生まれない、あるいは子どもができなくとも、旧皇族の男子を養子とすれば皇統は絶えないということになる。

 しかし、どう見ても政府案は(1)に関しては、公務をする皇族の数を確保するだけ。(2)に関しては、無理やりでもいいから男子の皇位継承者をつくるという方策にすぎない。

■すでに皇位継承順位は確定している

 額賀福志郎議長は、今国会の会期中での合意を目指す意向を示している。しかし、実際のところ、どうなるかは見通せない。

 (1)(2)については、自民・公明・維新・国民民主の4党が「妥当」と判断しているので、まとまるかもしれない。ただ、立憲民主、共産などは、論点をこれだけに絞ることに難色を示している。とはいえ、「女性・女系天皇」問題が、棚上げされたまま終わるのは間違いない。

 なぜなら、すでに秋篠宮文仁さま(58歳)は皇位継承順位1位の「皇嗣」(こうし)となり、「立皇嗣の礼」も終えているからだ。これにより、秋篠宮さまの長男・悠仁さま(17歳)の皇位継承順位2位も確定している。

 そのため、有識者会議は2021年末、皇位継承の見直しをする必要はないとした。

■男系男子が継承という規定が危機を招く

 それでは、今回の与野党協議にいたるまでの経緯と、なぜ、女性・女系天皇論が封印されたのかを振り返ってみたい。

 まず、この問題の根本にあるのは、天皇家に長い間、男子の皇位継承者が誕生しなかったことである。明治時代に定められた『皇室典範』は、皇位は男系男子が継承し、皇族女子は一般男性と結婚すれば皇籍を離れると定められているからだ。

 現在、皇室は17人で構成され、皇位継承資格を持つ男性皇族は3人だけである。皇位継承順位は、前記したように、1位が秋篠宮文仁・親王、2位が秋篠宮さまの長男の悠仁・親王、3位が上皇陛下の弟の常陸宮正仁・親王(87歳)で、次世代に限れば、悠仁さまだけである。

 未婚の女性皇族は、今上天皇・徳仁陛下(64歳)の長女・敬宮愛子・内親王(22歳)と秋篠宮佳子・内親王(29歳)を含むわずか5人で、結婚すればみな皇籍を離れることになる。

 つまり、悠仁さままではつなげるとしても、もし、悠仁さまに男子が誕生しなければ、男系男子の皇統は途切れることになる。また、女性皇族は結婚すれば皇籍を離れるので、近いうちに1人もいなくなってしまう可能性がある。

■悠仁さまの誕生で女性天皇はたち消えに!

 この皇位継承と皇族数の減少問題は深刻で、小泉純一郎政権時に設置された有識者会議は、天皇および女性天皇の第一子は性別にかかわらず皇位を継承すべきという改正案をまとめた。

「男系継承を安定的に維持することは極めて困難で、女性・女系天皇への道を開くことは不可欠」、皇位継承順位は「天皇の直系子孫を優先し、男女を区別せず年齢順の長子優先」としたのだ。

 ところが、2006年、皇室に41年ぶりの親王となる悠仁・親王が誕生すると、この改正案はあっという間にたち消えになった。

 そればかりか、安倍晋三政権時代になると、首相本人および保守派が、男系男子へのこだわりが強かったため、女性・女系天皇容認論は議論すらされなくなった。

 こうして、2019年、現上皇である繼宮明仁・陛下は85歳で、当時皇太子だった長男の徳仁・親王に天皇を譲位した。これに伴い、前記したように、皇位継承権は、次男の文仁・親王の秋篠宮家に移ったのである。

■愛子天皇誕生で日本に明るさと希望が戻る

 ここで、私見を述べると、次期天皇は愛子さまであるべきだと思っている。女性天皇の誕生が、時代性から言っても、国民世論から考えても、歴史的に見ても、もっとも「いい選択」に違いないからだ。

 さらにもう一つ加えれば、この後、秋篠宮文仁・親王、その子の悠仁・親王と続いていく天皇では、現在の日本の衰退・停滞の雰囲気は変わりそうもないからだ。「失われた30年」は永遠に続いてしまうだろう。

 もはや、人口減、経済停滞、先進国転落は止めようがないが、それでも「愛子天皇誕生」となれば、ムードは変わる。日本と日本国民に明るさと希望が戻るのではないだろうか。

 男系男子にこだわる保守派が言うように、女性皇族が皇族以外の男性と結婚して、生まれた子どもが皇位を継ぐという女系天皇の前例はない。しかし、日本の歴史上には10代8人の女性天皇がいる。

 それから見れば、男系のプリンセスである愛子さまが即位することは、まったく不自然ではない。

■欧州の王室は性別に関係なく長子優先

 女性・女系天皇をめぐっては、これまでさまざまな議論があった。とくに、女系天皇に対しては根強い反対論があった。しかし、男系男子にこだわって万世一系を続けることに、大きな意義があるとは思えない。

 というのは、そんな考え方は、現代のジェンダー平等社会では通用しないうえ、天皇家に無理難題を強いることになるからだ。天皇家に嫁いだ女性は、男子を産まなければならないというプレッシャーのなかで生きなければならない。

 女系はともかく、女性天皇に関しては、認めるというか、反対する理由が見当たらない。欧州の王室を見ても、どこもいまの時代に適した王位継承を行っている。

英国王室:2012年改正、男女の性別を問わずに長子優先。

スウェーデン王室:1979年改正、男女の性別を問わずに長子優先。

オランダ王室:1983年改正、男子優先を廃止し性別に関係なく長子優先。

ノルウェー王室:1990年改正、男子優先を廃止し性別に関係なく長子を優先。

べルギー王室:1991年改正、男系男子に限定する規定を無効とし男女の性別を問わずに長子優先。

■男系男子は側室がなければ維持できない

 それにしても、なぜ、保守派は男系男子にこだわるのだろうか? 女性天皇はなんとか認めるとしても、女系天皇は絶対認めないとするのだろうか? その根拠は、「それが皇室の伝統、日本の伝統」というのだが、この伝統が明文化されたのは明治に制定された『皇室典範』によってである。

 しかも、歴代天皇がすべて男系だったかどうかは、検証しようがない。

 さらに言えば、男系男子が続けられたのは、天皇が側室を設けることができたからとも言える。明治天皇は美子皇后(昭憲皇太后)との間に子はなく、5人の側室との間に15人の皇子女が生まれたが、無事に成人したのは皇子1人と皇女4人だけだった。その皇子1人が、大正天皇である。

 この状況を見れば、側室なしの男系継承というのは、かなりの無理がある。

 昭和天皇からは側室をやめ、天皇家も一夫一婦制となった。これは、昭和天皇の意思でもあったという。ならば、いまのこの時代に、万世一系と男系男子を金科玉条にすることは「時代錯誤」ではないだろうか。また、天皇家の意思を無視してはいないか。

■5代もさかのぼることに意味があるのか?

 万世一系とは、天皇につながる男系の血が途切れなく続いてきたということで、血がつながっていれば、傍系の譲位でも構わないということである。

 たとえば、25代武烈天皇には、子ども兄弟も従兄弟もいなかった。そのため、応神天皇5世の来孫を越前から連れて来て、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女(仁賢天皇皇女・雄略天皇外孫)と結婚させて継体天皇として即位させている。先帝とは4親等以上離れていた。

 また、45代聖武天皇には男子がなく、娘が称徳天皇として即位したが、その後は血筋を五代さかのぼって、38代天智天皇の孫を光仁天皇として即位させた。当時の女帝は、生涯独身を通さなければならなかった。そうしないと、子どもが皇位を継いだ場合、王朝交代が起こるからだ。

 保守派と自民党の改正案は、このようなことを現代でも行わせようとするものだ。

 継体天皇の場合は、5代までさかのぼらなければ先帝に行き着かない。5代ということは、1代30年として年数にして少なくとも150年はある。

■保守派が主張する天皇制は明治生まれ

 皇位継承を巡って議論が百出するのは、天皇制と天皇は、私たち日本の国のかたちそのものだからだ。いくら民主国家とはいえ、これをなくしたら日本は日本でなくなる。

 それは、いくつかの欧州国家がそうしているのと同じだ。英国王室がなければ英国は英国とは言えない。

 日本の保守派が誇るように、天皇制は、王朝としては世界でもっとも長く続いてきた王朝である。これを続けていくのは言うまでもないが、保守派が主張するような天皇制は、明治になって新しく強化されたということを、はっきりさせておく必要があるだろう。

 それともう一つ、万世一系とされる天皇は、長い日本の歴史のなかで常に政治権力の中心にいたのではないことも、認識すべきだ。

■天皇制はなぜ長く続いてきたのか?

 天皇が政治権力を持っていたのは、大和朝廷から7世紀の後半の天智、天武、持統の時代を経て、せいぜい平安中期までである。それ以後は、後白河法皇にしろ、後醍醐天皇にしろ、政治権力を握ろうとすると失敗している。

 つまり、天皇制は、天皇が政治権力を持たなかったため、ここまで続いてきたと言える。

 天皇としての権威をもっともうまく利用したのが、明治政府をつくった薩長である。彼らは、王政復古から立憲君主国家をつくり、その中心に天皇をもってきた。

 当初、「尊皇攘夷」を唱えた彼らは、薩英戦争と下関戦争で欧米列強に惨敗し、「攘夷」は無理だと悟った。

 その結果、残ったのが「尊皇」だった。だから、明治になって天皇制が強化され、戦前は「現人神」にまでされたのである。それが、敗戦で終了し、天皇は「人間宣言」をして、新憲法の下で国家の象徴的な存在となった。

■「日本国民の総意」なら「愛子天皇」に!

 このような歴史的文脈で天皇制を考えてみれば、天皇制を守っていくべきなのは言うまでもないが、それは、戦前までの天皇制ではなく、『日本国憲法』で規定された天皇制である。

 すなわち、「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」(第1条)と「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」(第2条)である。

 つまり、「日本国民の総意」なら、それは「愛子天皇」である。女系を認めるかどうかまでは、取りあえず保留し、女性天皇としての愛子さまが即位できるように、『皇室典範』を改正すべきではないだろうか。それが、この時代に生きる政治家の義務ではないだろうか。

作家、ジャーナリスト

1952年横浜生まれ。1976年光文社入社。2002年『光文社 ペーパーバックス』を創刊し編集長。2010年からフリーランス。作家、ジャーナリストとして、主に国際政治・経済で、取材・執筆活動をしながら、出版プロデュースも手掛ける。主な著書は『出版大崩壊』『資産フライト』(ともに文春新書)『中国の夢は100年たっても実現しない』(PHP)『日本が2度勝っていた大東亜・太平洋戦争』(ヒカルランド)『日本人はなぜ世界での存在感を失っているのか』(ソフトバンク新書)『地方創生の罠』(青春新書)『永久属国論』(さくら舎)『コロナ敗戦後の世界』(MdN新書)。最新刊は『地球温暖化敗戦』(ベストブック )。

山田順の最近の記事